2014年9月05日(1760号) ピックアップニュース
東日本大震災被災地 訪問記 被災地での心のケア知る
協会は7月19日〜21日に東日本大震災被災地訪問を実施。加藤擁一副理事長・白岩一心各理事が、宮城県石巻市・仙台市・女川町などを訪問し、宮城協会の井上博之副理事長や「からころステーション」の原敬造先生と懇談を行った。参加者のレポートを紹介する。(次号に原敬造先生のインタビューを掲載予定)
東日本大震災から、はや3年半が経つ。私自身、4度目になる被災地訪問をさせていただいた、報告と感想を述べたい。
初日は、石巻、女川地域を訪問した。この地域は、私は被災直後の2011年に訪問して以来、3年ぶりである。泥とがれきに覆われた当時から、どのように復興しているのかを見聞きしておきたいと思い、出発した。途中の田園風景はのどかで、田んぼに漁船が転がっているような、3年前の息をのむ光景はさすがにもうない。住民の足であるJR仙石線は、待望の全線復旧が来年叶うそうである。
その石巻駅前で、被災者たちの心のケアに取り組んでおられる、「からころステーション」を訪れた。仙台市でメンタルクリニックを開業する原敬造先生が、震災直後から立ち上げた「からだとこころの健康相談所」である。
被災者はさまざまな悩みを抱えているが、いきなり被災地に乗り込んで「メンタルヘルス」と言っても、心を開いてもらうことはできない。まず、相談活動からということで、仮設住宅訪問、相談会、コンサートやカフェなどを、日常的な活動としておられる。アルコール依存症や、うつ病など、当面するさまざまな問題への取り組みを報告していただいた。地道な活動に敬服する。
原先生の話を聞いた後、職員の方の運転で、女川町周辺まで被災地を案内してもらった。女川では、被災した旧町立病院が、昨年秋より介護施設と一体化した地域医療センターとして再スタートしていた。水産業も少しずつ復興しつつあるようで、漁港の食堂でおいしい海鮮丼を食べることができた。
しかし、その先の雄勝町や北上川河口の大川小学校のあたりに来ると、まだ、津波の爪痕がはっきり残っていて、復興の厳しさも実感する。
2日目は、仙台市内にある「あしなが育英会・レインボーハウス」を訪問した。この3月にできたばかりの真新しい施設を見学させていただいて、震災遺児たちの心のケアの取り組みを中心に話をうかがった。
子どもたちの持つトラウマの現れ方はさまざまであり、難しさとやりがいがある。震災で約1700人の遺児がいるとされているが、その多くは親戚に引き取られ、実態が把握しにくい部分も多いという。長期的な支援活動が必要なことを強調されておられた。
阪神・淡路の震災を経験した私たちは、これからが復興の正念場であること、被災者の生活再建こそが復興の中心課題であること、被災3県が進めている、医療費窓口負担免除継続の運動の重要性を訴えてきた。
兵庫県でも、現在、借り上げ復興住宅からの被災者追い出しが大きな問題になっている。私たちも震災復興運動の道半ばにいる。連帯して、運動を進めていくことが大事と感じて帰路についた。
憲法の理念に基づいて、東日本大震災が風化されないよう、福島原発事故が政府によって歪められないように、被災地にお伺いすることによって、全国に情報発信したり、問題点を浮き彫りにして、国会で直接国会議員にも訴えている。
今回の訪問は、「被災者の皆さまの心のケア〜被災地での心のケアシステムの現状を学ぶ」ことをテーマに掲げた。
初日、石巻市の「震災こころのケア・ネットワークみやぎ・からころステーション」に訪問した。事務局・高柳伸康様が、震災翌月から現在までの経緯を詳細に説明してくださり、政府の震災復興対策、社会保障政策が何一つ進んでいないことが明白になった。
これに対し、からころステーションでは、ハローワークとの連携、社会福祉協議会との連携、仮設住宅訪問、来所相談室の設定、乳幼児期検診への心理士派遣、保健師の派遣サポート、医師による心のセミナーなどの事業を展開しているとお聞きした。
対応の素早さ、先見性を強く感じた。そして自らも被災者であるにもかかわらず、被災者の方々に寄り添う姿が鮮明であった。ニーズに合った支援、定点地域のケア活動も充実している。このような支援が、政府主導で行われていくべきで、社会に広く訴えていかなければならない。
今後の課題として、住宅格差や生活格差問題への対策、被災者本人の希望でなくても介入しなければならない場合の対策、そして支援者自身の疲労、医療費窓口負担免除打ち切りに対する今後の現実的課題が挙げられると締めくくられた。
長期的展望と支援体制の確立、復興住宅ができないため、仙台市への人口流出が大きいことも学んだ。
その後、医師・原敬造先生と懇談した。
懇談後、精神保健福祉士、社会福祉士の曳地芳浩様に、石巻市と女川町を案内していただいた。あまりにも惨状が強すぎて、今後の訪問の重要性をさらに感じた。女川町では、津波による高台にある病院の1階全滅状況が心に残る。原発マネーの影響か、役場や保健センター、病院が高台に立派にそびえ立つ。けれども原発問題は住民の間では禁句のようなイメージを感じた。
夕方、宮城協会の井上博之副理事長と懇談した。井上先生は、松島町で歯科医師として医療に従事されておられる。検視では、カルテ、レントゲン写真、口腔内写真の重要性をお聞きした。
大学で学んだ法医学や法医歯学よりも生々しく、悲しみも背負っておられ、お話をお聞きするのさえ、つらくなってしまった。
歯科医師として、災害時でも関われることを強調されたことが嬉しい。チーム医療が災害時には必要と言われた。
宮城協会と井上先生に、深い感謝の気持ちでいっぱいである。
3日目、津波災害遺児、震災関連遺児の支援をしている、民間任意団体「あしなが育英会・仙台レインボーハウス」を訪問した。東日本大震災で、保護者を亡くした遺児たちの心のケアに取り組んでいる。若宮紀章様に、施設案内と懇談していただいた。
曲面の天井、ぬくもりある設計と機材。新築でなく、元は整形外科病院のリフォームだとお聞きした。遺児の心のケアをするための、施設設計の工夫が至るところに見られる。「火山の部屋」と命名される部屋にはサンドバッグが吊り下げてあり、遺児の皆さんの心のはけ口となっていると紹介があった。不登校児やひきこもり、高校退学児童の対応もされている。血縁関係の強い東日本では、家族の分断による心のケアの必要性をお聞きした。
一番の問題は、相談したり、レインボーハウスに来れない遺児たちの心のケアだと若宮様は強調される。
医療従事者は、やはり震災遺児たちの心のケアを学ぶ必要性は高いと思われる。未来を背負う子どもたちこそ、今後の心のケアが大切だと思う。
最終テーマは、幸福な生活再建であり、情報を全国に伝達して、みんなで分かち合う努力だと思う。
私たちにできることは、現地に足を運んで関わらせていただき、学ばさせていただき、そして問題点を浮き彫りにして、今後につなげていくことだと思う。
いかに心が人間には大切かを学びとる訪問となったことを報告する。
参加記(1) 被災地と連帯し復興運動を 須磨区・歯科 加藤 擁一
石巻市で被災者の心のケアにとりくむ「からころステーション」前で原敬造先生(右2人目)と加藤副理事長(左2人目)、白岩理事(左端)
初日は、石巻、女川地域を訪問した。この地域は、私は被災直後の2011年に訪問して以来、3年ぶりである。泥とがれきに覆われた当時から、どのように復興しているのかを見聞きしておきたいと思い、出発した。途中の田園風景はのどかで、田んぼに漁船が転がっているような、3年前の息をのむ光景はさすがにもうない。住民の足であるJR仙石線は、待望の全線復旧が来年叶うそうである。
その石巻駅前で、被災者たちの心のケアに取り組んでおられる、「からころステーション」を訪れた。仙台市でメンタルクリニックを開業する原敬造先生が、震災直後から立ち上げた「からだとこころの健康相談所」である。
被災者はさまざまな悩みを抱えているが、いきなり被災地に乗り込んで「メンタルヘルス」と言っても、心を開いてもらうことはできない。まず、相談活動からということで、仮設住宅訪問、相談会、コンサートやカフェなどを、日常的な活動としておられる。アルコール依存症や、うつ病など、当面するさまざまな問題への取り組みを報告していただいた。地道な活動に敬服する。
原先生の話を聞いた後、職員の方の運転で、女川町周辺まで被災地を案内してもらった。女川では、被災した旧町立病院が、昨年秋より介護施設と一体化した地域医療センターとして再スタートしていた。水産業も少しずつ復興しつつあるようで、漁港の食堂でおいしい海鮮丼を食べることができた。
しかし、その先の雄勝町や北上川河口の大川小学校のあたりに来ると、まだ、津波の爪痕がはっきり残っていて、復興の厳しさも実感する。
2日目は、仙台市内にある「あしなが育英会・レインボーハウス」を訪問した。この3月にできたばかりの真新しい施設を見学させていただいて、震災遺児たちの心のケアの取り組みを中心に話をうかがった。
子どもたちの持つトラウマの現れ方はさまざまであり、難しさとやりがいがある。震災で約1700人の遺児がいるとされているが、その多くは親戚に引き取られ、実態が把握しにくい部分も多いという。長期的な支援活動が必要なことを強調されておられた。
阪神・淡路の震災を経験した私たちは、これからが復興の正念場であること、被災者の生活再建こそが復興の中心課題であること、被災3県が進めている、医療費窓口負担免除継続の運動の重要性を訴えてきた。
兵庫県でも、現在、借り上げ復興住宅からの被災者追い出しが大きな問題になっている。私たちも震災復興運動の道半ばにいる。連帯して、運動を進めていくことが大事と感じて帰路についた。
参加記(2) 被災者に寄り添う心のケアの大切さ 赤穂郡・歯科 白岩 一心
心の葛藤を一時でもしずめられればと、設置されている「火山の部屋」
今回の訪問は、「被災者の皆さまの心のケア〜被災地での心のケアシステムの現状を学ぶ」ことをテーマに掲げた。
初日、石巻市の「震災こころのケア・ネットワークみやぎ・からころステーション」に訪問した。事務局・高柳伸康様が、震災翌月から現在までの経緯を詳細に説明してくださり、政府の震災復興対策、社会保障政策が何一つ進んでいないことが明白になった。
これに対し、からころステーションでは、ハローワークとの連携、社会福祉協議会との連携、仮設住宅訪問、来所相談室の設定、乳幼児期検診への心理士派遣、保健師の派遣サポート、医師による心のセミナーなどの事業を展開しているとお聞きした。
対応の素早さ、先見性を強く感じた。そして自らも被災者であるにもかかわらず、被災者の方々に寄り添う姿が鮮明であった。ニーズに合った支援、定点地域のケア活動も充実している。このような支援が、政府主導で行われていくべきで、社会に広く訴えていかなければならない。
今後の課題として、住宅格差や生活格差問題への対策、被災者本人の希望でなくても介入しなければならない場合の対策、そして支援者自身の疲労、医療費窓口負担免除打ち切りに対する今後の現実的課題が挙げられると締めくくられた。
長期的展望と支援体制の確立、復興住宅ができないため、仙台市への人口流出が大きいことも学んだ。
その後、医師・原敬造先生と懇談した。
懇談後、精神保健福祉士、社会福祉士の曳地芳浩様に、石巻市と女川町を案内していただいた。あまりにも惨状が強すぎて、今後の訪問の重要性をさらに感じた。女川町では、津波による高台にある病院の1階全滅状況が心に残る。原発マネーの影響か、役場や保健センター、病院が高台に立派にそびえ立つ。けれども原発問題は住民の間では禁句のようなイメージを感じた。
夕方、宮城協会の井上博之副理事長と懇談した。井上先生は、松島町で歯科医師として医療に従事されておられる。検視では、カルテ、レントゲン写真、口腔内写真の重要性をお聞きした。
大学で学んだ法医学や法医歯学よりも生々しく、悲しみも背負っておられ、お話をお聞きするのさえ、つらくなってしまった。
歯科医師として、災害時でも関われることを強調されたことが嬉しい。チーム医療が災害時には必要と言われた。
宮城協会と井上先生に、深い感謝の気持ちでいっぱいである。
3日目、津波災害遺児、震災関連遺児の支援をしている、民間任意団体「あしなが育英会・仙台レインボーハウス」を訪問した。東日本大震災で、保護者を亡くした遺児たちの心のケアに取り組んでいる。若宮紀章様に、施設案内と懇談していただいた。
曲面の天井、ぬくもりある設計と機材。新築でなく、元は整形外科病院のリフォームだとお聞きした。遺児の心のケアをするための、施設設計の工夫が至るところに見られる。「火山の部屋」と命名される部屋にはサンドバッグが吊り下げてあり、遺児の皆さんの心のはけ口となっていると紹介があった。不登校児やひきこもり、高校退学児童の対応もされている。血縁関係の強い東日本では、家族の分断による心のケアの必要性をお聞きした。
一番の問題は、相談したり、レインボーハウスに来れない遺児たちの心のケアだと若宮様は強調される。
医療従事者は、やはり震災遺児たちの心のケアを学ぶ必要性は高いと思われる。未来を背負う子どもたちこそ、今後の心のケアが大切だと思う。
最終テーマは、幸福な生活再建であり、情報を全国に伝達して、みんなで分かち合う努力だと思う。
私たちにできることは、現地に足を運んで関わらせていただき、学ばさせていただき、そして問題点を浮き彫りにして、今後につなげていくことだと思う。
いかに心が人間には大切かを学びとる訪問となったことを報告する。