2012年8月25日(1695号) ピックアップニュース
東日本大震災 小林和先生インタビュー 被災地でメンタルケアの大切さ広げる
【こばやし かず】徳島大学医学部卒、精神科医、主研究領域(精神療法、精神分析学、児童青年精神医学)。現在、精療クリニック小林院長。資格 精神科専門医、精神科指導医、児童青年精神医学界認定医、産業医、精神分析学会認定精神療法医、同認定精神療法医スーパーバイザー
神戸市中央区・精療クリニック小林の小林和先生が、宮城県保険医協会が仙台市内で7月29日に開催した「第21回地域医療懇談会―特別企画ー」で「災害とメンタルヘルス」と題し、災害後の心の変化やPTSDの症状などについて講演された。当日参加した池内春樹理事長と武村義人副理事長が活動内容をインタビューした。
精神科受診をためらう被災者
池内 先生は、震災以来ずっと東北で活動されているのですか。小林 はい。昨年4月に訪問したのが最初で、その後、毎月1度は週末を利用して東北を訪れ、メンタルケアについての講演や相談活動などを行っています。精神医療に対する偏見が根強く、被災者は受診をためらう傾向がありますので、関心を高め偏見をなくすことが精神の健康につながると考えています。
武村 先生ご自身も17年前、阪神・淡路大震災で被災されておられますね。
小林 ええ。診療所は半壊しその復旧をしながら、電話相談など、精神科医療専門家によるボランティア活動を主宰してきました。
震災のように命が脅かされるような出来事を体験すると、心が折れます。最近は知られるようになりましたが、この状態を「トラウマ」といい、トラウマが原因で睡眠障害、回避行動、フラッシュバックなどの症状が続く「PTSD(Post Traumatic Stress Disorder、〈心的〉外傷後ストレス障害)」の患者さんが多数生まれてしまいます。これを防がなければならないと思ったのです。
池内 阪神当時は、PTSDなどの言葉もあまり知られていませんでした。
小林 当時は専門家の間でもあまり知られていませんでした。精神科医療に対する偏見も強かったので、その意識を変え、精神科医療について知ってもらうよう努力しました。
そのこともあり、特に阪神地域ではPTSDなどメンタルヘルスに関する言葉が一般的になり、気軽に精神科を受診できるようになってきたように感じます。
「気づく」ことが治療の第一歩
池内 春樹 理事長
小林 ほとんどの方が、精神障害は自分には関係ないと思っておられます。あれほどひどい災害に出遭ったのだからストレスは当たり前と思いこみ、ケアしようという発想に至らないのです。お話をすると「私ちょっと危険かも...」「うちのお父さん、そうだったわ。眠れなくてお酒ばかり」など、当たり前と思っていた状態が危険なんだと気づかれるのです。
池内 「気づく」ことが治療の第一歩だと。
小林 そうです。皆「がまんしなきゃ、耐えられない人間は弱い」と思っておられますが、この「気づき」が一番大事なんです。なんとなく眠れない、食事がおいしくない、楽しくないなどはそのサインです。周囲の人もおかしいなと思ったら、本人に「少し、いつもと違うよ。専門家に相談してごらん」と伝えてあげてください。
武村 早めの受診を勧めるということですね。
小林 ええ。寒風にさらされれば、人は誰でも風邪をひきます。東日本大震災という精神的・心理的に大変な寒風が吹きすさべば、心も風邪をひくのです。低く見積もっても、悲惨な体験をした人の3~5%がPTSDを発症すると考えられています。今回の震災で10万人が家をなくしており、5%で5000人。これだけの患者が一気に生まれるというのは大変なことです。
PTSDは原因がはっきりしているので、専門的にきちんと治療を行えば治りますが、こじらせてしまうと性格の変化が起こるので大変です。早めのケアや受診が肝心なのです。
支援者の相談ほっとライン
武村 義人 副理事長
武村 先生は被災者だけでなく、支援者のケアにも力をいれられていますね。
小林 支援する側にも精神的な安定とゆとりが必要です。悲惨な体験の話を聞いているうちに、のめりこんで同調してしまうと自分を見失うことになりかねません。そうなると、支援者の精神障害という2次被害を生んでしまいます。
池内 どのようにケアされるのですか。
小林 被災者から聞いた被災体験を支援者がグループで語り合う「デブリーフィング」が有効です。被災者から聞いた体験を共有することで、一人で抱え込むことを防ぎます。
さらに、日本精神神経科診療所協会の主催で、「災害支援者ストレスほっとライン」を立ち上げました(下図)。フリーダイヤルで支援者からの相談を受け付け、全国の心の専門家がいつでも相談に乗れる体制を作っています。まだまだ認知度が低いので、幅広い広報が課題です。
池内 兵庫協会でも広報していきたいと思います。
阪神で役立った協会の支援
図 支援者ストレスほっとラインのチラシ
小林 当時、私もPTSDを知識として知ってはいたものの震災直後には思い至りませんでした。被災5日目に1人の被災者の方からの電話で「PTSDだ。これから大変なことになる」とぱっと思い出し、専門家が24時間いつでも相談を受けられる体制をつくろうと、電話相談を思いつきました。ストレスを抱えると、一晩中悩んで、明け方に魔がさして自殺してしまう例が非常に多いからです。
池内 あの頃は今のようにインターネットも携帯電話も普及しておらず、情報を発信するのも集めるのも大変だったでしょう。
小林 ええ。FAXを全国の知り合いに送り、協力を要請しました。
すると、九州の友人が看護師さんに携帯電話を持たせて派遣してくれ、東京から臨床心理士さんが、千葉から精神科医が到着されました。1月28日のことです。
そこへ朝井榮先生(前理事長)が協会に協力を依頼してくれた結果ですが、協会事務局の方が、当時まだ珍しかった携帯電話を2台持ってきてくれたのです。
専門家が3種3人に携帯電話が3台ある。今すぐ始めようと、29日0時から電話相談を開始しました。あの日のことは忘れもしません。協会からの迅速な支援のおかげで大変感謝しています。
武村 こちらこそ、協会でも何度もご講演やご意見をいただき、ありがとうございました。兵庫協会では、東日本大震災被災地での活動として、半年に一度程度、仮設住宅や病院を訪問し、健康相談や文化的なものに触れてもらおうとコンサートを行うなどの支援も続けています。
小林 音楽は、心だけでなく体全体をリラックスさせますので、いいですね。色々な側面からたくさんの人が関わり続け、被災者の方に「忘れていないよ」とサインを送り、つながり続けることが大事だと思います。
池内 ともに被災地の方々の健康を守るためにがんばっていきましょう。ありがとうございました。