2016年2月25日(1806号) ピックアップニュース
第89回評議員会特別講演 プレインタビュー(1)
"本当の医療崩壊はこれからやってくる"
前 済生会栗橋病院院長補佐
本田 宏先生
【ほんだ ひろし】1954年福島県生まれ。79年弘前大学卒業後、東京女子医科大学第3外科を経て、89年から済生会栗橋病院に外科部長として勤務、2011年より院長補佐。15年、外科医を引退し、講演活動に専念。医療制度研究会副理事長、弘前大学医学部講師
(3回に分けて掲載予定)
日本政治の問題点啓発活動に尽力
川西 本日はプレインタビューとして、講演の要点や先生のご経歴についてお伺いできればと思っています。先生は、全国で医療の現場が抱える問題について、講演されていますね。本田 ええ。昨年3月に外科医を引退し、日本の医療崩壊をなんとかして食い止めねば、との思いで全国を飛び回っています。他にも、私の母校・弘前大学医学部の社会医学講座で非常勤講師として、学生に医療政策を中心に日本政治の問題点を解説するなどの啓発活動に力を入れています。
川西 昨年は安保関連法成立を巡って、学生団体シールズの活動が注目を浴びましたが、今の大学生はこれらの問題をどうとらえているのでしょう。
本田 多くの学生はそれぞれ自分の意見を持っているようで、安保関連法には問題があると考える学生もいます。しかし気になるのは「講義で政治的に偏った話はするべきではない」という感想を抱く学生が少ないながらも存在することです。学問の中立の意味を履き違えているのです。大学は、多様な意見を保障して議論する場であるべきですから。
川西 それではいけませんね。
医療政策の問題点に気づいたきっかけ
聞き手
川西 敏雄 副理事長
川西 今の先生からは想像できません。政治に関心を持つようになったきっかけがあったのですか。
本田 済生会栗橋病院で外科部長になったことですね。この病院は、医師不足の埼玉県に新設された病院で、外科医は私も含めて3人のみ。常勤の麻酔医が不在で、緊急手術は外科医が麻酔を担当しなければならず、3人全員が24時間365日対応を余儀なくされるハードな体制でした。それまでは大学で肝移植の研究をしていましたが、全国的に高名な医師にはならなくても、目の前の患者さんを全力で治して、感謝される医師になりたいと思っていました。しかし、この医師の少なさでは、全ての患者さんに満足がいく質の高い医療を提供する余裕はまったくありません。そんな中、院長から指名されて医療制度研究会に参加して、日本の医療費は先進国で最低である一方、公共事業予算が最高であることを知ったのです。
川西 その時、初めて医療政策の問題点に気づかれたのですね。
本田 そうです。当時は、橋本内閣が「医療制度改革」を訴えていた時期でしたが、中身はいかに医療費を削減するかということだったわけです。これには愕然とする思いでした。休みなく働いても病院が赤字になるほど診療報酬が低く抑えられているのに、さらに医療費を減らそうというのですから。そして、医師、医療従事者、国民の皆さんに広くこの実態を知ってもらわなければ、医療改悪がどんどん進められてしまうという危機感で、情報発信活動を始めたというわけです。
運動の大先輩高岡先生からの激励
川西 国民に実態を知ってもらって、政府を包囲しようと考えられたのですね。しかし政府の力は強大ですから、くじけそうになることもあるかと思います。先生がそんなにもがんばれたのは何か理由があったのですか。本田 若手医師が、過酷な労働環境の中で、真面目に働く姿が支えになりました。2006年、後輩からの年賀状に「精も根も尽き果てるような働き方をせずとも、安全な医療が提供できること(今年の目標)」と書かれていたのです。医療現場で苦しんでいるのは自分だけではないと衝撃を受けました。そしてその一カ月後、私の活動をテレビや新聞でご覧になっていた元長崎大学名誉教授の故高岡善人先生が、声をかけてくださいました。高岡先生は、日本の戦後医療史にくわしく、1993年には『病院が消える』という本を書かれた方です。すぐにお会いして資料を頂き、「医療費亡国論」など多くを学びました。高岡先生は90歳とご高齢でしたが、私を一所懸命激励してくれました。高岡先生に勇気を頂いて、ますます頑張らなければと思うようになったのです。
(つづく)
兵庫県保険医協会 第89回評議員会特別講演
本当の医療崩壊はこれからやってくる(仮)
日 時 | 5月15日(日)16時〜(仮) |
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会 場 | 協会5階会議室 |
講 師 |
医療制度研究会副理事長 前済生会栗橋病院院長補佐 本田 宏先生 |
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