医科2021.09.11 講演
心疾患の身体所見:巡り辿る臨床路(上)
[診内研より526] (2021年9月11日)
大阪府守口市・パナソニック健康保険組合 松下記念病院 循環器内科 川﨑 達也先生講演
栄枯盛衰
身体所見が日常臨床で重要であることは述べるまでもありません。特に循環器診療では然りです。診療にとても役立つからです。その技術は現場で脈々と伝承されてきました。実際の患者を前に匠が披露する業は初学者の憧れでした。諸行無常。画像診断が発達した今日、身体所見はかつての輝きを失っています。今やフィジカルを診て活かすことができる専門医は少数です。匠の業に触れる機会に恵まれずに育った医師も少なくありません。私もその1人です。
「かつて居られた助教授は病歴と身体所見のみで、急性心不全の原因を後尖の腱索断裂による僧帽弁逆流と診断した」と師匠から教えてもらったことがあります。しかし当時はピンときませんでした。私が研修医をしていた1990年代前半には、身体所見はすでに過去の遺産になっていたからです。心エコー図が全盛を極め、心音図や心機図の記録に立ち会った記憶はありません。もちろん多くの先輩方から身体所見の取り方は教わりましたが、実際の症例を欠いた文言の伝授による指導がほとんどで、やはり身に付きませんでした。
一度、医局の大先輩(師匠の師匠)から「大きなⅢ音」の症例を紹介していただいたことがあります。卒後6年目で、大学にいた頃です。私にはⅢ音が聞こえなかったため、「Ⅲ音はありません」とお答えしたら怒られました。悔しかったので心音図を記録して、「やはりⅢ音はないようです」とお伝えしました。今度はあきれられました。もっともです。自分の未熟な聴診能力と心音図の記録技術に加えて、過剰心音が容易に消退することすら知りませんでした。その大先輩とは逃げずに対話を重ねたことが功を奏してか、最終的に信頼を得ることができました(と思っています)。15年後、医局に伝わる1960年代の貴重な聴診器を譲り受けました。とても名誉なことです。
衝撃症例
個人的には身体所見にずっと興味を持って日常臨床に取り組んできました。そして2011年に待望の心音図・心機図の記録装置(MES-1000、フクダ電子株式会社)が当院に導入されました。初めは試行錯誤でしたが、身体所見を独学で勉強している同期が身近にいたことが幸いしました。心尖拍動や頸静脈波形のイロハに加えて、心機図記録のコツなどもたっぷりと教えてもらいました。検査が軌道に乗ってからは、自身の診断力の答え合わせだけではなく、若手の教育などにも積極的に活用しました。驚くべき症例に遭遇したのは、ちょうどこの頃です。60代の男性が息切れで当科を受診しました。頭部の前後の揺れ(ド・ミュッセ徴候)、頸動脈の明瞭な拍動(コリガン脈)、爪床の周期的な色調変化(クインケ徴候)、上腕動脈の鋭い音(ピストル射撃音)、上肢に対する下肢血圧の過剰高値(ヒル徴候)、動脈圧迫による拡張期音の出現(デュロチー徴候)、そして心尖部の拡張期低調音(オースチン・フリント雑音)など身体所見の宝庫でした。どれをとっても一発診断ができそうなくらい典型的な大動脈弁逆流症のフィジカルです。
この症例の初期対応は当科の専攻医が担ってくれました。さまざまな所見をスマートフォンに記録して、動画を私のところまで持ってきてくれました。あまりにも美しい記録でとても感動したことを今でも鮮明に覚えています。彼の臨床能力の高さに負う部分も大きいのですが、当院で行っていた身体所見の教育が奏功していることの表れでもあります。密かにとても喜びました。もっとも自分が初期対応医であったなら、どこまで気がつけただろうかと少し不安になりました。当時は心音は得意でしたが、他の身体所見にはあまり自信がなかったからです。
藁稭 長者
心音図の記録を始めて数年で、5000枚程度の経験を積むことができました。典型的な音を有する美しい心音図も散見されます。そこで当時行っていた心音カンファレンスの延長として、教育用のホームページを作ることにしました。症例の選択や音声ファイルの抽出には手間取りましたが、プログラム言語の知識があったため、2015年に「心音図塾」を自力で公開することができました(図1)。典型的な100例の心音図と実際の心音に加えて、聴診器の歴史なども含む無料コンテンツです(https://phio.panasonic.co.jp/kinen/pcg/index.html)。今ではGoogleなどの検索エンジンで心音図と入力すると常に上位に表示されます。心音図塾を作成してみて、ある程度のニーズがあるという手ごたえを感じました。しかし日本語で構成されているため、その活用は限定的です。そこで海外に向けた展開を模索するようになりました。ホームページの英語化は容易ですが、それでは進歩がありません。何とか英語書籍を発行できないかと考えました。
もちろん何の実績もない私に、手を差し伸べてくれる海外の出版社などあろうはずがありません。そこでAmazonが展開しているKindle ダイレクト・パブリッシングと呼ばれるセルフ出版を利用することにしました。そして翌2016年にPractical Handbook of Phonocardiography:50 Case Studies with Embedded Audio and Videoを出版することができました(図2)。
(次号につづく)