2017年7月25日(1852号) ピックアップニュース
理事会特別討論講演要録
「かかりつけ医」について考える
西山裕康理事長
※講演の詳録は、協会ウェブサイトに掲載
「かかりつけ医」の歴史的経過
今、いわゆる「かかりつけ医」に関する議論が盛んだ。この討論が当会としての一定の見解となれば幸いである。「かかりつけ医」は、誰が何のために言いだしたものなのだろう(図1)。やはり政府発の医療費抑制が大きな目的と考えるのが自然だろう。
まずは「かかりつけ医」を歴史的に見ていこう。
1983年に吉村仁氏(元厚生省事務次官)が「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」という文書を発表した(図2)。その一つである「医療費需給過剰論」への対応の中で、「需要面では...かかりつけ『の』医師を持つこと」と初めて「かかりつけ」の医師に言及している。
これを受け、厚生省は87年に「家庭医に関する懇談会報告書」により「家庭医」を提案した。日医はこの家庭医「機能」の必要性には理解を示していたが、新たな「制度」はイギリスのGP=general practitionerと同じくゲートキーパーの役割を担わされ、医療費抑制のための患者登録・人頭払い、医師・医療の国家管理の強化につながるとの危惧から反対し構想は中断された。
92年、日医は村瀬敏郎会長の下で「かかりつけ医」制度を提唱し、開業医師は誰もが国民に選ばれてかかりつけ医になるという認識を示した。94年には「かかりつけ医機能の評価に関する研究」、96年には厚労省の受療行動調査に「かかりつけ医」の文言が見られ、98年からの3年間には「かかりつけ医推進モデル事業」も実施され各地域の医師会が参加し、「かかりつけ」の言葉が広がりを見せた。
その後2004年には厚労省が「新医師臨床研修制度」の中で「医師国家試験に合格した医師は2年間、『家庭医』としての仕事を十分に果たすため...、専門医を目指す場合でもこの『家庭医』としてのコースを修めた後に...」として再度「家庭医構想」を盛り込んだ。
07年、経済財政諮問会議は「総合的な診療能力をもつ医師の養成の仕組みについて検討する」と答申し、閣議決定された。これを受け、厚労省は幅広い病気を診断できる医師に厚労省が認定資格を与え「総合科」を認めるという「総合科構想」を打ち出した。これらは、開業医の登録医制への条件整備と、患者の初期診療を「総合医」に限定するなどのゲートキーパー体制の構築といえる。
08年、日医はこれらの動きに対し、「フリーアクセスの制限、人頭割り、定額払い、総枠規制」制度への対抗策として、生涯教育制度をバージョンアップした「なんでも相談できるうえ、最新の医療を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う幅広い診療能力を有する医師」の認定制度(案)を公表した。現在の「かかりつけ医」に通じる定義がみられる。
同年、厚労省の「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化検討会は「専門医としての総合医・家庭医の養成のために、初期臨床研修制度や専門医トレーニング(医師後期研修制度)のあり方を見直すべき」とする提言を行ない、専門医制度への組み入れを目指した。
この間、プライマリケア学会、家庭医療学会、総合診療医学会の発足、臓器別診療科への移行に合わせた「総合診療部」の創設、日本プライマリケア連合学会への統合等もあり、「プライマリケア(医)」「家庭医(療)」「総合(診療)医・部・科」等の名称と機能が整理されていない面があるが、基本的に、政府は医療費抑制を主目的とした、初期に総合的な診療能力を持つ医師を認定、制度化し、ゲートキーパー役としての診療報酬点数を与え、さらには医師・医療の国家管理の強化をその狙いとしている。一方で、日医は、それらを阻止すべく、医師の機能を重視した緩やかな定義による認定制度の主導的な創設を目指している。
実際、08年に厚労省は後期高齢者医療制度の新設にあたって、「複数の疾患を持つ高齢者を一人で診ることができる開業医を、総合的な診断能力のある『かかりつけ医』と認定し公的な資格を与える」ことを計画していた。新設された「後期高齢者診療料」は、慢性疾患について人頭払い制を導入するもので、事実上の「総合的な診療能力のある医師」の制度化・診療報酬点数化のさきがけであった。
これまで、厚生省の「家庭医」構想から、診療報酬上に盛り込まれた「かかりつけ医」的要素を含んだ後期高齢者診療料までを見てきた。
結局、吉村論文に基づく政策方向の具体策として医師の官僚統制、ゲートキーパー機能の強化、人頭払いなどを、(名称はともあれ)制度化し、診療報酬上に反映することで医療費抑制を目指す政府・厚労省の家庭医・総合医的「制度」構想と、一方で医師のプロフェッショナルオートノミー(職業的自律性)を重視し、医師のかかりつけ医的「機能」を強化し、患者、医師以外の第3者主導による制度化や診療報酬点数化による医師の分断化、区別化、階層化を許すべきでないとする日医とのせめぎあいが、30年以上に及ぶ「かかりつけ医」をめぐる議論の底流ではないだろうか(図3)。
「かかりつけ医」の定義
次は現在の「かかりつけ医」に関する議論を見ていこう。「かかりつけ医」の定義は「日本医師会・四病院団体協議会合同提言」によれば「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」であるとされ、「『かかりつけ医』は、以上の定義を理解し、『かかりつけ医機能』の向上に努めている医師であり、病院の医師か、診療所の医師か、あるいはどの診療科かを問うものではない」とされている。
比較的緩やかな定義と幅広い機能で、特定の医療機関や既存の資格や標榜科とは関連させていない。
議論の背景にあるもの
現在の医療を取り巻く情勢の変化から「かかりつけ医」の必要性を考えてみる。第1に供給側の要因としては、機能分化と連携の強化が挙げられる。つまりフリーアクセスの副作用といわれる大病院・専門医志向による軽症受診・重複検査、勤務医の過重労働の改善、患者の病歴や生活環境等の総合的・継続的把握といったトータル・プライマリケアと振り分け機能の必要性である。
第2に需要側の要因としては、患者の高齢化、独居、多死社会、認知症を含む慢性多病併存とその長期化、臓器別疾病から複合的老弱へという変化に対応するために、多種専門医連携から総合医による診療という考えである。
最後に、可能な限り住み慣れた家で全人的医療を受けるために、患者中心のネットワークである地域包括ケアシステムのコーディネーターとして「かかりつけ医」に、まさに「医療は医学の社会的適応」を実践する医師像としての期待がかかる。
一方、政府の考え方はどうだろう。2013年の「社会保障制度改革国民会議報告書」では、「(社会保障の)給付を賄うため、現役世代の保険料や税負担は増大し、またそのかなりの部分は国債などによって賄われるため、将来世代の負担となっています」としている。
そして、「『いつでも、好きなところで』と極めて広く解釈されることもあったフリーアクセスを、今や疲弊おびただしい医療現場を守るためにも『必要な時に必要な医療にアクセスできる』という意味に理解していく必要がある」「フリーアクセスを守るためには、緩やかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』の普及は必須」とした。
「医療給付の重点化・効率化」では「大病院の外来は紹介患者を中心とし、一般的な外来受診は「かかりつけ医」に相談することを基本とするシステムの普及、定着は必須」とされている。
この間の議論や制度の構築から推測されるのは「かかりつけ医」の二つの機能である(図4)。
一つは地域医療提供体制で果たす機能である。幅広い初期診療の担当能力は、地域によっては必要であるが、その役割の画一的強化は、ゲートキーパーとしてのアクセス抑制にも寄与しやすい。
もう一つは、「連携」をキーワードとする地域「包括ケア」システム内での機能である。「病院で治す医療」から「地域で治し、支える医療」と言われる体制構築のために、在宅を中心としたネットワーク内でのメンバー、コーディネーターあるいはリーダーとしての役割である。
もちろん両システムにおける「かかりつけ医」としての役割と機能は時代の要請ではあるが、やはり、政府による「かかりつけ医」の普及は、医療費適正化(≒抑制)を主目的としており、厚労省の制度設計とその成否も、(残念ながら)医療費抑制「額」で評価される。
今進められている議論
現在政府の具体的議論は「『かかりつけ医』以外を受診した場合に、定率負担に加えて定額負担を求める」という制度の導入である。16年の社会保障審議会医療保険部会の「議論の整理」では、「...かかりつけ医の普及を進める方策や外来時の定額負担の在り方について、幅広く検討を進めるべき」と述べられている。
また、16年の財務省の財政制度等審議会では「『かかりつけ医』の普及や外来の機能分化は十分に進展していない。諸外国と比較して、我が国の外来受診頻度は高く、多くは少額受診。限られた医療資源の中で医療保険制度を維持していく観点からも、比較的軽微な受診について一定の追加負担は必要なのではないか」としている(図5)。
また制度のイメージについても具体的に言及しており、「一定の要件を満たす診療所等について、患者が『かかりつけ医』として指定(保険者に登録)」し、「この『かかりつけ医』以外の医療機関を、紹介状なしで受診する場合には、定額を負担」するとされている。ただし、現時点ではあえて「かかりつけ医」の定義や機能を細かく規定せず、比較的緩やかな条件で広く浅く網掛けし、公的医療費を患者にコストシフトさせる前例としたいようである。
しかし、この案は17年に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針 2017」では、紹介状なしの大病院受診時定額負担の対象病院を拡大する方向性のみが示されている。議論がまとまらず、改定に向け現実的な回答を出したとも言えよう。
これまでにも、医科全体においては、14年にかかりつけ医的機能について「主治医機能」と名を変え、その評価として地域包括診療料・加算を新設した(16年には認知症が追加)。標榜科は限定せず、対象は慢性疾患の一部に限定しているが、包括的・継続的・一元的な対応が決められている。
さらに2016年の診療報酬改定では初めて「かかりつけ」の文言が診療報酬の点数で評価される「小児かかりつけ診療料」、「かかりつけ歯科医機能強化型歯科診療所(か強診)」、「かかりつけ薬剤師指導料」、「かかりつけ薬剤師包括管理料」などが設けられている。
一方で、これらの診療報酬は算定する医療機関がなかなか増加しない。2014年に始まったかかりつけ医「的」診療報酬である「地域包括診療料(加算)」は算定医療機関が0.6%(6.8%)、2016年よりの小児かかりつけ診療料は届出が1.7%(算定は0.9%)。
これは、診療報酬が高点数でないと届け出が伸びないが、算定医療機関が多ければ医療費が増えてしまう。逆に、ハードルを引き上げると、届け出施設が伸び悩んでしまうからだ。
そこで、当初は高い診療報酬を多くの医療機関が算定できるようにし、その後報酬を引き下げるといういわゆる「はしごはずし」の手法がとられる。あるいは小児科や、歯科や薬科からパイロットスタディを兼ねる手法もある。
しかし、これまでの新設点数は、患者が受診した医療機関の報酬が増えるという医療機関への「ご褒美」が常套手段であったが、今回はかかりつけ医を受診しない患者に対し「ペナルティー負担」をさせるという新たな手法とは言えないだろうか。そして、この「ペナルティー負担」は、フリーアクセスを抑制しつつ、また選定療養とすることにより(差額ベッドと同じく)医療給付費を増やさず医療機関の収入増となり、さらには2006年の改正健康保険法の付帯決議(将来にわたって患者負担が3割を超えない)の改正が不要である。
日本医師会の対応
日医は昨年の4月から「日医かかりつけ医機能研修制度」を実施している。これは日医生涯教育認定証取得による基本研修に加えて、応用研修とともに、実地研修も比較的緩やかな条件で多くの医師に門戸を開いた制度となっている。患者からみた「かかりつけ医」
次に患者の側から「かかりつけ医」を見ていく。日医総研の調査では、28%の人がかかりつけ医が「いない」、29歳以下では47.2%が「いない」と回答している。
また、医療機関の受診のあり方について、「自分の判断で選んだ医療機関を受診する」という考えに賛成する人も27.2%存在する。さらに「かかりつけ医」が「いる」という層でも、3割近くの人が「2人以上のかかりつけ医がいる」としており、75歳以上の層では実に4割弱に複数の「かかりつけ医」がいる。さらに、この層では38%が診療所と病院それぞれにかかりつけ医がおり、病院のみに複数の「かかりつけ医」がいる人が28%に達している。
確かにすでに「かかりつけ医」を持つと考える患者は多いが、複数の「かかりつけ医」を持ち、しかも病院の医師を「かかりつけ医」としている患者も多い。これは政府や厚労省のいうゲートキーパーとしての「かかりつけ医」とはかなりイメージが異なる。
さらに若年層では「かかりつけ医」を持たない層も多く、3割の人が「自分の判断で医療機関を受診」すべきと考えており、患者側の選択の自由にも配慮が必要かもしれない。
また、患者がかかりつけ医に望む医療や体制としては「どんな病気でもまずは診療できる」「在宅医療」「夜間休日診療」から「こころの病気のカウンセリング」「看取り」まで、幅広い。このような現状で「かかりつけ医」は一人に固定できるのか。
以上から、政府の考える「かかりつけ医」と患者の希望には差が大きく、その制度化、点数化は前途多難であろう。
一方でフリーアクセス制限による医療費抑制は国策であり、それを達成する有望な制度として「かかりつけ医」的なものは、近い将来にも何度も必ず出てくるであろう。
今後の議論のために
政府・財務省発、厚労省提案の「かかりつけ医」制度を歓迎すべきだろうか。すでに多くの患者は「かかりつけ医」を持っている。しかしそれは普通の形容詞としての、例えば「いきつけの」「なじみの」「いつもの」店のようなイメージであり、利用者がどの店に行くかはまさにフリーアクセスである。医療機関の「かかりつけ」も同じ感覚で十分ではないか。「かかりつけ」を厳格に定義し、医師や医療機関や患者を主に報酬で峻別する必要はないのではないか。ましてや医療費抑制を目標とするのは本末転倒である。引き続き議論を行ないたい。