2014年1月25日(1740号) ピックアップニュース
"東日本"と連帯し 被災者本位の復興を 阪神・淡路大震災 19年
1月17日、1995年の阪神・淡路大震災から19年目を迎えた。兵庫県下各地で様々なメモリアル行事が行われ、協会からも役員・事務局が参加。犠牲者を追悼するとともに、19年間を振り返り、いまだ残る課題を確認し、東日本大震災被災地へ経験をつなぎ、被災者に寄り添った人間中心の復興を求め、運動を続けようと確認した。(阪神・淡路大震災メモリアル特集)
今一番問題になっているのは、被災者が入居している借り上げ住宅から、20年の契約期限がきたからと高齢化した入居者を追い出そうとする問題である。兵庫県や国が被災者のために恒久的な住宅を造らなかったのが根本的な間違いだ。
私たちの粘り強い運動により、「被災者生活再建支援法」ができ、その後の被災者には住宅全壊で300万円が支給されることになった。しかし、住宅再建には不十分である。この経験を十分生かし、いまだに仮設住宅で過ごしておられる東日本大震災の被災者のみなさまのための恒久的な住宅の建設が急がれる。
そして、地域医療の再建と被災者の医療費窓口負担の免除措置が継続できるよう、国に働きかけよう。これらは復興予算を適正に使用すれば十分可能だ。
阪神・淡路大震災と東日本大震災の大きな違いが福島原発事故問題である。海沿いにある原発では、津波の被害も考えなければならない。原発ゼロを積極的に進めるべきだ。
兵庫県保険医協会は兵庫県民主医療機関連合会(民医連)と協力して、昨年8月に原発事故による避難者の方々の健康診断を初めて行うことができた。継続して行っていきたい。
東日本大震災の被災者のみなさまへの支援を兵庫県保険医協会は23次にわたって継続的に行っている。
来年の阪神・淡路大震災20周年には、みなさまのお知恵をお借りして、南海トラフ大地震に備える、すばらしい企画を開催したいと考えている。
会員の先生方の積極的なご支援をお願いしたい。
阪神・淡路大震災 19年 メモリアル行事各地で
経験つなぎ、東北へ−
1月17日に県下各地で行われたメモリアル行事のもようを紹介する。
メモリアル集会
17日、神戸市勤労会館で「東日本大震災被災地と結ぶ 阪神・淡路大震災19年メモリアル集会」が行われた。協会も参加する阪神・淡路大震災救援・復興県民会議(合志至誠協会名誉理事長が代表委員)の主催。300人が集まり、協会からは、池内春樹理事長、松岡泰夫評議員が参加した。
主催者あいさつにたった池内理事長は、阪神・淡路の経験を活かし、いまだ仮設住宅暮らしがつづく東日本大震災の被災者の恒久的住宅の建設や、窓口負担免除措置の復活を国に働きかけようと訴えた。
住江憲勇・保団連会長が、全国災対連を代表して来賓あいさつ。阪神・淡路後の粘り強い運動が被災者生活再建支援法を勝ち取ったとし、「不屈の闘いが東日本大震災被災地をどれだけ勇気づけたか。いのち、健康を取り戻すため、運動をつづけよう」と呼びかけた。
県民会議の岩田伸彦事務局長が活動報告にたち、被災者不在ですすめられた「創造的復興」に対し、被災者に寄り添い、公的支援実現を求めつづけた、19年間にわたる運動を振り返った上で、現在の課題として、借り上げ公営住宅からの追い出し問題、新長田開発事業、災害特別融資返済問題をあげた。
県や神戸市などが、民間住宅を借り上げ、被災者に提供する「借り上げ復興住宅」では、高齢を迎えた入居者に対し、20年間の契約期間満了を盾に、県や神戸市は転居を迫っている。被災者の粘り強い運動により、一部で継続入居が可能となったが、希望する全入居者の継続入居が認められるには達していない。
火災により焼け野原となった長田地区では、住民無視の大型再開発事業が進められた結果、立派なビルが立ち並ぶものの、テナントには空床が目立ち、人口は減り続けている。また、災害援護資金や営業用融資、住宅ローンなどの各種融資返済問題が、いまだに被災者を苦しめている。
岩田氏は震災復興再開発事業で大もうけしたのは結局ゼネコンをはじめとする大企業であり、企業にやさしく市民に冷たい「復興」であったとし、住民生活の復興を求め今後も運動を継続しようと訴えた。
東日本大震災被災地からの報告として、原発事故後、福島から大阪に母子避難している森松明希子さんが、小さな子どもを抱える母親として見えない放射線とたたかい、子どもが自由に外遊びできないような状況に避難を決めたとし、「事故の責任を明らかにし、今後の教訓にする」と、原発賠償関西訴訟の原告になる決意をした経緯を涙ながらに語った。
記念講演では、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が、原発事故後の福島の現状を語った。
伊東氏は、原発事故は「最大にして最悪の公害」であり、完全賠償、継続的健診の保障、被ばく低減のための除染促進、強制避難地域での地域の作り直しなど、住民のための復旧・復興実現を求めて運動していくと決意を述べた。
ながたメモリアルウォーク
阪神・淡路大震災時に大規模火災により大きな被害を受けた長田区で行われた「ながたメモリアルウォーク」(協会も参加する震災復興長田の会主催)には、75人が参加した。参加者は、新長田の街を歩き、今なお続く「復興事業」の現状を視察した。
莫大な税金が注がれた新長田駅南再開発事業により、駅前には40棟にも及ぶ巨大なビルやマンションが次々と建設された。しかし、テナントにはいまだ空きが目立ち、シャッター通りとなり、住民の高齢化も進んでいる。
案内にたった森本真神戸市会議員は、借り上げ住宅からの追い出し、災害援護資金返済などの問題がいまだに被災者を苦しめていると説明し、「復興事業」により地域のコミュニティが破壊されてしまったとし、コミュニティをどう守っていくかが大切であると訴えた。
市民 追悼のつどい
神戸市内を一望できる中央区の諏訪山ビーナスブリッジで、早朝に行われた追悼式には約100人が集まった。主催は阪神・淡路大震災被災者ネットワーク。
地震が発生した5時46分、参加者は、阪神・淡路大震災の全犠牲者に黙とうをささげ、震災被災者の生活復興を願ってつくられた「神戸・希望の鐘」をついた。
同日午前には、同実行委員会による「手作り市民追悼のつどい」が神戸市勤労会館で行われた。集まった150人が琵琶法要と声明により、犠牲者の鎮魂を願った。
主催者で、被災者の巡回相談を19年間続けてきた安田秋成氏は、あいさつで「どんなつらい災害でも、住民が立ち上がれば、国・自治体があたたかく支援してくれる社会をつくるまで、追悼を続けよう」と語った。
談話 生活復興へ粘り強い運動続けよう 理事長 池内 春樹
阪神・淡路大震災から19年の年月が流れた。今一番問題になっているのは、被災者が入居している借り上げ住宅から、20年の契約期限がきたからと高齢化した入居者を追い出そうとする問題である。兵庫県や国が被災者のために恒久的な住宅を造らなかったのが根本的な間違いだ。
私たちの粘り強い運動により、「被災者生活再建支援法」ができ、その後の被災者には住宅全壊で300万円が支給されることになった。しかし、住宅再建には不十分である。この経験を十分生かし、いまだに仮設住宅で過ごしておられる東日本大震災の被災者のみなさまのための恒久的な住宅の建設が急がれる。
そして、地域医療の再建と被災者の医療費窓口負担の免除措置が継続できるよう、国に働きかけよう。これらは復興予算を適正に使用すれば十分可能だ。
阪神・淡路大震災と東日本大震災の大きな違いが福島原発事故問題である。海沿いにある原発では、津波の被害も考えなければならない。原発ゼロを積極的に進めるべきだ。
兵庫県保険医協会は兵庫県民主医療機関連合会(民医連)と協力して、昨年8月に原発事故による避難者の方々の健康診断を初めて行うことができた。継続して行っていきたい。
東日本大震災の被災者のみなさまへの支援を兵庫県保険医協会は23次にわたって継続的に行っている。
来年の阪神・淡路大震災20周年には、みなさまのお知恵をお借りして、南海トラフ大地震に備える、すばらしい企画を開催したいと考えている。
会員の先生方の積極的なご支援をお願いしたい。
阪神・淡路大震災 19年 メモリアル行事各地で
経験つなぎ、東北へ−
借上住宅追い出し、残る借金...苦しみつづく
1月17日に県下各地で行われたメモリアル行事のもようを紹介する。メモリアル集会
〝人間復興〟へたたかいをつなぐ
300人が阪神の課題と福島の現状を考えた
メモリアル集会(神戸市勤労会館)
原発事故による福島県民の苦況を語る伊東氏
母子避難に至った思いを語る森松氏
主催者あいさつにたった池内理事長は、阪神・淡路の経験を活かし、いまだ仮設住宅暮らしがつづく東日本大震災の被災者の恒久的住宅の建設や、窓口負担免除措置の復活を国に働きかけようと訴えた。
住江憲勇・保団連会長が、全国災対連を代表して来賓あいさつ。阪神・淡路後の粘り強い運動が被災者生活再建支援法を勝ち取ったとし、「不屈の闘いが東日本大震災被災地をどれだけ勇気づけたか。いのち、健康を取り戻すため、運動をつづけよう」と呼びかけた。
県民会議の岩田伸彦事務局長が活動報告にたち、被災者不在ですすめられた「創造的復興」に対し、被災者に寄り添い、公的支援実現を求めつづけた、19年間にわたる運動を振り返った上で、現在の課題として、借り上げ公営住宅からの追い出し問題、新長田開発事業、災害特別融資返済問題をあげた。
県や神戸市などが、民間住宅を借り上げ、被災者に提供する「借り上げ復興住宅」では、高齢を迎えた入居者に対し、20年間の契約期間満了を盾に、県や神戸市は転居を迫っている。被災者の粘り強い運動により、一部で継続入居が可能となったが、希望する全入居者の継続入居が認められるには達していない。
火災により焼け野原となった長田地区では、住民無視の大型再開発事業が進められた結果、立派なビルが立ち並ぶものの、テナントには空床が目立ち、人口は減り続けている。また、災害援護資金や営業用融資、住宅ローンなどの各種融資返済問題が、いまだに被災者を苦しめている。
岩田氏は震災復興再開発事業で大もうけしたのは結局ゼネコンをはじめとする大企業であり、企業にやさしく市民に冷たい「復興」であったとし、住民生活の復興を求め今後も運動を継続しようと訴えた。
東日本大震災被災地からの報告として、原発事故後、福島から大阪に母子避難している森松明希子さんが、小さな子どもを抱える母親として見えない放射線とたたかい、子どもが自由に外遊びできないような状況に避難を決めたとし、「事故の責任を明らかにし、今後の教訓にする」と、原発賠償関西訴訟の原告になる決意をした経緯を涙ながらに語った。
記念講演では、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が、原発事故後の福島の現状を語った。
伊東氏は、原発事故は「最大にして最悪の公害」であり、完全賠償、継続的健診の保障、被ばく低減のための除染促進、強制避難地域での地域の作り直しなど、住民のための復旧・復興実現を求めて運動していくと決意を述べた。
ながたメモリアルウォーク
「復興災害」
無謀な再開発が生活を破壊
商店主から話をきく参加者
莫大な税金が注がれた新長田駅南再開発事業により、駅前には40棟にも及ぶ巨大なビルやマンションが次々と建設された。しかし、テナントにはいまだ空きが目立ち、シャッター通りとなり、住民の高齢化も進んでいる。
案内にたった森本真神戸市会議員は、借り上げ住宅からの追い出し、災害援護資金返済などの問題がいまだに被災者を苦しめていると説明し、「復興事業」により地域のコミュニティが破壊されてしまったとし、コミュニティをどう守っていくかが大切であると訴えた。
市民 追悼のつどい
犠牲者に祈りと誓い
「希望の鐘」をつき追悼
地震が発生した5時46分、参加者は、阪神・淡路大震災の全犠牲者に黙とうをささげ、震災被災者の生活復興を願ってつくられた「神戸・希望の鐘」をついた。
同日午前には、同実行委員会による「手作り市民追悼のつどい」が神戸市勤労会館で行われた。集まった150人が琵琶法要と声明により、犠牲者の鎮魂を願った。
主催者で、被災者の巡回相談を19年間続けてきた安田秋成氏は、あいさつで「どんなつらい災害でも、住民が立ち上がれば、国・自治体があたたかく支援してくれる社会をつくるまで、追悼を続けよう」と語った。