2014年4月25日(1749号) ピックアップニュース
女医の会インタビュー(14) 地域にも職員にも必要とされる病院に
東灘区・本山リハビリテーション病院 宮地 千尋
病院内の自筆の油絵の前で
震災で病院が全壊
もともと父が宮地病院を開設し、私は勤務医として働いていました。でも阪神・淡路大震災で病院は全壊、休院を余儀なくされました。その経験から、二つのことを大事にしています。一つはしたいことではなく、地域が必要としていることを提供できる病院であること、もう一つは従業員を守ることです。
病院が全壊し負債も抱えましたが公的な支援はほとんどなく、「もう再建は無理かも...」と思いました。でも地域の人に「いつ再開するの?」と声をかけられ、父が最初に診療所を建てた時からずっとこの東灘区で診療しているので、みなさんに病院が待たれていることを強く感じました。
その思いに応えたいと、「病院を再建しよう」と当時理事長だった父を説得しました。
震災2カ月後から仮設診療所を作り、24時間往診を行いました。患者さんの家へ足を運ぶと、病院とは異なり、生活全体を診ることになります。家の掃除ができているか、薬をちゃんと飲んでいるかの確認、おむつを替える、など一人ひとりの生活によりそい診療するという大切さを地域の方から教えてもらい、その中で高齢者の居場所が必要だと感じました。
退院後の患者さんは、医療だけではなかなか支えられないため、どんどんこちらから患者さんの所へ出向こうと在宅サービスや訪問看護などを始めました。リハビリに特化した医療機関が必要だと思い、昨年には本山リハビリテーション病院を開院しました。
院内のスペースを開放し、「大人の折り紙」レクリエーションや手芸作品展示会の会場として地域の方に利用していただいています。
働いて良かったと思える病院に
もう一つ、職員が働きやすい病院でなければとも考えています。震災後は病院が休院状態になり、職員全員に退職してもらわなければなりませんでした。職員の生活を守るため、就職先を紹介するなどしましたが、ばらばらになってしまうというつらい経験をし、改めて病院が職員に支えられていたこともわかりました。
再建時には戻ってくれた職員もいましたが、「もうあんなことがあってはいけない。職員を守らなければ」という気持ちが強くなりました。「働いて良かった」と思える病院になるようにがんばりたいですね。協会の研究会や研修会にも、お世話になっています。
絵を描いてリフレッシュ
震災や病院の再建・新設などずっと忙しい日々を送っています。ストレスが溜まらないよう、一つのことに集中しすぎないことが大切と思っています。仕事、子育て、趣味がそれぞれの補完・気分転換になるようにしています。出産後もすぐに仕事に復帰しました。本山リハビリテーション病院に飾ってある油絵の多くは私の作品です。小さい頃から絵を描くのが好きでした。震災までは「時間ができたら」と思っていました。それではいつまで経ってもできないと気づき、週末に1時間などと決めて、集中して油絵を作製しています。絵のことだけを考える時間を持つことでリフレッシュできるんです。
これからも明日死んでも悔いのない人生を生きたいと感じています。震災を通して、地域や職員に病院がいかに必要とされているのかがわかりました。今後もそれに応えていきたいと思います。