2016年3月25日(1809号) ピックアップニュース
主張 高市総務相「停波」発言は報道の自由を侵害する憲法違反
高市早苗総務相は2月8日、衆議院予算委員会において、放送局が政治的公平性を欠いたと判断された放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性があると発言した。総務省は放送法第4条を、「倫理規定」から制裁を視野に入れた「法的規制」とみなす解釈に変わってきたようだ。
戦前、満州事変以降は、検閲があり報道の自由はなく、マスメディアは国や軍部の報道機関としての役割を担わされてきた。
放送法はその反省に立って、表現の自由、報道の自由を確保するために作られたものであり、その第3条には「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」とある。そしてこの権利を擁護するうえで、「倫理規定」として第4条がある。今回、高市総務相はこの2項〝政治的に公平であること〟をもって「法的規制」として圧力をかけてきたのだ。
憲法21条では表現の自由の保障、検閲の禁止がうたわれ、加えて98条では憲法は最高法規でありこれに反するものは無効であるとする。またしても安倍政権は憲法違反の行動に出たわけであり、そもそも〝政治的公平性〟について政府が判断するような態度をとることは、明らかに誤りである。
こういったことは氷山の一角で、すでにマスメディア、特にテレビ放送は大きく萎縮してきている。たとえば医療・介護や社会保障、消費税など、国民の暮らしに大きな影響を受ける問題はまったく報道されないし、安保関連法の影響、矛盾などもほとんど無視され取り上げられない。また人気キャスターの降板なども不気味だ。放送局の役員と安倍首相の会食の多さが取りざたされたことがあるが、すでにテレビに関してはジャーナリズムとしての魂が色あせてきているのではないか。
この顛末がどうなるかはまだ不透明であるが、政府にとって都合の悪い報道に対し脅しがかかり、国民が正しい情報を得られなくなることは大きな問題である。放送法第1条の3には〝放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること〟とある。この原点に立ち返り行動をしてもらいたいものである。
戦前、満州事変以降は、検閲があり報道の自由はなく、マスメディアは国や軍部の報道機関としての役割を担わされてきた。
放送法はその反省に立って、表現の自由、報道の自由を確保するために作られたものであり、その第3条には「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」とある。そしてこの権利を擁護するうえで、「倫理規定」として第4条がある。今回、高市総務相はこの2項〝政治的に公平であること〟をもって「法的規制」として圧力をかけてきたのだ。
憲法21条では表現の自由の保障、検閲の禁止がうたわれ、加えて98条では憲法は最高法規でありこれに反するものは無効であるとする。またしても安倍政権は憲法違反の行動に出たわけであり、そもそも〝政治的公平性〟について政府が判断するような態度をとることは、明らかに誤りである。
こういったことは氷山の一角で、すでにマスメディア、特にテレビ放送は大きく萎縮してきている。たとえば医療・介護や社会保障、消費税など、国民の暮らしに大きな影響を受ける問題はまったく報道されないし、安保関連法の影響、矛盾などもほとんど無視され取り上げられない。また人気キャスターの降板なども不気味だ。放送局の役員と安倍首相の会食の多さが取りざたされたことがあるが、すでにテレビに関してはジャーナリズムとしての魂が色あせてきているのではないか。
この顛末がどうなるかはまだ不透明であるが、政府にとって都合の悪い報道に対し脅しがかかり、国民が正しい情報を得られなくなることは大きな問題である。放送法第1条の3には〝放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること〟とある。この原点に立ち返り行動をしてもらいたいものである。