2013年1月05日(1707号) ピックアップニュース
第82回評議員会「日本経済を殺した真犯人はだれだ!?」三橋 貴明氏 講演詳録 積極的な財政出動で日本経済再建を
【みつはし たかあき】東京都立大学(現・首都大学東京)卒。外資系IT企業、NEC、日本IBMなどを経て2008年に中小企業診断士として独立、三橋貴明診断士事務所を設立した
本日は皆さんの前に単にお話をするために来たわけではない。講演のテーマは「日本経済を殺した真犯人は誰だ!?」となっているが、その真犯人によって「既得権者」などと間違った批判を受けている人たちである医師、公務員、農家、建設業者などに、たたかうための武器を渡しにきた。こうした人たちはバブル崩壊から20年間ずっといじめられてきた。しかし、黙っていてはいけない。正しい情報を持ってたたかってほしい。
日本経済を殺した真犯人と維新の会
皆さんをいじめている人たち、つまり日本経済を殺した真犯人は新古典派経済学者とか新自由主義経済学者と呼ばれる人たちである。その典型が小泉構造改革を進めた慶應義塾大学教授の竹中平蔵氏だ。彼は今、日本維新の会のブレーンを務めている。だから、日本維新の会が発表した政策集「維新八策」は100%新古典派経済学に基づいている。新古典派経済学の祖であるミルトン・フリードマンが80点はくれるだろうという内容だ。医療関係の政策でも、混合診療の拡大、バウチャー制の導入、TPPへの参加などがあげられている。
インフラは「経世済民」のため
医療は農業や建設業とともに国家のインフラだ。日本には国土があってその上に、道路などインフラが整備されている。さらに、社会制度として医療、農業、安全保障などのインフラがある。こうしたインフラはすべて「経済」のために整備されている。「経済」というのは「経世済民」の略だ。「経世済民」とは「世を經め、民を濟う」という意味だ。つまり国民を豊かにするためのまつりごとである。だから、企業経済とか家庭の経済などと言うのは誤りだ。企業の場合は経済ではなく経営だ。企業の第一の目的は国民を豊かにすることではない。株主の利益を追求し、経営者や役員が働くのが株式会社である。一方、国は国民を豊かにするNPOである。
株主のための教育でいいのか
維新の会の討論会で、維新に合流する政治家に橋下徹氏が「学校の株式会社化に賛成しますか」と聞くと、参加したすべての政治家が「賛成する」「大賛成」と答えていた。しかし、本当にその意味を理解しているのかと疑問に思う。学校が株式会社化されれば、株主のための教育が行われることになる。学校教育が国民を豊かにするためのインフラでなくなるということだ。たとえば中国やアメリカ資本の学校で、中国やアメリカの株主のために日本の子どもたちに基礎教育が行われることになる。民営化とセットで導入されるのが「バウチャー制」である。バウチャーとはクーポン券のことだ。保護者が自由に学校を選び、バウチャーを渡して子どもに教育を受けさせる。そうなると民営化された学校は利益を上げるため、バウチャーを集める競争を始める。クーポンが集まる学校はいいが、そうでない学校は利益を上げるためにコストを削減し、満足な教育を施せないかもしれない。こうして学校間の格差が生じ、教育格差が広がっていくだろう。それで本当にいいのだろうか。もちろん高等教育であればさまざまな区別があっていいだろうが、基礎教育というのは社会の一員として「このレベルはクリアさせる」というものだ。だからこそ、国家が質を維持しなければならない。
混合診療は医療保険ビジネスのため
医療でも同じだ。株式会社が病院を経営するようになれば、株主のために利益を上げなければならない。そのためにはコストをなるべく下げる必要がある。非常に怖いことだ。また、混合診療が解禁されれば、保険適用外の治療はどんどん値上がりするだろう。命を救うから数千万円払ってくださいと。患者は払えないので、いざというときのために医療保険に入る。医療保険ビジネスは株主の利益のために経営をするから、なるべく多くの保険料を取り、保険金の支払いをなるべく抑えるというとんでもない業態だ。今、アメリカの大手保険会社は、オバマの医療保険制度改革でアメリカ市場では食っていけなくなりつつある。そこで、世界第2位の消費大国である日本のマーケットを開放させようとしている。
今はアメリカの保険会社が日本でビジネスをしたくても、国民皆保険制度があるから参入できない。それで、混合診療を導入させ、保険外の医療や薬品を増やそうとしているのだ。
しかし、医療というのは国民の生活に欠かせないインフラだ。それを市場原理に任せてしまうことが本当に正しいのだろうか。アメリカでは実際に、医療は市場原理に委ねられている。そのため、国民医療費の対GDP比は日本の2倍だ。それですばらしい医療が提供されているのだろうか。確かに金持ちはいいが、金がない人は医療保険にさえ入ることができず、命の危機にさらされている。日本が1位のWHO健康達成度調査は、アメリカが16位だ。個人破産の理由の半数が医療費の未払いによるものなどという国は先進国とは呼べない。
財政出動を促したケインズと高橋是清
さて、日本経済を殺した真犯人は新古典派経済学者だと言ったが、彼らは市場原理に任せればすべてうまくいくという考えを持っている。では、なぜ「新」古典派なのか。それは、以前、古典派経済学と呼ばれる経済学があったためだ。英語では「クラシカル」あるいは「オーソドックス」と呼ばれている。この経済学は1929年以前に猛威をふるい、世界大恐慌を引き起こし、さらに第2次世界大戦まで招いている。非常に恐ろしいのは、当時が今の状況に酷似していることだ。当時、日本では1920年に大正バブルが崩壊し、23年に関東大震災が起こった。そして復興のための支出などで財政赤字が膨らんでいった。そのときに古典派経済学者は財政均衡を重視し、増税と支出削減を行うように政府に働きかけ、デフレ経済に突っ込んだ。その後、29年に世界大恐慌が起こった。そして33年には東北地方で昭和三陸地震が発生、死者行方不明者あわせて3千人以上の被害を出した。どこかで聞いたような話だ。
1990年にバブルが崩壊し、95年に阪神・淡路大震災が発生した。政府は財政赤字を理由に消費税を増税し、政府支出を削減した。その後、2007年にリーマン・ショックに端を発する世界同時金融危機が発生。そして11年、東日本大震災が起こった。
では、当時の日本はどのようにしてデフレ経済を克服したのだろう。当時の日本のデフレは物価の下落率が10%という非常に激しいものだった。日本だけではなく、世界も不況に苦しんでいた。アメリカでは29年に3・2%だった失業率が4年後の33年には24・9%になった。ヨーロッパではドイツの失業率は43・3%になっていた。そうなると社会にはルサンチマン(主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情)があふれ、公務員などへの批判が強まり、閉塞感が高まった。そこで出てきたのがナチスだ。
各国では雇用が問題となったが、古典派経済学者たちは高い失業率を、職種のミスマッチや労働者が高い賃金を望みすぎるためだとした。つまり、高い失業率の原因は労働者の能力不足とわがままが原因で、放っておけば長期的には失業率は下がるということだ。これに異を唱えたのがジョン・メイナード・ケインズだ。ケインズは「不況下で職がなければ死んでしまうのだから労働者はわがままなど言わない」と言って、財政出動の必要性を唱えた。
ケインズよりも早く古典派経済学者の間違いに気づき、主要国の中でもっとも早く日本を不況から脱出させたのが高橋是清だ。彼は「緊縮という問題を論ずるに当たっては、先づ国の経済と個人経済との区別を明らかにせねばならぬ。例えばここに一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以て生活し、あと二万円はこれを貯蓄する事とすれば、その人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、これを国の経済の上から見る時は、その倹約に依って、これまでその人が消費しておった二万円だけは、どこかに物資の需要が減る訳であって、国家の生産力はそれだけ低下する事となる。ゆえに国の経済より見れば、五万円の生活をする余裕のある人には、それだけの生活をして貰った方がよいのである」と述べた。
デフレとは富が消費されないこと
国民経済の中心は所得だ。所得は、労働によって生産されたモノやサービスが消費されることにより生み出される。大切なのは働かなければ所得は生み出されず、消費されなければ所得は生み出されないということだ。この所得を国民全体であわせたものがGDPだ。GDPは国内総生産と呼ばれるが、生産されたものが消費されて所得となるので、国民総所得、国民総支出(消費と投資)と一致する。このGDP(所得)がすべての源泉である。企業や国民が生産活動や借入、社会保障や補助金の給付で得た所得は徴税、消費や投資、貯蓄に回る(図1)。このうち、企業や国民、国の消費や投資は他の人の所得となる。だから、高橋是清が言ったように5万円の所得を得た人が、3万円しか使わなければ、他の人の所得は3万円にしかならない。こうした形で経済の縮小が強制的に行われるのがデフレだ。
デフレ下では生産力はあるが、需要がないので消費されない。すると、モノやサービスの価格は下がる。価格が下がればそのモノやサービスを提供する人の所得も少なくなる。所得が少なくなればさらに消費が細ってしまう。今、まさに日本で起こっているこうした悪循環をデフレという。
では、なぜこうなってしまったのだろうか。すべての始まりはバブル崩壊だ。バブルの特徴は資産価値の上昇と借金の増加だ。資産の価値が上がり続けるために、企業や国民は借金をしてまで資産に投資をする。そして、投資で得た利益をさらに投資し、資産の価値を上げる。この循環が爆発的に速まることによって発生するのがバブルだ。
世界で初めてのバブル崩壊はオランダで1637年に起こった。当時、市民が借金をして投資したのはチューリップの球根だ。無窮の皇帝という意味の「センペル・アウグストゥス」というチューリップは、今の日本円で2億4千万円という高値をつけたと言われている。「オランダ人は馬鹿だなぁ」と笑えない。日本人もバブルの時、本来の価値とかけ離れたものを購入していた。たとえばゴルフ場の会員権だ。当時の平均価格は4千万円。購入した人はゴルフがしたくて買ったわけではなくて、値上がりするから買っていた。今は平均価格が200万円を切っている。
図1 GDPこそがすべての源泉
企業が投資せず内部留保230兆円
バブルが崩壊すると借金をして手に入れた資産の価値が暴落する。資産の価値が暴落しても、借金は残る。すると、企業や国民はそれ以上の借金をしなくなる。借り入れをしないどころか、どんどん借金返済をはじめる。企業が借り入れをせず、返済ばかりするので、銀行には貸し付け先のない資金がたまる。さらに一般の企業や国民は借金返済だけでなく、貯蓄を増やす。今、日本の家計の現預金は830兆円に上っている。これはアメリカの全家庭の現預金の1・5倍の規模だ。さらに日本では大手企業までが莫大な預金をしている。大企業の内部留保のうち現預金は230兆円だ。
行き場を失った預金が国債に流れる。そのため、国債金利が暴落する。現在、日本の10年物国債の金利は0・76%だ。歴史上、政府発行の10年満期の債券金利が1%を割ったのは、日本が初めてだ。最近になってスイスの国債も1%を割った。リーマン・ショックが起こったアメリカ、ユーロバブルが崩壊したドイツ、不動産バブルが崩壊したイギリスなどの国債も過去最低水準となっている。
国民経済における企業の役割は銀行融資を受け、それを投資し経済を回すことだ。また、銀行の役割は企業や国民の預金を原資に企業に資金を融資し、投資を促すことだ。しかし、企業が投資をしないので、銀行融資も行われていない。
バブル期、日本企業は莫大な設備投資を行った。この時期の日本企業の設備投資額は、絶対額でアメリカ企業の2倍に達していた。企業が投資をするのは生産を増やすためだ。好景気でさまざまなモノやサービスが売れるので、供給力を高めたのだ。バブル期を経て日本企業は強大な供給能力を手にした。
しかし、バブル崩壊で景気が後退し需要が縮小すると、生産を縮小し、新規の設備投資を行わなくなった。その後、需要を公共投資で下支えしていたが、97年以降の政府は公共投資を削減しはじめた。それがこの長きにわたるデフレ経済の始まりだ。
なぜデフレを脱却できないのか
普通の国は現実の需要に対して供給能力が不足しているので、物価が上がる。簡単に言うとモノがないということだ。そうした状況ならばインフレを抑制するため、需要を減らすよう政府支出を減らし、規制緩和を行って企業の生産力を高める必要がある(図2)。しかし日本では97年の緊縮財政以降、食料とエネルギーを除いた物価指数であるコアコアCPIが下がり続けている。さらに平均給与はそれ以上に下がっている(図3)。所得が縮小しているということだ。今年の新入社員の初任給は20万円を切っている。GDPが20年間変わっていないのだから当たり前だ(図4)。税金の出所も所得だ。橋本政権下では消費税の増税を行ったが、税収は減った。デフレ期の増税が消費や投資をさらに冷え込ませ、GDPが下がったためだ。
国債発行残高の推移を見ると、政府の借金は確かに増えている。しかし、内訳を見てみると増えているのは特例国債だ。特例国債とは政府の税収を補てんするものでいわゆる赤字国債といわれるものだ。一方の、公共投資の原資となる建設国債は増えていない。本来ならば、日本は増税するのではなく公共投資を増やす必要があった。
公共投資は阪神・淡路大震災の復興が行われた96年がピークで、それ以降削減され、今では半分になっている。公共投資を削れば国内の需要を押し下げてしまう。需要が押し下げられればGDPが増えない。GDPが増えないから税収も増えない。税収が増えないから増税や公共投資削減をさらに進める。するとさらに現実の需要が小さくなるという悪循環が起こっている。
結局日本がデフレを脱却できないのは、供給能力はあるのにも関わらず、バブル崩壊で企業も家計も金を使わなくなったためだ。そして、政府もプライマリーバランスを均衡させるために公共事業を削減し、診療報酬も引き下げて政府が支出を減らしている。政府自ら需要を減らしているのだ。
新古典派経済学の誤った処方箋
こうした中、新古典派経済学者は、企業の合理化を進めろ、緊縮財政路線をとって政府の支出を削減しろ、失業率が高いのは職種のミスマッチだから放っておけばよいと言っている。EUの経済は現在、危機的な状況にあるが、さらにまずいのはドイツが新古典派経済学者に支配されていて、まともな景気対策が打てていないことだ。スペインやギリシャの危機に対して、ドイツが提案したのは増税と公務員削減、政府支出の削減、雇用の流動化だ。スペインの失業率は24.5%、ギリシャも24.5%だ。若年者の失業率は両国とも50%に達している。これに対し、ドイツの新古典派経済学者は「簡単に解雇ができないから企業が人を雇用しない。企業が解雇しやすくすべきだ」と訴えた。スペインはこれにだまされ、その通りにした。すると当たり前だが、解雇が増えただけだった。失業者が増えれば、所得はさらに減り、景気悪化に拍車がかかっている。また、増税も強行しているが、GDPが減り、結局は減収になっている。
日本でも、規制緩和によって大変なことが起こっている。一例としてタクシー業界を見てみよう。政府はそれまでタクシーの総量規制を行っていたが、04年にその規制を撤廃した。すると、新規参入業者が増え供給過剰に陥った。そのためタクシーの運転手の賃金は減り、大阪ではタクシー運転手の年収は200万円を切った。沖縄では100万円を切っている。それで何が問題か。タクシー運転手がお金を使えなくなった。個人消費が冷え込めば、さらにデフレは進んでしまう。こうした悪循環が起こっている。
TPPで悪化するデフレ
規制緩和や自由貿易の推進は競争を激化させる。競争が増えれば、供給能力は高まる。たとえば、TPPで海外の企業が日本に参入してくれば、国内の競争は激化する。農業もそうだ。しかし、競争が激しくなれば、負ける人や企業も出てくる。オーストラリアの農家の1件あたりの耕地面積は日本の農家の1500倍だ。日本の農家とオーストラリアの農家が競争しても、日本側が勝てるわけがない。確実に日本の農家は廃業する。現実の需要がふんだんにあるならば、農家は廃業しても他の職に就けるかもしれない。しかし、今は状況が全く逆だ。また、TPP推進論者は、TPPによって10年間で2.7兆円GDPが増えるといっている。しかし、1年2700億円ということは年収500万円の人の収入が2700円増えるという程度の話だ。また、供給力が競争激化で増えるため、物価は下がる。TPP推進論者は、物価が下がると余った金は他の消費や投資に回るというが、それは本当だろうか。余った金は預金され、単に需要(消費と投資)が減るだけなのではないのか。
さらに、デフレで物価が下がり、相対的に外国の通貨に対して円が高くなる。円が高くなると製造業も輸出が減り、儲からない。
正しい処方箋は公共投資増加
では、どうすればいいのか。過去の例に習えばいい。デフレギャップを埋めるためには消費と投資を増やす必要がある。しかし、デフレ期は投資効率が悪すぎ、民間投資は増えない。家計も将来不安で消費が増えない。政府が行うしかない。診療報酬の引き上げや、災害対策の公共事業も行えばよい。「財源がない」と思われるかもしれない。しかし、政府が日銀に国債を引き受けさせ、資金を調達すればいい。そうするとハイパーインフレーションになるという批判がある。しかし、そもそも日本銀行は、国債を国内の銀行から買うというかたちで通貨を市場に供給している。日本銀行が国債を買うことは、買いオペレーションと呼ばれる日常業務だ。しかし、ハイパーインフレーションにはなっていない。
ハイパーインフレでなくても「インフレが起こるから問題だ」ともいわれる。だが、今の日本の課題はデフレであり、インフレになるのは良いことだ。インフレになれば、通貨の価値は下がる。たとえば、毎年5%のインフレ率になった場合、家計が持っている830兆円の現預金が毎年5%ずつ減少していく。そうなれば、誰も預金などはせず、投資や消費が活発になる。すると、国債発行で政府が資金調達をし、財政出動をする必要はなくなる。税収が増えるためだ。国民を豊かにするために存在するのが政府だ。自国通貨建ての「国の借金」を家計にたとえてはいけない。それを多くの経済学者や政治家が理解しなくなっている。
また、借金が多くなればギリシャやスペインのように日本が破綻するという批判もある。しかし、日本銀行は日本政府の子会社であり、連結決算で政府の債務は帳消しになる。そもそもギリシャやスペインが窮地に陥ったのは、自国で発行できないユーロ建て国債を発行していたためだ。日本が発行している国債は円建てだけであり、破たんのしようがない。他にも自国通貨のみで国債を発行しているアメリカ、イギリスは破たんしない。
竹中平蔵氏も日本経済がデフレであることは認めている。しかし、竹中氏はデフレの原因をお金の量が足りないだけだと言っている。だから日銀に銀行が保有する国債を買い取らせて、通貨供給を増やせといっている。しかし、銀行にいくら通貨を供給したところで、そのお金が借り入れられ、消費や投資が増えなければ物価は上がらない。
実際にアメリカでも景気対策として通貨供給量を増やしたが、そのドルの多くは先物取引市場に流れた。これでは雇用が増えない。失業率を下げるためには、医療や福祉、建設業といった、人が働くところに資金を供給する必要がある。企業は投資をすれば儲かる時は投資を行う。しかし今は企業の投資先がない。だから、政府が投資や消費をするしかない。このように金融政策と財政政策をパッケージで行う必要がある。
今、世界各国ではケインズ主義的な金融財政政策をとるのか、それとも新古典派経済学的な政策をとるのかが問われている。アメリカの大統領選挙もそこが争点だった。オバマはケインズ主義、ロムニーは新自由主義だ。もし、ロムニーが大統領になっていたら、冗談抜きで第2次大恐慌が始まっていただろう。かれは、FRBの通貨供給にすら反対していた、根っからの新自由主義者だ。
日本でも、新古典派経済学者や財務官僚のいうように「財政赤字」を理由に増税、政府支出削減、公務員削減、TPP参加の立場をとるのか、ケインズ主義的な金融財政政策をとって、政府の防災のための公共事業や社会保障支出を増やして国民経済をあたためるのかが問われている。