歯科2011.03.15 講演
カリエス、カリオロジー、そして予防とは [歯科定例研究会より]
群馬県前橋市・大野歯科医院院長 大野 純一先生講演
はじめに
カリエスは、われわれ臨床医が毎日のように診療室で目にするものであり、一般開業医であれば誰でもそれに精通していなくてはいけない。
ヨーロッパでは、カリエスの予防と治療を同一のカテゴリーで考えていたため、それを体系化した学問「カリオロジー」が発展してきた。わが国でもそれに独自の解釈が加わり、臨床歯科医学の一分野として一般的となっている。
デンタル・カリエスの定義
まず、そもそもカリエスとはなんであろうか? この質問をして、明確に答えられる専門家は案外少ない。というのも、その定義について詳しく述べている成書は、あまりないからである。
私は、主にヨーロッパの代表的な教科書を縦覧して調べ、そこにいくつかの定義を見つけた。その中で最も私にとって理解しやすい定義は、英国のKidd先生がその著書の中で書かれたものである。すなわち、
“Dental caries is a process that may take place on any tooth surface in the oral cavity where dental plaque is allowed to develop over a period of time.”
歯牙齲触症とは、口腔内のあらゆる歯面上において、デンタルプラークが経時的に引き起こしうる、一連のプロセス(変化)である。(大野訳。“Essentials of Dental Caries”より)
つたない日本語訳をお許しいただきたい。しかし、われわれにとって最も大切なことは、ここにある「プロセス」という言葉である。プロセスであるのだから、目には見えないと考えたほうがよい。
臨床医の間ではいまだに誤解されている傾向もあるが、「齲窩≠カリエス」なのである。
齲窩はそのプロセスによる「結果」に過ぎず、齲窩の治療はカリエスの治療の一つであるものの、原因除去という観点からはそれほど効果的ではない。鏡に映った敵に石を投げても、敵には何の影響もないのである。
カリエス・リスクとカリエスの活動性について
「リスク」についても、案外誤解されている。たとえば、写真をご覧いただきたい(図1)。この患者には、多数の齲窩が認められるが、これを「リスク患者」と呼んでいいのだろうか? 実はリスクとは、まだ問題が起きる前の状態を指すことが多く、この患者のように、すでに明らかな発症がある場合はリスク患者と呼ばず、「病気の患者」と呼ぶ。
病気の患者にリスク検査と称するものを行うことがあるが、わざわざ検査を行わなくとも結果は火を見るより明らかで、高いに決まっている。問診と視診など、通常の診査で十分であり、わざわざ高価なキットを使う意義は低い。
またカリオロジーにおいては、「リスク」という言葉は主に個体に対して、そして「活動性」という言葉は主に歯面に対して使う傾向がある。これは一種の“文法”のようなもので、「リスク患者」とか「活動性病変」といった使い方をする。もちろん例外はあるし、研究者によっては厳密に用いない場合もある。
リスクの評価について
では、発症前の患者において、そのリスクを知る最も重要な方法はなんであろうか? それは問診である。具体的には、問診によって患者の「口腔内の既往」や「患者の生活歴」を知ることである。それまで多くの齲窩や白斑などの病変が発生している口腔内・個体では、そのまま経過すると今後も発生する確率は極めて高いことが知られているからである。
したがって、次に重要なことは肉眼診査である。口腔内診査で具体的にどのような部位に、どのくらいの数の病変が発生しているか? もし通常あまり発生しない部位にも病変が認められれば、数は少なくとも、その患者のリスクは高いと考えられる。
また、レントゲンにおいては、過去の治療歴、新たな齲窩の発生を時系列で見ることもできる。これも問診、視診に次いで有用なリスク評価の方法である。
わが国では、唾液中の特定の細菌数、唾液の流量、そして緩衝能を検査するためのキットが手に入るが、リスクが高いか低いかを調べる目的では、残念ながら診断学上のデータをみると、その価値は上記の問診や口腔内診査と比べても格段の利点は見当たらない。しかし、全く無意味であるかと問われると、適応症というものがある。
唾液検査キットが便利な局面は、すなわち、上記の問診や視診においての情報のみではリスクを評価するために不十分なケースであれば、それらの補助的使用はとても価値がある。
ただし診療室において、「システム」の名の下に全ての患者に行うことは、いたずらに偽陽性の確率を上げ診断に混乱をきたすだけであろう。
カリエス予防の方法
最後に、どうカリエスを予防していくかについて、簡単に述べたい。
様々な予防方法が提唱されているが、最も基本的なカリエス予防法は、1日2回のブラッシングと、フッ化物入り歯磨きペーストの使用である。これはその効果、そしてコストにおいても、世界のカリオロジーではコンセンサスを得ている。
その他の補助的な方法、たとえば高濃度のフッ化物の応用や特定薬剤の使用、砂糖の摂取の制限などは、その患者個々の事情に合わせて選択すべきであり、方程式も黄金の法則もあるわけではない。
カリエスの病因をモデル化した有名なKeysの三つの輪では、カリエスの原因として「細菌叢」「基質(食事)」そして「宿主」の因子が表されている。現在、ある特定の方法がそれらすべての因子に効果があるという、魔法のようなものは存在しない。
そんな中で、われわれがとりうる最も基本的で効果的なアプローチとして、患者自身の予防行動に働きかけることが考えられる。つまり、患者にどの方法を薦めるかではなく、予防行動自体をいかに起こしてもらうべきかに、われわれはもっと時間とエネルギーを使うことである。
カリエスの発生の確率は、リスクレベルの増加、時間の経過とともに高まり、予防行動の増進によって減少する(図2)。単純なPMTCなどでリスクレベルのみを減少させるアプローチより、患者の予防行動を増進させれば、結果としてリスクレベルも一緒に減少することからである。
では、患者が予防行動を起こすにはどうしたらよいか? 私は、まだそれに対する明確な答えを持ち合わせていない。
ただし、それは患者のそれまでの体験してきた経験や環境、価値観(健康観)などに大きな影響を受けているものと考えられるため、歯科臨床医は口腔内のことだけでなく、患者の持つ背景や環境を理解するために、社会学、心理学、栄養学などにも精通する必要があると思う。
参考文献
1.大野純一著「では予防歯科の話をしようか マーロウ先生の北欧流レッスン」(医歯薬出版 2010)
2.Edwina A.M.Kidd著「Essentials of Dental Caries」(Oxford University Press 2005)