兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2015年9月05日(1792号) ピックアップニュース

燭心

 この夏、長崎に行く機会を得た。被爆70年目の日、早朝から長崎の町を歩いてみた。普段は観光客で人気の大浦天主堂やオランダ坂もまだ静かだ。坂道が多い。洋館の向こうに海が見える。ふと神戸にいるような錯覚に陥る▼いい天気だ。きっと70年前の、あの日の朝もそうだったのだろう。それが数時間後の悲劇を引き起こす原因になろうとは、誰も想像しなかったろう。原子爆弾を積んだ米軍機は、もともとは小倉を標的と定めていたが、あいにくの曇り空で急きょ長崎に変更したと聞く。そして、午前11時2分、運命の時間がやってきた▼爆心地である平和公園にも足を延ばしてみた。日が昇ると猛烈に暑い。涼しげな噴水の前に小さな碑がある。「のどが乾いてたまりませんでした。水には油のようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとう油の浮いたまま飲みました」当時の少女の日記だ。生きておられればもう80歳前後におなりだろうか。その後、どういう人生を歩まれたのか▼当たり前の暮らしを破壊してしまうのが戦争である。いまだに原爆の健康被害に苦しむ人たちがいる。政府は残念ながら、被爆者の健康被害をごく一部しか認めない。高齢と病気を押して、原爆症認定の訴訟を続けている被爆者たちがいる。もう二度と「ヒバクシャ」をつくってはならない。核兵器を世界中からなくす運動を、私たちも支援してきた。戦後70年、二度と過ちをくり返してはならない。(星)
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