2016年12月15日(1833号) ピックアップニュース
福島県民健康調査とこれからをどう見るか
予防医学的対応の充実こそ実践的課題
電話インタビュー 福島県・医療生協 わたり病院 齋藤紀先生に聞く
【さいとう おさむ】1947年宮城県生まれ。福島県立医科大学卒業。広島大学原爆放射能医学研究所で内科・臨床血液学の研究に従事。88年広島中央保健生活協同組合福島生協病院院長・名誉院長を経て、09年〜現職
甲状腺検査「見直し」とは?
森岡 齋藤先生には、今年(2016年)3月に、福島でお話をお伺いしました(本紙4月25日付掲載)。ふるさとに帰れず、家族離散などに苦しめられ、賠償も打ち切られようとしている県民の方々の切実な状況と思いを知ることができました。今回、子どもたちの甲状腺検査を「見直し」するという報道を見て、「政府が被害を矮小化しようとしているのでは」とまず感じましたが、事実経過や福島県民の受け止めなどについて、ぜひ齋藤先生に見解をお伺いしたいと思いました。
放射線による健康被害は継続的なフォローが必要と考えられますが、なぜ、今回、「見直し」という話が出てきたのでしょうか。
齋藤 「見直し」という問題が登場するのは、ランセット(383,1883-1884,2014)掲載の渋谷健司氏らの提言で、「Time to reconsider thyroid cancer screening in Fukushima」 とされたことが契機と言えます。これはこの20〜30年、国際的に見られている甲状腺がんの有病率急増と死亡率不変、それが甲状腺超音波検査の導入−検査の増大にあることを踏まえたもので、甲状腺エコー検診に起因している「過剰診療、過剰治療」の問題を、県民健康調査(甲状腺エコー検査)に重ねたものでした。
その後、県民健康調査の第20回検討委員会(15年8月31日)において、全手術事例が「進行事例」に限定されたものであり、サイズ、リンパ節転移、遠隔転移などに関し手術適応基準に準じていることが示されました。
この間、検討委員会で何かを具体的に「見直すこと」が決定されたことはなかったのですが、福島県小児科医会の「声明」に関連したインタビュー記事が出され、「見直し」問題があらためて報道ベースにのったと言えます。
森岡 具体的に、対象者を縮小する見直しが進んでいるわけではないということですね。きっかけとなったという、小児科医会の「声明」について、詳しく教えてください。
齋藤 これは、包括的な子育て支援や避難・帰還の子どもと家族支援など、福島県の小児科医療に関する課題を社会に広く提言したもので、調査の縮小を求めたものではありません。
県民調査は、子どもだけでも対象が30万人に及ぶ大規模な調査です。やむを得ない部分もあるのですが、甲状腺調査の遂行によって、保護者の方々や子どもたちが受けている精神的な影響を、臨床の現場で感じ取っている小児科医らが、甲状腺嚢胞の捉え方、甲状腺がんの特性、検査や手術の意味、被曝影響や甲状腺がんのこれからについて等、もう少し丁寧な説明や対応がはかれないものか、住民にもっと寄り添う形で調査ができないものかという立場で見直しを提言したものです。
森岡 より丁寧な説明や同意の必要性が要望されているということですが、実態として甲状腺検査が半ば義務的に行われ、住民の方々に否定的な思いがあるということなのでしょうか。
齋藤 調査は、学校での集団検診という形で行われており、受ける子どもたちや保護者からすると「十分な説明や同意が行われていない」「異常所見が見つかった場合の不安に充分対応しきれていない」現状となってしまっているのです。
ただし、甲状腺調査、健康調査の必要性については、保護者も県民も一定理解しており、その上での心配といえます。
長期的に議論すべき甲状腺がん検査結果
聞き手 森岡芳雄副理事長
齋藤 甲状腺がん「多発」の主張は、無症状者の超音波検査によって得られた甲状腺がん発見率を、有症者の臨床レベルでの有病率(がん登録)と比較したことによるものです。主要な見解では約50倍の多発と述べられています。
スクリーニング検査としての超音波検査の導入は、それだけで臨床レベルの有病率を何倍にも引き上げます。それがどの程度かを見定める必要があります。
例えば超音波検査が導入される前の成人の有病率は、(男女)10万人対2.14人です(1975年がん登録)、それに対して、その後、成人に対して行われている甲状腺エコー検診でのがん発見率は(男女)10万人対465人です(本邦論文をレビューした志村らの報告、2014・2・22国際シンポ、男性270人、女性660人)。つまり約200倍以上(221倍)になります。甲状腺を取り囲む軟部組織(皮膚、脂肪、筋肉、脈管)を貫いて甲状腺内結節を写しだす超音波の威力です。
森岡 甲状腺がんは発育スピードが遅く、エコー導入による早期発見で、発見率が上がっているのではないかということですね。
齋藤 そうです。子ども(18歳以下)においては、超音波検査導入後、甲状腺エコー検診は基本的に行われてきませんでした。そのために成人のような比較ができません。しかし当然のことですが、子どもにおいても超音波検査の威力が甲状腺がん発見率を引き上げるのは同様です。
超音波検査導入前の1975年のがん登録で、子どもでは10万人対0.15人とあります。子どもの超音波検査によって発見率が同等に増加する(221倍)とすれば、0.15人×221=33.0人(10万人中)となり、発見率は0.033%となります。これは県民健康調査での甲状腺がん発見率(先行検査2011年度0.03%、12年度0.04%、13年度0.04%、本格検査14年度0.03%、15年度0.01%)と極めて近似しています(数値は2016・6・6 第23回検討委員会報告)。
超音波検査の特性を考慮せず、現在の事例数と臨床(がん登録)との比較のみで「多発」論を展開することは少々乱暴と言えます。
次に問題となるのは、現在推計されている甲状腺内部被曝線量(Ⅰ−131)です。弘前大学の床次(とこなみ)や細田らによる一連の調査によれば、甲状腺被曝線量が相対的に高いと見られている浪江町住民2393名の推計では、甲状腺被曝量は最大で18mSvとされ、10mSv以下に99%以上が含まれます。放医研(千葉)の推計では原発近郊町村住民で最大で30mSvとされています。
チェルノブイリ事故における子どもの甲状腺がんに関する調査が示すのは、第1に甲状腺がんの増加は甲状腺被曝量に相関して見られたこと(放射性誘発性甲状腺がん)、第2におおむね1Gy(グレイ、1000mSv)あたり、対照に対する相対リスクは約5倍と示されたことです。
福島で推計されている被曝線量域、例えば50mSv前後からそれ以下では甲状腺被曝量と甲状腺がん増加との間に有意な関係性は得られていません(Ivanov et al.2012)。
従って福島第一原発事故被災者の甲状腺がんの問題は、極めて低い線量域における議論となります。甲状腺がんに対する放射線の影響を論ずるためには、これからの推移を見守る必要があり、現時点で放射線被曝によって〝増加している〟と言うことは困難です。
森岡 福島は低線量グループというお話ですが、広島・長崎以来、政府は外部被曝をことさら重視し、内部被曝をないがしろにし、被害を矮小化しているように思います。甲状腺以外の放射線障害発生の可能性について、どうお考えですか。ヨウ素131以外にもセシウム、ストロンチウムなど、さまざまな放射性物質が飛散し、正確な被曝線量が測定できているのかという問題もあると思うのですが。
齋藤 誰もが一致する意見は、事故初期の放射線ヨウ素の測定には十分な対応ができなかったということです。それを前提としつつ、セシウム137の半減期は30年で、まだ測定できます。これまで残されているデータからさかのぼって、当時の放射性ヨウ素131の甲状腺被曝量が推計できるということが確認されています。甲状腺以外の内部被曝を考えた場合、基本的にこの半減期30年のセシウムが中心と言っていいと思います。
子どもも成人も、被曝線量が、もっとも大事な点です。現時点で避難者において推計されている外部被曝線量は事故後4カ月間に最大25mSvと推計され、99%以上は3mSv未満とされています。放置された動物の内部被曝についても調査がすすめられており、人体被曝の参考になる可能性があります。
WHOの2013年に示されたリスクも基本的には原爆被爆者の知見を踏まえ、「しきい値なし」のモデルから推計されています。それによれば最も高い線量を受けたとされる地域を浪江町と想定し、そこに1歳の子どもが4カ月とどまり地元の食材を摂取した時の、89歳までの生涯リスクを割り出しています。全固形がん生涯リスクは、ベースラインが29.04%(1000人中290・4人が発癌)に対し、過剰の生涯リスクが1.113%、つまり1000人中11・13人増加すると推計しています。
このデータは、4カ月避難せずにいた場合の、最大の被曝線量を考慮したものとしています。WHOは被曝リスクが全くないという立場ではありませんが、このような線量推計を踏まえるとすれば、現実には放射線被曝による固形がん過剰リスクは極めて低値と考えざるをえません。
放射線被曝による非がん疾患(動脈硬化性疾患)増加に関しては、原爆被爆者(若年被爆者)において確認されていますが、福島の子どもたちの数十年後の動脈硬化の問題を、今の線量から決定論的に論ずることは適切とはいえません。福島第一原発事故の被災者においては、生活支援を含めた予防医学的対応の充実こそが根本的、実践的課題と言えます。
なお原発事故作業員の問題は別個に、さらに多面的に論議される問題と考えています。
森岡 すでにこの調査で甲状腺がんが見つかった方々への治療やフォローアップも気になります。
齋藤 手術事例の一つひとつがどのような進展事例であったのかは(手術適応であったのかは)公開されています。病理学的所見(組織型)も住民・国民の理解に必要とされるデータとして、公開されています。
個別の手術事例は当然、臨床上の観点からフォローされていることと考えられますが、子どもの心理面に関する配慮がどのようになされているのかについては詳細な広報はありません。小児科医の懸念もここにあります。ここには、甲状腺がんの手術をされた方のプライバシー保護の観点と、得られた知見の広報の観点という、相反するテーマが存在しています。経緯を見守りたいと思います。
健康調査に必要な社会病理学的視点
森岡 「県民健康調査における中間とりまとめ」も出ていますが、これまでの調査と結果を踏まえ、これからをどうお考えですか?齋藤 県民健康調査は、甲状腺調査のみでなく、県内外の避難者を対象とし、心身の健康を詳細に追求してきました。
当初は不安を除くためとされていましたが、心身に対する影響の実態調査となり、不活発病からくる糖代謝、ストレスからくる血液濃縮、心血管系の病態など、端緒的ですが、避難生活にともなう不健康の実態が明らかになってきています。「全般的精神健康状態」調査では避難者に高頻度のうつ傾向が見られ、福島第一原発事故による人間破壊の一つを示しました。
原発事故に関わる研究は当然、県民健康調査にとどまりません。事故を契機に低線量被曝にかかわる基礎研究も活発化していると言えます。皮肉ですが原子力工学がその基礎、応用を含めて廃炉工学ともいうべき方向にウイングを伸ばしています。そしてさまざまな「福島学」が意識的に追求されてきたといえます。
文化文芸の領域も含め、報道陣の記録、多様なNPOの支援活動など全体としての達成を俯瞰すれば、そのボリュームは巨大なものと言えます。福島に身を置き、それらの営為を凝視してきた者として、それは驚嘆といわざるを得ません。
しかし、もっとも重要なことは被災克服の現実の進捗です。被災者の多くは、まだ曙光がみえたとは思っていないことです。
森岡 放射線による直接的な人体への影響よりも、生活・生業が奪われたことによる健康被害の方が、現時点ではるかに深刻だということですね。
齋藤 その通りです。被曝の影響調査と被災者の健康を守ることは一体のものと言えますし、今後も実施されていくことは当然なことと思います。
ただ、福島第一原発事故被災者の特性は、第1に極めて低線量グループであり、第2に健康破壊には家族と地域と生業の喪失という条件が大きく関与していることです。現時点でも避難者の47.5%は家族分散が継続しています。住宅無償提供を受けている世帯の66.7%は、その終了(2017年3月)後に住む家が決まっていません(2016・6・21地元紙報道)。翻弄されつづけてきたこの5年間は、避難者を疲弊させるのに十分な時間であったと言えます。
健康問題の把握には社会病理学の視点こそが強く求められています。
生活再建できないまま賠償打ち切り
森岡 福島の方々から、住居、故郷、郷土に対しての並々ならぬ愛着や誇りを感じます。先祖が築いてきた田畑、先祖代々住み着いてきた土地、地域の絆...何とか帰りたいという強い気持ちを、避難された方からも帰還された方からも感じ、とても感動しています。避難する権利も帰還する権利も、被災された方々にはあります。帰還を望む人々には地域コミュニティー、生活物資、教育、医療・介護、福祉、就業などの生活環境の回復が不可欠でしょうし、避難を継続する人々には郷土とつながる手段の確保と経済的生活支援が最低限必要だと思います。政府や東電、私たちはその権利を経済的にも保障しなければなりません。
しかし今、政府、東電は被災者への生活支援、補償を打ち切ろうとしています。兵庫県でも、避難者への住宅提供が来年(2017年)3月で打ち切られようとしており、大問題だと思います。
齋藤 仰るように、福島の被災者が直面している最大の問題は賠償の打ち切りです。簡単に言えば、全県の商工業者においては2017年度から、農林業者について言えば2019年度から営業損失の補填は打ち切りとするものです。事故と因果関係があれば対応とのことですが、事実上の打ち切りです。
また、避難の解除が支援の打ち切りにつながることになっており、大問題と言えます。
避難解除地域における中小企業の営業再開率が平均して22%(2016・6・4地元紙報道)にとどまっていることは、そのような打ち切り策と無縁とは言えません。農業・畜産業者にとっても、打ち切りは最大の問題です。
森岡 事故を起こした責任など忘れたかのような、ひどいやり方ですね。
齋藤 全くです。農業・畜産業者は、食の安全性の確保に涙ぐましい努力をしてきました。直近の2015年度(2015・8・20〜2016・8・19)、米(玄米)は、全袋検査(1049万6697袋)で全て(100%)が基準値内を達成しました。しかし、2014年度の福島県のコメの産出額は、震災前(791億円)に戻れないどころか、事故時の2011年度の産出額(750億円)よりも低く529億円にとどまっています。生産高が回復しても、風評も含め米価の下落が決定的だからです。
森岡 よく「風評被害」と言われますが、基準値以下であっても、「汚染された」という事実があり、消費者がそこに寛容になるのは非常に難しい。風評被害ではなく、事故による明確な被害であり、政府・東電が補償すべきです。
齋藤 さらに政府が今、行おうとしているのは賠償打ち切りに加え、TPPへの参加です。TPPは福島の農業にさらに甚大な影響を与えることになります。
先生が冒頭でおっしゃった「被害の矮小化」ということに関して言えば、政府は「被害の矮小化」にことさら腐心することなく、賠償打ち切りに正面から切りこんで来ています。政府・東電が原発事故被害を小さく見せたいとすれば、その目的は、第1にさらなる賠償を回避するため、第2に原発再稼働を促進するためです。現実は、そのいずれにおいても正面突破で来ています。
甲状腺問題は確かに福島第一原発事故に結合した問題であり、ふさわしい解決が求められます。しかし、今日までの知見を踏まえていえば、福島原発事故被災者の人間復興にとって、甲状腺問題が闘いの最大の結節点と考えることはできません。また甲状腺問題の解決には一定、時間がかかると見ています。被災者の団結を壊すことなく冷静に進められるべきものと思います。
再稼働ストップで福島の人々と連帯を
森岡 福島に残られた方、帰還しようとされている方、避難を継続されている方、他所での定住を選択された方、それぞれに福島への強い思いがあると思います。齊藤 避難し帰還を待っている方たちは、根本的には郷里に住むことを大前提にしています。避難が解除された地域でも、ホットスポットのようなところは今も存在していますが、「除染して線量が高いところをなくそう」と考えます。線量が1mSv以下のところに早く住めるように、というのが一つの基準です。事故で発生し続ける放射性廃棄物の仮置き場や中間貯蔵施設など様々な問題にジレンマを感じながら、そこで住む、そこで生きるために、何が必要かを考えつづけてきました。
そしてふるさとを取り戻す努力を、5年間ずっと行っています。お祭りを復活したり、折に触れてつどいをもったり。このような取り組みで、気持ちを癒えさせないように、状況を乗り越えようとしています。
帰還の問題について「帰りたいけど帰れない」理由には、もちろん放射線量の問題もありますが、インフラが整備されていない、農業を基盤とした生業を再開・維持できない、生活を支援すべきところを逆に削るような政策が打ち出されている等々、社会的なファクターが元凶といえます。
森岡 兵庫県にも避難している方が多数おられ、兵庫協会も県民主医療機関連合会の避難者健診に協力していますが、避難している方たちに、私たち医療者は何ができるのでしょう。
齋藤 県内避難者の場合も本質は同じですが、他県に自主的に避難された方々の置かれた状況は5年を経過していっそう多様となっています。家族も含め避難先で自分の生活を取り戻した方、逆に生活保護や家族崩壊の事態に直面している方、また避難先自治体によっても行政の支援の輪の広がりに温度差があります。
いずれにしても健康問題がそれだけ独立して存在していることはあり得ず、生活と家族をどう立て直してゆくかに最大の課題があると思います。健康、教育、家計、就労の問題など総合的な支援活動にならざるを得ません。もっとも重要なことは、医療機関がそれ自体として、被災者にとって信頼でき社会的公正さを示せる存在であることです。
森岡 私たちが、福島のためにできることは何なのでしょうか。
齋藤 もし全国の原発が廃炉へ向かい、数年後に再生可能エネルギーに完全移行すると打ち出されたならば、県民はいっそう前向きになれると思うんです。国民が立ち上がって再稼働を阻止したならば、それが福島を勇気づけ、連帯の証となり、福島の復興を支えるんじゃないかと思っています。
森岡 ありがとうございました。福島の復興にかける熱い思いを聞かせていただきました。自分たちが何をするべきか。「原発再稼働阻止・新増設阻止が福島の県民の支えになる」、その思いで、これからも、反原発運動に取り組んでいきたいと思います。