2016年6月15日(1816号) ピックアップニュース
熊本地震 被災地訪問(5月7日〜8日) 報告
継続した現地とのかかわりを
4月14日・16日に起こった熊本地震。協会は、5月7日・8日に、広川恵一顧問・加藤擁一副理事長、林功先生(西宮・芦屋支部)らを現地に派遣。杉山正隆保団連理事(福岡歯科協会副会長)、平田高士京都歯科協会理事らも同行した。一行は、熊本県保険医協会事務所で木村孝文会長、徳永俊英副会長、鈴木俊一事務局長と懇談。熊本市中央区役所では、保健子ども課の吉良直子課長補佐と懇談したほか、益城町の避難所などを訪問した(5月15日号既報)。林功先生、平田高士先生の報告を掲載する。
学んだこと活かしていきたい
被災地のインフラ・ライフラインは、幹線道路に関してはおおむね復旧が進んでいる。架橋の補強工事も進んでおり、各都道府県より派遣された警察官が交通整理にあたっている。交通は比較的スムーズであった。しかし余震が多く、被災市街地道路においては、道路周辺の住居の土手、外壁の崩落が進んでいて危険な地域が多い。
訪問した益城町では全壊家屋が多く、被災住民の生活の復旧はめどの立たない状況であった。
益城町総合体育館における、被災住民の避難生活は3週間にわたっている。プライバシーの確保の問題、衛生面における感染予防対策、高齢者や身体障害者に対する配慮、住居環境の改善などの問題は、避難所関係者各位の懸命な努力で改善されていた。
しかし、性暴力の問題や、エコノミー症候群の発生、避難所間における待遇格差、行政と住民の渉外問題など、これから取り組まないといけない課題も多く散見された。
熊本地震の避難状況の特徴として、余震が続く中、家屋倒壊の恐れから車中泊を行う避難者が多いことが挙げられる。車中泊者に関する支援も今後考えていく必要がある。
被災会員の保団連における訪問調査では、名簿252件に関して、訪問件数74件、全壊6件、半壊7件、一部損壊37件、孤立状態で訪問不可も2件報告があった。
益城町では診療再開が困難な全壊のクリニックも多く、今後被害状況全容の把握が急がれる状況である。
中央区役所で吉良直子課長補佐には、歯科医師の視点から避難所における行政の課題のレクチャーを頂きました。
今回の訪問をコーディネートしてくださった杉山正隆保団連理事には、同じ会員として頭の下がる思いです。今後しっかり支援の輪を繋げていきたいと考えています。またこのような機会を与えてくださった広川顧問には感謝申し上げるとともに、貴重な学びの機会をしっかり今後に活かしていきたいと考えています。事務局の方々には交通の手配、現地での円滑な訪問活動に尽力いただきました。この場を借りて、関係者皆さまに感謝申し上げます。
「とにかく現場に行く」
1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災の時の「とにかく現場に行く」という思いを胸に熊本に行ってきました。
95年1月19日、阪急西宮北口駅から歩き始めたときの言葉では言い表せないほどの衝撃、そして11年4月に石巻で感じた絶望感、まさか3度目があるとは、という驚きが現地に向かうきっかけになりました。
1日目
熊本協会の事務所では、地震直後からの県内の状況について説明を受けました。
避難している住民は、余震のせいで家で眠れない方が多く、車中泊によるエコノミークラス症候群が5月8日朝までに48人、またパニック障害や、不眠、トイレへの心配から水分を控え便秘を訴える方が多く、下肢のむくみや血圧上昇などの症状も多くみられるそうです。
2日目
中央区役所で、歯科医師でもある吉良直子課長補佐から、住民の健康状態やご自身が被災直後から経験され行動された事柄について説明いただきました。
そのお話は、次のような内容でした。
・14日の地震発生から63カ所の避難所を開設したが、住民が自主的に避難していたこともあり市役所として把握できなかった。その後、学校再開の必要性もあり、避難所は4箇所に集約する方向で動いている。
・3日目から便秘やむくみの相談が多く寄せられたが、医療機関が無料でかかれると周知されておらず、受診を控える人が多かった。
・避難者同士の協力体制がとれているところは、避難所の運営がスムーズ。行政が介在しながら専門性をいかして役割分担をし、それを支えるボランティアの存在が必要。
・1週間目以降、物資が供給され避難所格差が生じてきた。5〜10日でエコノミークラス症候群が出始めた。
・性暴力の問題は後々まで心の傷になるので気をつけなければいけないが、男性スタッフの対応では充分にできなかった。外からの調査隊に不審者がまぎれて、空き巣などの心配も増えてきた。
役所の人たちの奮闘が伝わってきました。ただ長期戦になった場合、地元の人たちの体力や精神力がどこまで持つのだろうと心配になりました。
午後からは激震地帯であった益城町に向かいました。住宅に張ってある紙が黄色から赤が増え、阪神・淡路のときも目にした「まさに瓦礫になってしまった住居」が目立ちます。町中に積み上げられた瓦礫を含むごみを、神戸市のゴミ収集車が回収に回っているのはとても印象的でした。
その後は、避難所になっている益城町総合体育館へ。体育館の周りには医療班のテント、歯科医療相談コーナー、足のマッサージコーナー、自衛隊設営の銭湯と、東北で見たのと同じ光景が広がっていました。
ところが避難所の中は、一部の高齢者の方はダンボールベッドの上に布団を敷いておられましたが、ほとんどの人はウレタンマットの上にじかに毛布を敷いており、まだ間仕切りもできていない状態でした。
被災者の方に聞くと、物資や食べ物は充分足りているとのこと。
駐車場には車中泊の場所確保のための、ペットボトルが多く並んでいました。
われわれが滞在した短い時間の中でも何回か余震があり、その状態が3週間以上続いていることを考えると、住民の方々の不安の大きさは計り知れないものだと感じました。
まとめ
今回の訪問で再度感じたのは、この国、そして地球規模で見ても、「災害に強いまちづくり」は実際不可能で、いつどこでどんな災害にあっても、何とかして生き延びるスキルを今までの経験から身につけるしかないのだということです。そしてそのために物心両面での備えと、日ごろからの健康維持がとても大切だと感じました。
私たちはそこをほんの少しお手伝いできる可能性があります。そしてそこを一歩進めて、災害が起こった後、自力で健康を維持できず、慢性的な心や体の病から生命の危機にさらされる人たちに寄り添う役割の一端を果たせるように、これまでの経験を集約し、それを元に学習していかなければならないのです。
今回は幸いなことに、川内原発が地震で損傷し爆発する悲劇は起こりませんでした。ただ連動する地震が続いており、川内原発が第二の「フクイチ」にならない保障はどこにもありません。私たちは、そこは充分学んだはずです。国民をだまし続けてそして大切なものすべてを奪う原発は許してはいけない、そして経済発展より、健康で安心な社会こそがこの国のめざす姿だと再認識しました。
学んだこと活かしていきたい
西宮・芦屋支部 林 功
熊本協会で木村孝文会長、徳永俊英副会長、鈴木俊一事務局長と懇談
1 概況
往路は新幹線にて新神戸より出発し、熊本駅からレンタカーで被災地各所を移動した。復路は航空機にて熊本空港より伊丹空港に戻り、現地解散となった。被災地のインフラ・ライフラインは、幹線道路に関してはおおむね復旧が進んでいる。架橋の補強工事も進んでおり、各都道府県より派遣された警察官が交通整理にあたっている。交通は比較的スムーズであった。しかし余震が多く、被災市街地道路においては、道路周辺の住居の土手、外壁の崩落が進んでいて危険な地域が多い。
訪問した益城町では全壊家屋が多く、被災住民の生活の復旧はめどの立たない状況であった。
益城町総合体育館における、被災住民の避難生活は3週間にわたっている。プライバシーの確保の問題、衛生面における感染予防対策、高齢者や身体障害者に対する配慮、住居環境の改善などの問題は、避難所関係者各位の懸命な努力で改善されていた。
しかし、性暴力の問題や、エコノミー症候群の発生、避難所間における待遇格差、行政と住民の渉外問題など、これから取り組まないといけない課題も多く散見された。
熊本地震の避難状況の特徴として、余震が続く中、家屋倒壊の恐れから車中泊を行う避難者が多いことが挙げられる。車中泊者に関する支援も今後考えていく必要がある。
被災会員の保団連における訪問調査では、名簿252件に関して、訪問件数74件、全壊6件、半壊7件、一部損壊37件、孤立状態で訪問不可も2件報告があった。
益城町では診療再開が困難な全壊のクリニックも多く、今後被害状況全容の把握が急がれる状況である。
2 今後の課題
各避難所の衛生面のさらなる配慮、地域コミュニティーと行政との協調、在宅避難者の健康管理や医療福祉支援、通常の地域医療への移行、高齢者や障害者への避難生活への支援等課題は多く残っていると思われる。3 謝辞
忙しい中お時間を割いていただいた熊本協会の木村会長、徳永副会長、鈴木事務局長には現地の詳細な被害状況をお聞きすることができました。中央区役所で吉良直子課長補佐には、歯科医師の視点から避難所における行政の課題のレクチャーを頂きました。
今回の訪問をコーディネートしてくださった杉山正隆保団連理事には、同じ会員として頭の下がる思いです。今後しっかり支援の輪を繋げていきたいと考えています。またこのような機会を与えてくださった広川顧問には感謝申し上げるとともに、貴重な学びの機会をしっかり今後に活かしていきたいと考えています。事務局の方々には交通の手配、現地での円滑な訪問活動に尽力いただきました。この場を借りて、関係者皆さまに感謝申し上げます。
「とにかく現場に行く」
京都歯科協会 理事 平田 高士
熊本市役所で吉良直子課長補佐(右3人目)と懇談し、支援物資等を手渡した
95年1月19日、阪急西宮北口駅から歩き始めたときの言葉では言い表せないほどの衝撃、そして11年4月に石巻で感じた絶望感、まさか3度目があるとは、という驚きが現地に向かうきっかけになりました。
1日目
熊本協会の事務所では、地震直後からの県内の状況について説明を受けました。
避難している住民は、余震のせいで家で眠れない方が多く、車中泊によるエコノミークラス症候群が5月8日朝までに48人、またパニック障害や、不眠、トイレへの心配から水分を控え便秘を訴える方が多く、下肢のむくみや血圧上昇などの症状も多くみられるそうです。
2日目
中央区役所で、歯科医師でもある吉良直子課長補佐から、住民の健康状態やご自身が被災直後から経験され行動された事柄について説明いただきました。
そのお話は、次のような内容でした。
・14日の地震発生から63カ所の避難所を開設したが、住民が自主的に避難していたこともあり市役所として把握できなかった。その後、学校再開の必要性もあり、避難所は4箇所に集約する方向で動いている。
・3日目から便秘やむくみの相談が多く寄せられたが、医療機関が無料でかかれると周知されておらず、受診を控える人が多かった。
・避難者同士の協力体制がとれているところは、避難所の運営がスムーズ。行政が介在しながら専門性をいかして役割分担をし、それを支えるボランティアの存在が必要。
・1週間目以降、物資が供給され避難所格差が生じてきた。5〜10日でエコノミークラス症候群が出始めた。
・性暴力の問題は後々まで心の傷になるので気をつけなければいけないが、男性スタッフの対応では充分にできなかった。外からの調査隊に不審者がまぎれて、空き巣などの心配も増えてきた。
役所の人たちの奮闘が伝わってきました。ただ長期戦になった場合、地元の人たちの体力や精神力がどこまで持つのだろうと心配になりました。
午後からは激震地帯であった益城町に向かいました。住宅に張ってある紙が黄色から赤が増え、阪神・淡路のときも目にした「まさに瓦礫になってしまった住居」が目立ちます。町中に積み上げられた瓦礫を含むごみを、神戸市のゴミ収集車が回収に回っているのはとても印象的でした。
その後は、避難所になっている益城町総合体育館へ。体育館の周りには医療班のテント、歯科医療相談コーナー、足のマッサージコーナー、自衛隊設営の銭湯と、東北で見たのと同じ光景が広がっていました。
ところが避難所の中は、一部の高齢者の方はダンボールベッドの上に布団を敷いておられましたが、ほとんどの人はウレタンマットの上にじかに毛布を敷いており、まだ間仕切りもできていない状態でした。
被災者の方に聞くと、物資や食べ物は充分足りているとのこと。
駐車場には車中泊の場所確保のための、ペットボトルが多く並んでいました。
われわれが滞在した短い時間の中でも何回か余震があり、その状態が3週間以上続いていることを考えると、住民の方々の不安の大きさは計り知れないものだと感じました。
まとめ
今回の訪問で再度感じたのは、この国、そして地球規模で見ても、「災害に強いまちづくり」は実際不可能で、いつどこでどんな災害にあっても、何とかして生き延びるスキルを今までの経験から身につけるしかないのだということです。そしてそのために物心両面での備えと、日ごろからの健康維持がとても大切だと感じました。
私たちはそこをほんの少しお手伝いできる可能性があります。そしてそこを一歩進めて、災害が起こった後、自力で健康を維持できず、慢性的な心や体の病から生命の危機にさらされる人たちに寄り添う役割の一端を果たせるように、これまでの経験を集約し、それを元に学習していかなければならないのです。
今回は幸いなことに、川内原発が地震で損傷し爆発する悲劇は起こりませんでした。ただ連動する地震が続いており、川内原発が第二の「フクイチ」にならない保障はどこにもありません。私たちは、そこは充分学んだはずです。国民をだまし続けてそして大切なものすべてを奪う原発は許してはいけない、そして経済発展より、健康で安心な社会こそがこの国のめざす姿だと再認識しました。