兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2010年9月05日(1632号) ピックアップニュース

私の地元自慢7 歴史とロマンあふれる明石

1632_03.jpg 今、明石で全国的に有名なものは、「魚ん棚(うおんたな)」と「明石焼き」であろうと思います。殊に最近は明石焼きのお店が驚くほど増えて、休日などはお店の前に観光客が長蛇の列を作っていたりします。
 目の前には淡路島が横たわり、今は明石大橋が架け橋となって、近代化した明石の一つの象徴になっております。
 明石も、どんどん変わってゆきつつあります。その一方で、古い歴史を持つものがたくさんあるのです。明石はあの「源氏物語」の中に、須磨などと共に美しい保養地として登場しております。千年以上も昔の明石を想像すると、何となく「光源氏」や「明石の上」の世界が実際にあったことのように思えます。
 その他にも様々な史跡が残されています。明石城は1619年に小笠原忠政が徳川秀忠の命により築城したものだとか。それより少し歴史を遡り、安土桃山時代には有名なキリシタン大名・高山右近が、明石に流されて住んでいたことがあるとか…。それでも彼は明石の船上(ふなげ)城跡の近くにある宝蔵寺というお寺を教会として使って、信仰を守り続けていたということです。
 私が子どもの頃に住んでおりました一帯は、忠度(ただのり)町と呼ばれておりました。すぐ近くには右手塚(うでづか)町という町名もありました。源平「一ノ谷の戦い」に敗れた平清盛の弟・平忠度が、現在の山陽電車「人丸駅」の近くにあった両馬川で源氏の追手に討たれた時、その亡骸を葬ったのが忠度塚で、それにちなんで忠度町という町名が生まれ、また、忠度の右腕を埋めた右手塚にちなんで右手塚町という町名が生まれたのだと聞きました。今は、残念ながらその町名はなくなりましたが。
 その他にも、月照寺、柿本神社、高家寺と、歴史のある寺院・神社が多くあります。
 個人的には、二刀流の宮本武蔵が播磨あるいは美作の人であり、剣豪であったのみでなく都市計画の才能があったため全国を行脚しながらそういう仕事をしたという話や、実際に明石の本松寺をはじめ、いくつかの寺院に武蔵が設計したという庭園が残されているという事実がとても興味ある発見でした。
 明石という土地は、その気になってみれば路傍の石にも、目立たない標識にも、何らかの歴史が秘められているような可能性がある、ロマンあふれる場所なのです。
【明石支部 谷 順】
 

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