2016年7月25日(1820号) ピックアップニュース
燭心
先日、わが家の飼い猫が死んだ。震災の次の年にやって来たので、ちょうど20歳だった。花も恥じらう乙女、と言いたいところだが、ヒト年齢に換算すると100歳、大往生である。猫といえどもこれだけ一緒に暮らしていると、実の娘を亡くしたようでしばらく悲しみに堪えない▼若い頃のおてんばも、晩年は少しずつ動きが鈍くなり、のっそりした暮らしぶりの日々であった。白内障で目が真っ白になっていた。ほとんど見えなかったようだが、それでもうまく家の中を歩いていた。元来夜行性の生き物だからなのか、なかなかの技である。食事をしていると膝の上に乗ってきてねだる、寒い日には布団に入れてくれとせがむ、猫好きにはたまらない▼認知症が進み、所かまわず粗相をし出した。おむつを試してみたが、嫌がって外そうとする。下痢などしようものなら下半身便まみれになるのであきらめた。ひたすら片付けをするだけである。怒りたくもなるが、どうなるものでもない。老いるとはこういうことなのだと受け入れる▼さて、人間様の方はどうなのだろうか。長寿はありがたいことだが、やはり人生の最後はいろんなお世話をしてもらうことになる。もとより〝飼い主〟などいない我々には社会的な手助けが必要だ。社会保障という考え方はこうしてできてきたのだろう。首相の「一億総活躍」という言葉とはうらはらに、医療や介護をさらに切り下げていこうとする動きが強い。ニャンとも憂鬱だ(星)