兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2013年9月05日(1728号) ピックアップニュース

原水爆禁止2013世界大会

 保団連も実行委員会に参加する原水爆禁止2013世界大会が、8月7日から9日にかけて長崎市内で開催され、樫林歯科(明石市)職員の西川道子氏と谷川あかね氏が参加し、武村義人副理事長と広川恵一理事から託された折り鶴を平和公園内の平和祈念像前に供えた。閉会式では戦争をテーマにした映画で知られる米国のオリバー・ストーン映画監督も出席し、戦争や平和の歴史を学ぶ重要性などを呼びかけた。現地では保団連の交流会も開かれ、協会から5人が参加、反核平和の各協会の取りくみを交流した。参加記を紹介する。
参加記(1) 被爆者への差別に憤り

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平和への思いをこめた折り鶴を届けた樫林歯科の西川氏(左)、谷川氏(中央)

 このたび、原水爆禁止世界大会に初めて参加しました。開会総会では、皆さんの熱い思いに圧倒されていましたが、2日目の動く分科会「被爆遺構・碑めぐり」に参加し、ガイドさんの話や被爆体験者からの話を聞き、自分があまりにも無知だったことに、日本人として恥ずかしく思いました。
 一発の原子爆弾によって広島は14万人、長崎は7万4千人の尊い命が奪われました。アメリカが広島の原爆投下時間を8時15分に決めたのは、この時間帯に最も多くの人々が外出していると知り計画を立てた...ということも知り、それは意図的に罪のない人間を無差別にねらったものでした。
 それなのに、「被爆者は差別を受けるため、ひっそりと身を隠して暮らしている」。原爆によって苦しみ、悲しみ、痛みつけられて、なお差別も受けるという、これほどまでもつらい思いで生きていかないといけなかった方の人生を思うと、切なさと同時に憤りをおぼえました。
 原爆投下から68年経った今も、多くの方が放射線の後障害に苦しんでいます。この経験を生かして微力ではありますが、私に今できることは、何か一つでも勇気を持って行動していくことだと思いました。
 最後に、世界大会に参加して、たくさん得るものがあり、気持ちの変化もありました。一歩踏み出してみる。この気持ちが大切なことだと感じました。
【明石市・樫林歯科 西川 道子】
参加記(2) 原爆の恐ろしさ強く感じた

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歴史を正しく学び伝えていくことを訴えたオリバー・ストーン監督

 多忙な院長の思いにかわって命を受け、2013年夏、世界大会に参加しました。「神戸方式」、「6・9行動」、「NO NUKES」など知らなかった言葉を覚え、改めて原爆や平和について考える時間ができた良い機会でした。
 私の参加した、動く分科会「被爆遺構めぐり〜穴弘法コース」では、知らなかった長崎を見ることができました。原爆投下中心碑を前に、この上空500メートルで原爆が炸裂し地表温度3000度を超え、直下にいた人たちは一瞬にして蒸発してしまった話を聞きました。
 SF映画のワンシーンのような状況が、現実に起こったことへの恐怖に襲われながら、隣で「被爆し生き残って苦しむより、消えてなくなる方がましかも...」とつぶやいた友に「消えてなくなってほしくないよ!」と言いながら、私だったら、と考えても答えは出ず、被爆者たちそれぞれのいずれにせよ厳しく悔しい思いと運命を強く感じました。
 穴弘法寺は山の中腹にあるお寺で、被爆した方々が助けを求め、山を越えて避難のため、また湧水を求め、たくさんの方が登ってこられましたが、この地で息絶えた方も少なくない場所でした。私にとっても過酷な山道でしたが、被爆し傷ついた方々がさまよった道だと苦しみを噛みしめ登りました。
 最後に長崎原爆資料館に入り、小学生のように原爆について学び、68年前の原爆投下当時の状況に思いをめぐらせ「原子力」はもう人類が使用してはいけない力だと実感しました。
【明石市・樫林歯科 谷川あかね】
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