兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2015年12月15日(1801号) ピックアップニュース

インタビュー 戦後70年をふり返る
人間性奪う戦争 くり返させない

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伊丹市・小泉医院 小泉 勇先生
【こいずみ いさむ】1926年生まれ。50年京都大学卒業、以後大阪大学、神戸大学などを経て、58年伊丹市で小泉医院を開業。67年保険医クラブに入会。73年から評議員、85年から理事を務める。核戦争を防止する兵庫県医師の会運営委員

 兵庫協会が取り組んでいる反核・平和運動。協会設立初期から関わる小泉勇理事に、戦時中の思い出や反核・平和運動への思いなどについて、近重民雄副理事長(反核・平和運動部長、核戦争を防止する兵庫県医師の会運営委員長)がインタビューした。

反核・平和運動に尽力
 近重 本日はよろしくお願いします。先生は長らく協会、特に反核・平和部を中心に活動されてこられました。市民に平和をアピールするため、毎年夏に全国を練り歩く平和行進が伊丹市を通るときには、必ず市役所前であいさつをなさるなど、熱心な活動を続けておられる他、理事会や核戦争を防止する兵庫県医師の会(反核医師の会)でもご意見いただいており、大変ありがたく思っております。
 小泉 私自身は、地域の方に誘われて原水爆禁止伊丹協議会に参加したことが、反核・平和運動に関わるきっかけでしたね。1982年には、当時協会理事長であった故・桐島正義先生の呼びかけで反核医師の会が作られ、芦屋市の幸原久先生(協会監事)や東灘区の故・口分田勝先生(元協会理事、前反核・平和運動部長)が反核・平和運動を引っ張ってくださっていたので、私はついてきただけと思っています。特に口分田先生は原爆が投下された8月6日と9日にちなんで、毎月6日・9日に核兵器廃絶を訴える宣伝に取り組むなど、熱心に活動をされておられました。
 近重 先生が数十年にわたり反核・平和運動に取り組まれている理由には、戦争を経験されたということがあるのでしょうか。終戦時はおいくつでしたか。
 小泉 大正15年(1926年)の早生まれですので、敗戦時は19歳で、中国東北部(満州)におり、敗戦の翌年に日本に帰ってきて、1950年に京都大学を卒業しました。
 近重 卒業してすぐに臨床をされたんですか?
 小泉 京大卒業後2年間は大阪大学理学部生化学教室におり、その後、神戸医科大学助手もし、その間も、外科医として大阪の耳原病院や西淀病院、上二病院など、民主医療機関連合会(民医連)の病院へ応援に行っていました。
 近重 私も民医連の東神戸病院にいました。その後、愛知県がんセンターで胃や腸などの消化器を診ていました。
 小泉 東神戸病院と言えば、故・浦井洋先生(元協会顧問・東神戸病院名誉院長・元衆議院議員)が議員になって不在の時には、私も代診に行ったことがありましたよ。
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聞き手
近重民雄副理事長

敵国兵とでも分かりあえる
 近重 戦争当時の思い出などはおありですか。
 小泉 終戦後、満州にソ連兵がなだれ込んできましたが、その時のソ連兵とのやりとりが心に残っています。
 若い兵士が自動小銃(マンドリン)を携行して家にやってきて、ビールとかウォッカを飲ませろと頼むわけです。そこでビールを出すんですが、しかし毒が入っているのではと疑われて飲まない。そこで、毒が入っていないことを示すために、一つのグラスのビールを、腕を組んでたがいに飲み交わすんです。そうやると向こうも警戒心が解けて、話も盛り上がりました。帰るときには兵士も小銃を置き忘れて帰りかけたくらいです。お互いに顔を合わせて酒を飲んで話をしたら、たとえ敵国同士だったとしても分かりあえるものだと実感した、忘れられない経験です。
 近重 そんなエピソードがあったんですか。それを思えば戦争ほど馬鹿らしいことはないですね。
 小泉 ええ。私は軍隊には入っていませんでしたが、徴兵検査を受けて、甲種合格でしたが徴兵は免れた代わりに2カ月間兵舎に放り込まれました。一個小隊の中で私が一番大きかったから、40キロメートルぐらいの行軍のときに、小銃ではなくて隊に一つの軽機関銃を持たされました。これが小銃の2〜3倍は重く、小休止の時にあまりに重かったから軽機関銃を放り出してしまったんですね。それが見つかってだいぶ上官に殴られました。
 近重 それは大変でしたね。軍隊では、そういったことはよくあるんですか。
 小泉 上官に殴られるのは日常茶飯事でした。軍隊というのは特殊なところで、内務班、兵舎での下士官のいじめがひどかった。これは日本特有のことではないでしょうかね。エリートの士官はいじめないが、下士官はいわば牢名主(牢の取り締まりにあたる囚人)で、自分が昔上官にいじめられた経験から、下の兵をいじめることがよくありました。
 近重 昔「兵隊やくざ」という映画に、そのようなシーンがあったのを覚えています。あまり知られていないことだと思いますが、内務班ではそんなことがあったんですね。
 小泉 その他にも、日本の軍隊には捕虜になるなという軍律がありました。そのせいで、多くの若い人が自ら死を選んで亡くなっていきました。
 近重 それもアメリカやイギリスの軍隊からは考えられないことではないかと思います。
 小泉 日本の軍隊は閉鎖された社会でしたから、全くの人権無視がまかり通っていました。もう二度とあのようなことを繰り返さないようがんばってきたつもりですが、いま日本がもしひとたび戦争に加担したら、同じことが起こってしまうのではと危惧しています。
協会の平和運動〝心強く思う〟
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インタビュー終了後に肩を組んで記念撮影

 近重 先生がずっと協会で活動されている熱意のわけを垣間見ることができた気がします。最後に協会の先生方にメッセージをお願いします。
 小泉 安倍政権が集団的自衛権行使のための安保法を強行成立させたことが気がかりです。しかし、最近協会からも多くの先生が、集団的自衛権や安保法制に反対する集会などに参加されていて、非常に心強く思います。私もそれに負けないように命尽きるまでがんばっていきたいと思います。核戦争や集団的自衛権行使に反対する運動に取り組んでいる反核医師の会へもぜひ入会をお願いします。
 近重 どうもありがとうございます。これからも先生のさらなるご活躍をお祈りいたします。
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