医科2021.06.20 講演
感染症と文明
〜コロナ禍で問われる医療と社会(2021年6月20日)
長崎大学熱帯医学研究所 環境医学部門 国際保健学分野教授
山本 太郎先生講演
はじめに
「感染症と文明〜コロナ禍で問われる医療と社会」とのテーマについて、今このパンデミックの中にいて、今後どんな社会に生きることになるのか、これは答えのない話なのですが、それを考える上でのヒントや論点を考えてみたいと思います。新型コロナウイルスの特徴
新型コロナウイルス感染症はコロナウイルスによって引き起こされるわけですが、コロナウイルスは表面に突起を持っていて、ちょうど太陽のコロナ、クラウン(王冠)のような突起があるのでそう名付けられています。表面は脂質の二重膜になっていて、これはアルコールによる消毒が有効であるということを意味します。ウイルスは1本鎖のRNAでできていて、変異しやすい、つまりワクチンが開発されてもそれが100%有効ということにはならないと予測させるものです。
そうしたコロナウイルスは実は新型コロナウイルスだけではありません。人間に感染するコロナウイルスは7種類あり、そのうち四つはヒトコロナウイルスといい、風邪のような症状を起こしあまり重症化しません。残り三つはSARS、MERS、今回の新型コロナウイルスで、重症化する危険があることが分かっています。それを遺伝子情報で解析してみると、新型コロナウイルスは2003年に流行したSARSに非常に近いウイルスで、SARS同様、重症化することが分かります。
一方で、今回のコロナウイルスはSARSのウイルスと異なり、SARSやMERSは症状が出てから感染が起こるのに対し、新型コロナウイルスは症状が出る前から他人に感染させます。その違いは何かというと、症状が出てから感染する場合は発熱してから隔離すればよかったのですが、今回は症状が出てから隔離しても流行は広がり続けるので、感染制御が難しいウイルスだということが分かってきました。そのほかに今回、多くの感染者がほとんど他の誰にも感染させないか、ごく何人かに感染させる一方で、たくさんの人に感染させるスーパースプレッダーという感染者がいることが分かりました。
これは現在日本がとっているクラスター対策のバックグラウンドになっています。スーパースプレッダーから感染した人の中からスーパースプレッダーがまた現れると、爆発的流行になります。ですからいち早くスーパースプレッダーを見つけ、感染の鎖を断とうというのがクラスター対策の基本になっています。しかしながら、世界を見ると1億5000万人を超える感染者、400万人近い死亡者が出ています。この状況から、新型コロナウイルスの根絶はもはや難しいだろうというのが、世界の研究者、専門家の見解です。
21世紀の公衆衛生の課題は共生(図1〜2)
では根絶ができないと今後どうなっていくかが重要ですが、今回の新型コロナウイルスも人口のある一定程度が集団免疫を持たないと収束に向かえないのではと考えています。そうした中、今回パンデミックが起こり、当初それを戦争に例えるメッセージを出した人たちは世界にたくさんいて、新型コロナウイルスとの戦争に勝ちましょう、戦い抜きましょう、あるいは今度のオリンピックを新型コロナウイルスに勝利した人類のモニュメントとしての祭典にしよう、などのメッセージが出されました。
しかし、これをウイルスとの戦争と捉えたがゆえに、社会が息苦しくなったということもあるのではないでしょうか。ウイルスは倒すべき相手ではなく、われわれがどこかで何らかの落としどころを見つけて仲良くしていく、共存していく相手である、と。今回のパンデミックでは、われわれの目の前にあるのは倒すべき相手ではなく、感染症で重症化して亡くなる命を救う、あるいはパンデミックで社会的経済的に困窮した人を救うという、守るべき相手しかいないというところに違和感があるわけです。戦争だと言ったがゆえに、この戦いに勝つまでは自粛しなければならないとか自粛警察などで、非常に住みにくくなっているわけです。
感染史から見る新型コロナウイルス問題(図3)
感染症が恒常的に流行できるようになるには、数十万人規模の人口が必要となります。そうなったのは農業が始まってからです。食糧の増産、定住により人口が増加し、野生動物の家畜化が行われ、動物のウイルスだったものがヒト社会に入ってきて、増加した人口を背景に人に定着したということになると推測されます。一方で、1万数千年かけてさまざまな感染症がでてきたわけですが、過去50年ほどの間にエイズ、エボラ、SARS、そして新型コロナウイルスが起こってきました。先に言った、ヒトに感染するコロナウイルス七つのうち、風邪症状で済む四つのウイルスは、ある時点でヒト社会に入ってきてパンデミックを起こし、やがて収束したウイルスです。
1万数千年で四つ。それが過去50年ほどで三つも新しいものが出てきたというのは頻度が高すぎるかもしれません。こうしたものが出てくる背景には、人と野生動物の距離が近くなっていることが挙げられます。全ての新しいウイルスは野生動物から人にくると考えられています。距離が近くなる原因として、開発という名でわれわれがズカズカと自然に入っているせいかもしれないし、われわれの社会活動、経済活動や地球温暖化などにより野生動物の生息域が縮小してきて、ヒト社会に出てこざるをえない状況のせいかもしれない。ですから、今回の新型コロナウイルスの出現は、私たちの自然との向き合い方に対する警鐘なのかもしれません。
アフター・コロナの時代を考える(図4)
最後にそれらを踏まえた上で、「withコロナの時代」「afterコロナの時代」がどうなるかということを考えます。情報技術を中心とした社会が出現するというか、すでに出始めています。しかし、情報技術というのはあくまで手段であり目的ではないので、それをどんな社会を作るために使うかは私たちが考えるべき課題です。パンデミックが起こった当初、監視的社会は感染制御が強いのだとそれを賞賛する声もありましたが、監視的で分断的な社会を作るために使うのか、市民のエンパワーメントを通して民主主義の確立に使うのか、はわれわれが考えるべきことです。今回のパンデミックは、医学的なパンデミックとそれが引き起こした社会的パンデミックがありますが、その影響はかなり長く続く可能性があるという気がします。それはわれわれが100メートル走を走るのか、400メートル走なのかマラソンを走っているのかを考える上でも重要かと思います。
あとは新型コロナ感染のパンデミックがあって、新しい生活様式で三密を避けなさい、と言われ、皆さんもオンラインで一人ひとり家にいるわけですが、例えば昨年京大総長を退任したゴリラ研究で有名な山極さんなどは、人間は言葉を使う前から踊って歌って、身体的な共鳴を通して共感を育んできたと言っています。だから離れていればいいというものでは多分ないのでしょう。三密を避けた新しい近接性とは何なのかを考えていきたいと思っています。
(6月20日、第53回総会記念講演より)