2020年2月05日(1932号) ピックアップニュース
燭心
30年余り前の協会紙の記事を紹介する。〝但馬朝来は雪だった〟(歴史作家・杜山悠・1989年3月21日付)▼〝ダムは関西電力の発電にはたらいている。人間の文明的生活は、ともかく、自然を食いつぶすことによって成り立っている。雪が足の下で泣くのは当然だ。それでも、原子力発電よりは安心だ。原発は必ず事故を起こす。事故をかくそうとする。分かりきったことだが、人は、それをやる。人だから、そうなる。人は万能ではないのだ〟▼それから22年、予言どおり福島原発事故は起きた。政府と東京電力は広範囲の放射能汚染を矮小化し、隠そうとした。すべては他の原発を再稼働させるため。法の番人たるべき司法も多くの原発の再稼働を容認し、裁判所は再稼働を推進する機関と成り下がった。過ちてそれを直さず、それを過ちと言う▼しかし、2014年には大飯原発の運転を差し止める判決が出された(福井地裁・樋口英明裁判長)。そして1月17日には、伊方原発の再稼働を認めない仮処分が決定された(広島高裁・森一岳裁判長)。司法は生きている▼原発事故を経験した国民は、原子力は決してエコでなく、安価でなく、安全でないことに気がついた。原発は使用済み燃料の保管に十万年を要し、最終処分場も決まっていない。使用済み核燃料は全国の原発などに置かれたまま、有害なトリチウム水も海洋へ放出しようとしている。原子力は自然のみならず、人の暮らしをも食いつぶす。決して人類にはそぐわない(蓮)