2016年9月15日(1824号) ピックアップニュース
燭心
リオ五輪が閉幕。獲得メダル数を誇らしげに語る報道の中、いくつか気になるコメントがあった▼卓球の福原愛選手は団体で銅メダル獲得にもかかわらず、「苦しかった」を連発。銀メダルのレスリング吉田沙保里選手は「ごめんなさい」と不特定の相手(国民?)に謝った。何がここまで彼女たちを追いこんだのか。選手たちは「国を背負って立つ」ことを強要されているのではないか▼NHKの刈屋解説委員は「国威発揚」を五輪のメリットとして挙げた。先立って行われた選手団壮行会でも、森喜朗元首相が「国家を歌わない選手は日本代表ではない」とぶち上げた。五輪憲章が戦争の反省から「選手個人やチーム間の競争であり、国家間の競争ではない」と謳っているにもかかわらずだ▼これは、2018年度から小中学校で実施される道徳の教科化と無関係ではないだろう。安倍総理肝いりのこの教育「改革」は、個よりも家や国を上位におき、全体のために行動することを美徳としている。国は教科書を使い、これを画一的に普及(洗脳)させようと目論む。このように育った子どもたちは、国民の自由を制限し国家を主体とする自民党「改正」憲法のもと、国のために黙々と働くことをいとわない人間になっていくだろう▼閉会式では、選手をさしおき安倍総理や小池都知事がPR。彼らに政治利用された今回の五輪が、安保関連法、海外派兵、憲法改悪、そして戦争への道を開く序章となるのか。(九)