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兵庫保険医新聞

2014年8月05日(1758号) ピックアップニュース

新聞部の会員訪問 杉本 健郎先生の巻 篠山から広げる 障害児者の医療的ケア
あたりまえに暮らせるしくみ必要

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【すぎもと たてお】1948年篠山市生まれ。74年関西医科大学卒業、同大小児科へ。76年同大大学院、80年同大小児科助手、81年同大医学博士、82年同大小児科講師、87年同大男山病院小児科部長、96年同大小児科助教授、96年カナダトロント小児病院神経科客員教授、04年びわこ学園・第2びわこ学園園長、07年びわこ学園医療福祉センター統括施設長、08年すぎもとボーン・クリニーク開院、NPO法人医療的ケアネット理事長、協会理事

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聞き手 森岡 芳雄理事

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聞き手 森下 順彦理事

 障害を抱えた人が生き生き暮らせる社会に−。NPO法人医療的ケアネットの活動など、障害児者への医療に取り組む篠山市の杉本健郎先生に、障害児医療に携わった経験のある森下順彦・森岡芳雄各理事がインタビューした。

弱者の目線を学んだ大学時代
 森岡 お忙しいなか、ありがとうございます。私は尼崎医療生協病院で、藤岡一郎先生のもと障害児の全身管理をしていました。森下先生はのじぎく療育センターにおられたとのことで、小児科で障害児に関わる3人が集まったのは、何かのご縁かと思っています。早速ですが、先生の障害児との出会いからお聞かせください。
 杉本 学生時代までさかのぼります。私は関西医科大学で、自治会をつくり委員長として、住江憲勇保団連会長らと活動していました。どういう医師になろうかと考えていて、全国障害者問題研究会の活動などを通じ、京都大学におられた高谷清先生に指導していただいた影響が大きいですね。また、京大薬学部から関西医大に来られた高野哲夫先生が下半身麻痺を持ちながら、薬害問題で全国を飛び回っておられたのに付いていったことから、弱者の目線で運動することを学びました。大学院時代、京都の吉祥院病院でバイトをし、小児神経科でてんかんなどの研究を始め、障害児医療をやろうと。
 その頃、大阪市内の小児病院で夜間のアルバイトをしており、急性脳症が非常に多かったことから、田辺製薬の脳代謝改善薬ホパテを一定量投与すると脳症を発症することを発見し、最初に報告して、発売中止に追い込みましたね。
障害児が安心して生活できるように
 森岡 「医療的ケア」との関わりはその頃からということでしょうか。
 杉本 70年代後半、NICU(新生児集中治療室)ができ、助かった子のフォローを神経外来でしていました。その子たちが大きくなると、学校で吸痰などの医療的ケアが必要になります。さらに、成長し背が高くなる頃になると、経管栄養、気管切開の必要が出てきます。これが80年代の終わりごろで、障害児者の「医療的ケア」の始まりだったと思います。
 森下 障害児が日常生活を送るために、必要な医療行為が出てきたのですね。
 森岡 私も病院でよく診ていました。ただ、親御さんからは「口から食べさせたい」とか、そういう声もありましたよね。
 杉本 ええ。時間をかけ、親とのコミュニケーションで大切さが伝わり、広がってきた歴史があります。経管栄養や気管切開で、本人も親御さんもすごく楽になりますし、喉頭気管分離をすると誤嚥がなくなり、入院も減ります。
 最近、「尊厳死法案」で「無駄な延命治療はやめろ」と、胃ろうや人工呼吸器に否定的な見方がありますが、高齢者の終末期と、子どもたちが安全に生き抜くための医療的ケアが一緒に議論されていることに、問題を感じています。
 森岡 私の医療的ケアのイメージは、障害児が安全に自宅へ帰り、家族に経管栄養などをしていただくという、在宅医療でした。
 杉本 在宅でのご家族の協力は大前提です。87年から大阪府立養護学校の校医になりましたが、親御さんたちが非常に熱心で、教育の権利として、医療的ケアが必要な子どもたちが、普通に学校へ行けるよう、一緒に運動しました。医療的ケアは、医療・福祉・教育が関わってきます。
 森下 私が勤務していた、県立のじぎく療育センターや国立療養所兵庫中央病院では、医療の側面が強かったですが、福祉・教育からの視点は本当に大事ですね。
重度障害者の受け皿がない
 森下 篠山市でご開業されて、いかがですか。
 杉本 開業して7年、市の人口は約4万1千人で小児患者の数も少なく、苦労の連続ですが、市内の障害児者は誰がどんな形でどんな風に住んでいるか、それぞれの生活がようやく見えるようになってきました。
 重度障害児者の受け皿がないという問題があり、校医をしている篠山市立養護学校で、高校卒業後の行き先を保障するため、市の自立支援協議会の中に医療的ケア部会をつくってもらいました。市の医療と福祉と教育と一緒に会議しており、自分だけ何かするのでなく、若い人に影響を及ぼして育てていくという視点で考えています。
 森岡 行政に問題があると思っても、入って動かすのは大変なご努力ですね。
 杉本 篠山市は昔ながらの風土・風習が残っており、私もそうですが、Uターン・Iターンの若い家庭にはなじみにくいですね。そういう家庭に障害をお持ちの子がいても、受け皿がありません。
 森岡 お年寄り、障害児者の介護は、嫁・家族が行うものというような考え方もまだまだありますね。
 杉本 そう、介護保険を嫌がりますね。もっと人間らしい生活のため、お互いを認め合うようなコンセンサスを作らなければと感じています。
 地域医療の問題では今、丹波市の柏原赤十字病院と県立柏原病院が合併しようとしていますが、同じ丹波医療圏にも関わらず、この会議に篠山市は入っていません。市長は「医療センターがある」と言いますが、ささやま医療センターは、兵庫医大が2018年までと期限を区切って病院を維持しており、赤字なのでこのままでは撤退してしまうでしょう。丹波医療圏としての仕組み作りを考えるべきと市長には話しています。
「医療的ケア」3号研修広げる
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「NPO法人医療的ケアネット」杉本先生が理事長をつとめ、日常的に医療的ケアを必要とする人たちの支援として、重症児者にかかわるすべての人たちの支援ネットワークづくり、研修や学習会、相談・支援などの事業を展開している

 森下 先生は、NPO法人を通じ、「医療的ケア」の3号研修を進められていますが、どのようなものなのでしょうか。
 杉本 2012年に法制化され、介護福祉士等の非医療職が一定の研修後「医療的ケア」の一部を業として実施できるようになったものです。不特定の方に実施できるのが1・2号研修で、対象が特定されているのが3号研修です。障害児者の介護は介護者が本人の病態等を十分に理解し、日常生活を支えなければならないため、一人ひとり特定の研修を行います。
 2日間の研修後、個別研修として、家や学校など生活介護の現場で、対象となる患者さん自身に「医療的ケア」を行い、指導看護師がOKを出せば、資格が得られます。  障害児者・親の高年齢化が進み、親が介護できなくなってくるなか、3号研修を受けた人たちが5・6人のグループをつくれば、生活を支えることができます。3号研修を各地に広げていこうと活動しています。これまで京都が中心でしたが、先日、神戸でシンポジウムと3号研修を行い、今度は篠山市での開催を考えています。
 森下 指導看護師にはどうすればなれるのですか。
 杉本 DVDを見るだけです。この近くの訪問看護ステーションの看護師の方は皆、「指導看護師」の資格を持っていますよ。
 森下 簡単なのですね。私もこの研修の詳細がよく分からないとの声を施設などから伺っています。
 杉本 いつでも説明に行きますよ。責任を持つべき県もよく分かっていません。協会にも、県との交渉や研修の実施に協力していただきたいと思っています。
 森岡 今日、私たちも問題点を教えていただきました。ぜひ広げていきたいと思います。本日はありがとうございました。
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