2016年6月25日(1817号) ピックアップニュース
参議院選挙 特集 争点解説 協会政策部
社会保障の財源問題 〜「肩車型」社会論のごまかし〜
6月22日公示の参議院選挙は、憲法と安全保障、社会保障と経済、原発など、日本の未来を左右する重大な問題が問われている。今回は、消費税再増税延期により参議院選挙の争点に浮上した、社会保障の財源問題について考える。
しかし、政府の主張は間違いである。
(1)「消費税は社会保障の財源」ではない
そもそも消費税は本質的には、社会保障の財源としては使われていない。消費税が導入されて以降、消費税による増収額と法人税の減収額はほぼ同額(図1)になっており、結果として消費税が法人税減収の穴埋めに使われていることは、疑いない事実である。
さらに、政府は消費税10%増税にあたって、「全て社会保障財源化」と説明しているが、実際には増税分14兆円のうち、半分以上の7.3兆円は「後代への負担のつけ回しの軽減」に使うと説明している(図2)。この「後代への負担のつけ回し」がくせ者なのである。これは、要するに国債の償還にあてるという意味だ。つまり国債償還のために消費税を増税するのが政府の本音なのだが、それを隠して、国民に向かっては、「すべて社会保障に使う」と説明するための用語なのである。「国債は社会保障のために発行しているのだから、国債償還にあてることは社会保障に使うことになる」というのが政府の主張だが、これは政府の勝手な言い訳にすぎない。
国債は歳出全体に対して、歳入の不足を補っているのであって、社会保障費だけを取り出して国債とつなげるという手法は、インチキである。しかも国債発行の原因は、政府自身が小さな政府をめざして歳入を大幅に縮小したためである。政府の主要3税は、90年度には約50兆円だったが、2010年度には約32兆円まで縮小し、そのうち法人税収は18兆円から9兆円へと半減した(図3)。所得税の減少は、住民税への付け替えを行った影響である。
不況だから法人税減収は仕方がないのではと思われる方もおられよう。だが、日本の経済力、GDPは同期間に450兆円から480兆円へと増えている。国債依存は、政府が自ら招いた結果であり、これを社会保障費に結びつけ、消費税増税の合理化に利用するというのは、まさに国民だましという以外にない。
今、パナマ文書が注目されているが、税金逃れのためにタックスヘイブンに多額の資金が流出し、ケイマン諸島だけでも70兆円を超える資金が流れていることも明らかになっている。法人税課税を強化すれば、外国に逃げるというが、すでに多額の資金がタックスヘイブンに流失しているのである。
社会保障の財源は、消費税ではなく、担税力のある者に応分の負担を課すことにより生み出すべきある。
(2)「肩車」論は財源論にあらず
またこの間、政府は再び「肩車型」社会論を持ち出している。これは財政危機を強調するために政府がたびたび持ちだす使い古いされた議論で、65歳以上の高齢者1人を、20〜64歳の若者が何人で支えるか、というもの。60年代は9人で支える「胴上げ型」だったが、2012年は2.4人の「騎馬戦型」となり、2050年には若者1人で高齢者1人を支える「肩車型」になる(図4)というもの。少子高齢社会は、支えられる側が増えて、支える側が少なくなるから大変だという危機感をあおるものだ。
マスコミの解説などでもよく使われる。たとえば、毎日新聞6月22日付オピニオン「増税延期 暮らしの行方 これでは社会が破綻する」、神戸新聞6月17日付社説「税と社会保障 負担と給付の具体像を示せ」、読売新聞6月7日付解説スペシャル「消費増税延期 社会保障しわ寄せ懸念」など、多少表現は変わっても、「肩車」論を基本にしている。
だが、これは人口論としては正しくても、支える、支えられるという経済の問題、社会保障論としては、まったく間違っている。
第1に、65歳以上の人口は全員が支えられる側ではなく、相当な人口が現役で働いている。
第2に、20〜64歳人口は全員が就労しているわけではなく、あるいは就労していても非正規などのワーキングプアでは、他人を支えるどころか、自らの生活も困難である。非正規雇用の子どもの生活を年金生活の親が支えている例も少なくない。この場合は、支える側、支えられる側が逆転していることになる。
第3に、そもそも社会保障とは所得の再分配であり、人口で決まるものではない。所得を得ているのは誰かということ、そしてどれだけ担税力があるかの問題だ。そして重要なことは、所得を得ているものには法人としての企業も含まれることである。だが、「肩車」論からは、企業がすっぽりと抜け落ちてしまっているのである。
日本の大企業は、内部留保金という名の300兆円を超す余裕資金をかかえ、極めて大きい担税力を持っているにもかかわらず、企業の税と保険料の負担合計は、ヨーロッパの先進国と比べれば最低である。法人税の多寡は、法人税率だけで決まるものではない。課税範囲の広さが問題で、いわゆる大企業優遇税制によって、実際の法人税額は決して高くない。メガバンクの法人税がゼロだったとか、トヨタ自動車が納税するどころか、消費税の輸出戻し税で大儲けしたなどのニュースはその一端である。
今、必要なことは、こうした担税力の高い大企業に応分の負担を求めることである。税制による直接的な負担増だけではない、賃金をあげ、正規雇用を増やすことでも税収増に反映できる。あるいは企業の社会保険料負担割合をヨーロッパ並みに増やす方法もある。
どうする社会保障の財源
安倍首相は6月1日、記者会見で消費税の再増税の延期を発表し、「社会保障については...引き上げた場合と同じことを全て行うことはできないということはご理解をいただきたいと思います」と述べた。これに対して、マスコミ各社は「社会保障財源充実のために、消費税増税を予定通り実施するのが筋だ(6月2日、朝日新聞)」「社会保障の財源が失われてしまう(6月2日、毎日新聞)」などと論じている。一見、マスコミの論調は政府の対応を批判しているように見えるが、消費税は社会保障の財源であり、国債発行は社会保障のためという政府の主張をうのみにしたものだ。こうした前提に立つと、結局、安倍内閣が消費税増税を延期するのであれば社会保障の削減は仕方がないことで、これを批判する野党は無責任だという結論にならざるをえない。しかし、政府の主張は間違いである。
(1)「消費税は社会保障の財源」ではない
そもそも消費税は本質的には、社会保障の財源としては使われていない。消費税が導入されて以降、消費税による増収額と法人税の減収額はほぼ同額(図1)になっており、結果として消費税が法人税減収の穴埋めに使われていることは、疑いない事実である。
さらに、政府は消費税10%増税にあたって、「全て社会保障財源化」と説明しているが、実際には増税分14兆円のうち、半分以上の7.3兆円は「後代への負担のつけ回しの軽減」に使うと説明している(図2)。この「後代への負担のつけ回し」がくせ者なのである。これは、要するに国債の償還にあてるという意味だ。つまり国債償還のために消費税を増税するのが政府の本音なのだが、それを隠して、国民に向かっては、「すべて社会保障に使う」と説明するための用語なのである。「国債は社会保障のために発行しているのだから、国債償還にあてることは社会保障に使うことになる」というのが政府の主張だが、これは政府の勝手な言い訳にすぎない。
国債は歳出全体に対して、歳入の不足を補っているのであって、社会保障費だけを取り出して国債とつなげるという手法は、インチキである。しかも国債発行の原因は、政府自身が小さな政府をめざして歳入を大幅に縮小したためである。政府の主要3税は、90年度には約50兆円だったが、2010年度には約32兆円まで縮小し、そのうち法人税収は18兆円から9兆円へと半減した(図3)。所得税の減少は、住民税への付け替えを行った影響である。
不況だから法人税減収は仕方がないのではと思われる方もおられよう。だが、日本の経済力、GDPは同期間に450兆円から480兆円へと増えている。国債依存は、政府が自ら招いた結果であり、これを社会保障費に結びつけ、消費税増税の合理化に利用するというのは、まさに国民だましという以外にない。
今、パナマ文書が注目されているが、税金逃れのためにタックスヘイブンに多額の資金が流出し、ケイマン諸島だけでも70兆円を超える資金が流れていることも明らかになっている。法人税課税を強化すれば、外国に逃げるというが、すでに多額の資金がタックスヘイブンに流失しているのである。
社会保障の財源は、消費税ではなく、担税力のある者に応分の負担を課すことにより生み出すべきある。
(2)「肩車」論は財源論にあらず
またこの間、政府は再び「肩車型」社会論を持ち出している。これは財政危機を強調するために政府がたびたび持ちだす使い古いされた議論で、65歳以上の高齢者1人を、20〜64歳の若者が何人で支えるか、というもの。60年代は9人で支える「胴上げ型」だったが、2012年は2.4人の「騎馬戦型」となり、2050年には若者1人で高齢者1人を支える「肩車型」になる(図4)というもの。少子高齢社会は、支えられる側が増えて、支える側が少なくなるから大変だという危機感をあおるものだ。
マスコミの解説などでもよく使われる。たとえば、毎日新聞6月22日付オピニオン「増税延期 暮らしの行方 これでは社会が破綻する」、神戸新聞6月17日付社説「税と社会保障 負担と給付の具体像を示せ」、読売新聞6月7日付解説スペシャル「消費増税延期 社会保障しわ寄せ懸念」など、多少表現は変わっても、「肩車」論を基本にしている。
だが、これは人口論としては正しくても、支える、支えられるという経済の問題、社会保障論としては、まったく間違っている。
第1に、65歳以上の人口は全員が支えられる側ではなく、相当な人口が現役で働いている。
第2に、20〜64歳人口は全員が就労しているわけではなく、あるいは就労していても非正規などのワーキングプアでは、他人を支えるどころか、自らの生活も困難である。非正規雇用の子どもの生活を年金生活の親が支えている例も少なくない。この場合は、支える側、支えられる側が逆転していることになる。
第3に、そもそも社会保障とは所得の再分配であり、人口で決まるものではない。所得を得ているのは誰かということ、そしてどれだけ担税力があるかの問題だ。そして重要なことは、所得を得ているものには法人としての企業も含まれることである。だが、「肩車」論からは、企業がすっぽりと抜け落ちてしまっているのである。
日本の大企業は、内部留保金という名の300兆円を超す余裕資金をかかえ、極めて大きい担税力を持っているにもかかわらず、企業の税と保険料の負担合計は、ヨーロッパの先進国と比べれば最低である。法人税の多寡は、法人税率だけで決まるものではない。課税範囲の広さが問題で、いわゆる大企業優遇税制によって、実際の法人税額は決して高くない。メガバンクの法人税がゼロだったとか、トヨタ自動車が納税するどころか、消費税の輸出戻し税で大儲けしたなどのニュースはその一端である。
今、必要なことは、こうした担税力の高い大企業に応分の負担を求めることである。税制による直接的な負担増だけではない、賃金をあげ、正規雇用を増やすことでも税収増に反映できる。あるいは企業の社会保険料負担割合をヨーロッパ並みに増やす方法もある。