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学術・研究

歯科2016.05.22 講演

歯科定例研究会より
健康長寿の基盤は咀嚼と義歯

東京医科歯科大学大学院高齢者歯科学分野 教授  水口 俊介先生講演

1.高齢化の推移と将来推計
 2025年には75歳以上の高齢者が2179万人に達すると予想されている。2011年歯科疾患実態調査では、8020の達成者は38.3%であり、80歳以上で20本以上歯を持っている人たちが38.3%いるということである。これはある意味では素晴らしいことだが、歯を多く持った高齢者が増加するということで、ますます口腔の管理は複雑になると考えられる。
 さらに「義歯装着者の年齢層」を2005年度と2011年度で比べると、部分床義歯や全部床義歯を装着している人の割合は減少している。しかしながら高齢者の絶対数が増加しているので、割合が減っても義歯装着者の数自体は変わらず、加えて高齢になるということは要介護になる可能性が高くなるため、ますます義歯の治療に関して困難な状況が出てくることが推察される。
2.口腔機能と生存率さまざまな臨床研究
 2000年に発表された北九州高齢者福祉施設入居者に対する追跡研究では、無歯顎で、義歯無装着であった者は、残存歯20本以上の者と比べると、身体的健康状態は10.3倍、精神的健康状態では3.1倍悪化しており、健康悪化に対するリスクが非常に高かったと報告されている。
 イタリアの地域在住の高齢者のデータでは、上顎10歯、下顎8歯以上残っている場合と、歯がなくても義歯を入れている人は、歯がなくて義歯を入れていない人より有意な差があったということが示された。また40歳以上の宮古島住民の集団を追跡調査したデータでは、80歳以上では、男女とも機能歯数(義歯が入っている場合は歯があるとする)が10本以上の住民において、有意な生存期間の延長がみられた。つまり歯がない、あるいは歯がなくても義歯を入れている人と入れていない人では、健康上の差があることが分かっている。
3.高齢者の自立度変化パターン
 年齢が進むにしたがって自立度は低下している。男性の10%は死亡する直前まで自立を保っている。いわゆるピンピンコロリを達成している。20%は60歳を超えたところで脳梗塞など、自立度が低下するようなイベントが発生し、自立度が急激に低下してゆき低下したまま死亡する。70%は70歳代の後期高齢者になった時からだんだんと自立度が低下し、弱ってきてお亡くなりになる人という形である。この自立度が落ちていくという状況を「虚弱(フレイル)」という。
4.フレイルとオーラルフレイル
 国立長寿医療研究センターの研究グループが次のような仮説を発表した。
 フレイルが進行し要介護状態になる過程をいくつかに分けて説明することができる。健康な状態から前フレイル期となるが、そこでは社会性の低下や抑うつされた状態から、口腔リテラシーの低下が生じる。つまり口の中への関心が低下してしまう。そのために歯周病やう蝕による歯の喪失などが発生する。
 次のオーラルフレイル期では歯の喪失等により、食べられない食品が増加し、食欲低下や摂取可能食品の多様性も低下する。次のサルコロコモ期では、食べる量が低下し、低栄養になり、筋肉量が減少しサルコペニアといわれる状況になる。サルコペニアというのは筋肉がだんだんと減ってくる、力が弱くなってくるということである。
 今後歯科医療関係者はオーラルフレイルというものを取り上げて、そこにどういう要素や数値が介在するのか。例えば咬合力、口腔乾燥、舌圧、咀嚼能力、口の中の汚れの程度などを議論していかなければならない。
5.咀嚼と脳
 脳幹などの中枢神経と筋肉や歯などの末梢器官と感覚受容器という三つが関与して、咀嚼システムを構成している。脳の活動を可視化する技術(MRI、CT、PET等)が進歩したことで、咀嚼と脳の研究が進歩した。食べることは、いろいろな刺激を脳に伝えるということになる。家族団らんの楽しい食事は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚を刺激し、おいしかったという記憶は脳を刺激し活動させる。
 図はPETでみたチューインガムをかんだ時の脳の血流量の増加を示している。小脳、橋、線条体、補足運動野で血流量の増加が示されている。またfMRIによる研究で、チューインガムをかむことで海馬の活性が1.4から3倍増加するという報告もある。
 またガムをかむことでドーパミンが出るということが、人間で初めて示された。ドーパミンは報酬系に大きく関与する物質である。重要な物質がチューイングすることによって分泌量が増加したということである。少しずつではあるが、脳の中の機能や外との行動との関連が分かってきた。
6.咀嚼は口腔内での粒子の選別と粉砕の過程
 咀嚼をするというのはどういうことであろうか。難しく言えば、「口腔内での粒子の選別と粉砕の過程」ということである。つまり、ピーナッツをバリバリと食べる時に、口の中でピーナッツの小さな粒と大きな粒を自動的により分けて、歯の上に乗せている。同じところでかんでいたら咀嚼は進行しないので、大きい粒を舌が拾い上げて奥歯の上に乗せてかむことを繰り返しているのが、咀嚼ということである。
 食片の大きさや性状・位置情報、頬粘膜・舌運動による食塊の移送ということがすごく大事になるので、口の中に入れて形や大きさを感知する能力(OSAスコア)と大きく関連している。
 例えば中にちょっと小骨があるような食べ物をかむ時には、小骨があると意識して小骨を砕こうと思って意識して咬合面に小骨を持っていく。ピーナッツは単純に大きいから砕くという判断でよいが、小骨などというのは柔らかいものの中に硬いものがあるという微妙な感覚を口の中で検知して、同時にそれを意識して、歯の表面に乗せてということになる。そのなかにもし細かい石があったりしたら、それを回避する運動に変わってくる。それらの複雑な運動は学習をしなければならない。咀嚼というのはすごく精緻な運動であるけれども、本能ではなく学習して獲得していくことを私たちは覚えておかなければいけない。
7.咀嚼と栄養の関係
 野菜や果物の摂取と致死リスクが関連するという報告がある。また歯が欠損すると栄養状態が低下する、あるいは、咀嚼能力が低下するということについても多くの報告がなされている。多数歯欠損を補綴しないでいると、致死リスクが増加するということも報告されている。
 それでは、歯がなくなった所に義歯を入れると、咀嚼能力が向上して、栄養状態がアップし、致死率が減少するのであろうか。実は歯の欠損を補綴するだけだと、栄養状態は大して改善しないという報告が多く存在する。義歯にして能力は向上するが、栄養状態改善はないということである。インプラント・オーバー・デンチャーでも栄養状態に変化がないということが多い。
 しかしながら、義歯の製作と同時に栄養指導を実施すると栄養状態が向上する。すなわち義歯製作と管理栄養士による栄養指導を組み合わせると、栄養状態が向上するということが報告されている。しかしながらこれを実施するのは実際難しい。だから、簡便な食事指導のパンフレットや冊子等を読んでもらうことで同様の効果が期待できないかというのが、今の課題である。
8.下顎総義歯への軟質裏装材の適用
 今春の歯科医療保険の改訂によって、下顎総義歯への、シリコーン系軟質裏装材によるリラインが保険収載された。顎堤が吸収し粘膜が菲薄化した高齢義歯患者にとっては福音であるが、正しく使わないと効果が得られない。まず、間接法のみが保険適用になるということである。直接法で行うと口腔内の口臭原因物質等によって重合阻害をきたし、もともと接着力の弱いシリコーンがレジン床からはがれやすくなってしまう。また、シリコーン系軟質裏装材は微妙な内面調整が難しい。ほとんど不可能といってもいいくらいである。したがってリラインの前にダイナミック印象により義歯の形態を正しく決めておく必要がある。そのためには義歯治療の基本を押さえておいてほしい。
9.健康長寿社会のための歯科からの発信
 高齢者の口腔の健康を維持し、QOLを保つことが健康長寿社会の達成のために重要であることが徐々に明らかになってきた。私たち歯科医療関係者は、口腔の重要性を患者さんに、社会にはその必要性を啓蒙しなければならない。ただ啓蒙するだけではなく、私たちが患者さんの口腔内を改善するような診療を行っていることを発信することが大変重要である。そしてその使命があることを強く意識しなければならない。
(5月22日歯科定例研究会より)


図 咀嚼と脳血流(PET)

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