2012年5月25日(1687号) ピックアップニュース
主張 生活保護 バッシングは見過ごせない
生活保護受給者の急増とともに、一部のマスコミは「不正受給」問題をことさらにとりあげている。中には、医療機関を貧困ビジネス並みに扱うような論調の報道すらある。貧困と格差の拡大を問題にするのではなく、「生保イコール不正」という図式をイメージさせるような、まさに生保バッシングというべき事態である。
こうした論調の特徴は、第1に「就労能力があるのに生保を受給するのは不正」とみなしていること、第2に「不正」の排除を理由に需給条件をもっと厳しくしろと主張していること、第3は生保費用は抑制すべき、などとしていることである。
一見、なにも間違っていないことのようだが、ここには落とし穴がある。
生活保護法では、困窮する国民の保護を目的としており、就労能力の有無それ自体を給付の要件にはしていない。
就労について保護法第4条は「利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件」としているが、これは能力を活用しなさいと言っているにすぎない。どんなに就労能力があっても、就労する場がなければ生活困窮に陥らざるを得ない。
完全失業者数が300万人を超え、年収200万円以下のいわゆる働いても生活できないワーキングプアが1100万人を超えている状況は、就労能力として個人の責任で解決できる問題ではない。
札幌市白石区で、3度も区役所を生保申請に訪れながら、受給することなく姉は病死、妹は凍死した事件があった。
報道によれば、区役所は「就労能力」を盾に、申請者を追い返していたことが明らかになっている。担当者は「もう一度、来てもらえば保護の対象になっていたと思う」と言い訳していたが、「就労能力」を盾にした「指導」が間違っていたとは言っていない。おそらくは4回来ても同じ結果であったろう。しかし、これは憲法違反だ。
このような生保行政の「指導」は、「水際作戦」と呼ばれる。北九州方式とも呼ばれ、これまでに何度も「事件」を引き起こし、社会保障推進協議会などの運動で、その是正が働きかけられてきた。
しかし、生保申請を抑制する行政の仕組みは、長年の自公政権のもとで強化されており、民主党政権になっても、いささかも改善されていない。
日本の保護率(利用者/人口)は1.57で、ドイツ9.7、イギリス9.27に対して6分の1程度で、先進国最低である。なぜ、生活保護制度で貧困者が救われないのか。
医療と貧困の関係は、切っても切れない。貧困は人間の心と体を蝕み、病んだ心と体では貧困から脱出することができない。
自殺者が3万人を超えている日本の格差社会の是正こそ必要なのに、生保バッシングは、問われるべき行政の責任を覆い隠し、患者と医療者を分断しようとするものだ。
われわれには、社会保障としての医療を担うものとして、生保患者の医療を守り、貧困と病気の悪循環を断ち切るための役割がある。