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兵庫保険医新聞

2021年4月25日(1972号) ピックアップニュース

特別政策研究会「遊動の時代を迎えて~ポストコロナ社会をどう作るか~」講演録
公共財を増やして発展する時代へ

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総合地球環境学研究所所長・京都大学名誉教授
山極 壽一先生

【やまぎわ じゅいち】1952年東京都生まれ。霊長類学・人類学者。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科教授を経て、2014年第26代京都大学総長。日本学術会議会長、国立大学協会会長、総合科学技術・イノベーション会議議員なども歴任

 2月27日に開催した特別政策研究会「遊動の時代を迎えて~ポストコロナ社会をどう作るか~」(講師:京都大学名誉教授 山極壽一先生)の講演録を掲載する。

人間により地球は危機に
 人間も含む猿や類人猿の仲間である霊長類は、すべて熱帯雨林から進化してきた。
 人類は、約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、直立二足歩行を始めて、熱帯雨林から草原へと進出を果たした。そして約200万年前に脳容量が増大し、アフリカ大陸を最初に出た人類へとつながっていった。しばらくは狩猟採集社会だったが、1万2千年前に農耕牧畜が始まった。この時、地球上の人口は500万人しかいなかった。
 それが産業革命を経て工業社会になり、情報社会から超スマート社会を迎えようとしている今、78億人に達した。この100年間に人口は4.5倍になり、人間だけではなく家畜もそれを超える規模で増大した。地球上の哺乳類の9割以上が人間と家畜で、人間の手により書き換えられた生命がこの地球上を覆っていると言っても過言ではない。
 地球上の森林は、造林地も含めて陸地の3割しかないという状況に達している。プラネタリーバウンダリーという地球の限界を示す九つの指標で見ると、気候変動、地球化学的循環、生物多様性の三つですでに限界を超えている。人為的な介入による結果として地球が危なくなっている。
 今回、新型コロナウイルスを経験し、人類が地球を支配しているというのが勘違いだと分かった。われわれの目に見えない微生物やウイルスに地球は未だに支配されている。野生動物には多くのウイルスの遺伝子が組み込まれ、熱帯雨林で共存してきた。ヒトの介入で混乱させたため微生物やウイルスが飛び出し、野生動物を介して家畜や人間に感染することとなった。新型コロナウイルスは、感染力は強いが致死率は低い。だからこそどんどん地球上に拡大し、パンデミックを起こした。現代の人々が密集して大集団をつくり、そして人や物がグローバルな動きを強めたことが原因として考えられる。
集団規模に合わせ脳が進化
 現在、避けるように言われている密集・密閉・密接の「三密」は、人間社会のどんな性質に由来するのか。
 人間の脳はゴリラの3倍の大きさを持つ。ゴリラの脳の大きさは500㏄以下、人間は1500㏄だ。人間の脳が大きくなった理由は何だろう。多くの方は言葉と思っているが、脳容量が増大した200万年前には言葉を話していなかった。
 イギリスの人類学者ロビン・ダンバーは霊長類の大脳化は社会の規模の増大に正の相関をもつことを示した(図1)。横軸を新皮質比、縦軸をそれぞれの種が示す平均的な群れ(集団)の規模とすると、右肩上がりのきれいな正の相関を示している。つまり、新皮質比が大きくなると、集団の規模が大きくなることが示唆されている。
 ダンバーは化石から推定する脳の大きさから相関係数を当てはめ、その時代の人類の集団規模を推定した。脳が大きくなる前の人類は、私が長年調べてきたゴリラの集団規模に匹敵する10~20人程度、脳が大きくなる頃、集団規模は30~50人に達し、そしてわれわれ現代人の1500㏄の脳に匹敵する集団規模は150人ということになった。この数は非常に興味深い。現代でもアマゾン奥地やアフリカの森林に住む狩猟採集民と呼ばれる人たちの平均的集団規模は決まって150人だ。
 面白いのは、この10~20人、30~50人、100~150人という集団規模は、現在でもコミュニケーション様式に維持されていると推測できることだ。10~20人は身体が共鳴する集団で言葉が要らない。ラグビーは15人、サッカーは11人であるように、チームワークがとれたスポーツができる。目配せ、しぐさ、ちょっとした声などの合図で仲間に伝え、相手は即座に理解して行動することができるのだ。
 ゴリラはこの10~15人が基本で、言葉がなくても一つの群れが共鳴し動く。それを私はずっと経験してきた。
 30~50人は学校のクラスの人数だ。毎日、顔を合わせているから誰が欠けてもすぐに分かる。誰かが指示すれば分裂せずについていく数だ。
 100~150人の集団は、何か喜怒哀楽を伴う共同活動をしたなどで覚えている数で、社会関係資本とも言える。自分がトラブルに陥った時に相談できる相手の数だ。
 日常生活に当てはめると10~20人の共鳴集団は家族だ。その家族が複数集まって地域集団をつくる規模が100~150人だ。この地域集団は音楽的コミュニケーションで成り立っている。祭りを一緒にする、同じ伝統食を食べる、同じような服を着るという、身体のリズムがすぐにでも共鳴できる人々の集まりが地域集団であり、人間はここに所属意識を持つ。
 それ以上の数の人々と付き合うのは例えばビジネス等であり、これらに応じたコミュニケーションの手段として言葉が発達した。
白目の動きで気持ちを読む人間
 言葉の前にどんなコミュニケーションがあったのか。それはゴリラが教えてくれる。ゴリラは間近で顔と顔を合わせ、挨拶、仲直りという対面交渉をよくする。猿にはこれはできず、相手の顔を見つめることは威嚇となる。
 では、ゴリラと人間の対面の違いは何か。人間は間近でなく、1m、2mと距離を置くことで安心できる。
 その要因は目にあるということが分かってきた。類人猿と違い人間の目には白目があり、白目の動きで相手の気持ちを読む。世界中の人々に白目があることは、人間が世界中に分散する前にこの能力が生まれたことが示唆されている。目を読むことは気持ちを読むことであり、共感力の向上に役立つ。
 コロナ禍でも対面コミュニケーションが重要なことに変わりはない。例えばビジネスの世界では最終的に重要な決定の時は必ず会いに行くし、京都大学でも医学部の入試には必ず面接がある。「将来、人間の命を預かる医師という職業に就く学生をわれわれは見極める必要がある」と医学部の先生が話されていたが、目が語るということはみなさんも経験していると思う。
共感力高めた共食と共同保育
 なぜ人間は、このように共感力を高める仕組みを持つ必要があったのか。結論を言えば、共食と共同保育が人類社会に必要となったからだと思う。
 チンパンジーは食物を分配するが、食物を運んで安全な場所で食べるのは人間だけだ。人間は食物をその場で食べずに食欲を抑制し、必要以上の量を集め、仲間のもとへ持ち帰り、仲間と分配し、仲間と共に食べるという複雑な行動をする。
 類人猿も猿も、自分の五感で食物の安全性を確かめて食べていたが、人間は運ばれてきた食物がどこから来たのか知らないから、仲間を信じて食べなければいけない。そこから仲間への信頼、期待が生まれ、情報が関与するという世界観に変わったのだ。
 いまだに食事は情報の宝庫だ。われわれは食事をしながら、食事と関係ないことに話を弾ませ、それが接着剤となりお互いがつながる。そこは生産の場ではなくつながりの場となる。
 もう一つ、共同の子育てが非常に重要だ。ゴリラと人間の成長の仕方を比べると非常によく分かる。ゴリラのオスは大人になると200㎏、メスは100㎏を超え、人間の2倍以上だが、生まれたときは1・6㎏で人間の半分しかない。3年間お乳を吸い、お母さんは1年間、片時も離れず、赤ちゃんは泣かない。人間の赤ちゃんは3㎏以上あり、丸々と太り、よく泣き、よく笑う。成長は遅いにもかかわらず、1歳、2歳で乳離れをする。
 図2の棒グラフは乳児期、少年期、成年期、老年期と一生の間、経験する段階だ。乳児期はお乳を吸っている時期で、少年期は離乳して大人と同じものを食べる。成年期は繫殖の時期で、老年期は繫殖から引退した時期だ。それぞれ長さが違い、人間にだけ子ども期と青年期も存在する。オランウータンは7年もお乳を吸う。ゴリラは3~4年、チンパンジーは5年だ。そして、離乳した時に永久歯が生えているから大人と同じものを食べられる。人間の子どもは永久歯が生えていないのに、早く離乳している。なぜか? これは人間が熱帯雨林を出たことに起因する。
 熱帯雨林の外は大変危険だ。高い木がないため、大型肉食獣に襲われれば木に登れずに死んでしまう。幼児や乳児の死亡率が高くなるので、たくさん子どもを産んで補充しないといけない。しかし人間は一産一子なので、出産間隔を縮めて何度も子どもを産むという方法をとるしかなかった。そのために赤ちゃんを早くお乳から離し、抑制されていた排卵を回復させる。
 ただし乳歯なので離乳食が必要で、大人が柔らかい果実などを運んだ。大変な手間とコストがかかったはずだが、多くの子どもを産むためにそれを行った。
 ではなぜ重い赤ちゃんを産むのか? これは脳の急速な成長を助けるためだ。脳が大きくなったのは200万前で、それまでに人間は二足歩行のために骨盤の形が変わり、骨盤の中にある産道の大きさを広げることはできなくなった。そのため、比較的頭の小さな赤ちゃんを産み、生まれてから脳を大きくさせる必要が出てきた。
 ゴリラの赤ちゃんの脳は4年間で2倍になり、成人の大きさに達する。人間の新生児の脳は3段階で成長し、1年で2倍、5年で大人の脳の90%、そして12~16歳まで成長しつづける。5歳以下は摂取エネルギーの40~85%を脳の発育に回す。本来であれば身体の成長に使うエネルギーを脳の成長に回す一方で、備えとして体脂肪を厚くさせた。ゴリラの赤ちゃんは体脂肪率5%以下だが、人間は15~25%ある。
 脳の成長を優先させて、身体の発育が遅れた結果、起こったのは思春期スパートという現象だ。1年間に伸びる身長の割合を見ると、生まれたときは身体の成長速度は早いが、脳にエネルギーが食われるため身体の成長スピードは下降する。12~16歳で脳の成長が止まると身体にエネルギーを回すことができるようになり、身体の成長が急にアップする。これが思春期スパートだ。
 この時期は脳の成長に身体が追いつき、繁殖力を身につける時期でもある。そして、学習によって社会的能力を身につける期間にもあたり、大変複雑で重要な時期だ。この時期には心身バランスが崩れ、大人とのトラブルや事故、病気などが起こり、死亡率が上がる。
 人間の子どもにとって重要な時期はこの長い離乳期と思春期にある。この二つの時期を支えるためにはとても親だけでは足りない。だから多くの人たちが集まり共同保育をしなければいけない。
 母親は自力でつかまることができない重たい赤ちゃんを抱き続けることができず、どこかに置く、あるいは人に預ける。その結果、赤ちゃんは母親から離れて泣く。泣き続ける赤ちゃんに周りの人は優しい言葉をかけ、あるいは抱く。そうすることで赤ちゃんは泣き止み笑う。その笑顔を皆は愛おしく思う。このように人間の赤ちゃんは共同保育をしてもらうように生まれついている。
 人類は直立二足歩行によって食物の分配と共食が起こり、サバンナに進出できた。その結果、肉食獣に襲われ子どもの死亡率が高まり、多くの子どもを産むようになり、脳が大きいため重たく、成長が遅い赤ちゃんを、親だけでは育てることができなくなり、共同保育が始まったという歴史をもっている。
共感力を高め音楽から言葉へ
 人類は進化の結果、複数の家族を網羅したとても強い社会力をもった。なぜゴリラやチンパンジーにこれができなかったのか。家族は見返りを求めず奉仕しあう組織だ。共同体はその地域のルールに従って分担し、助けあう組織で、見返りを求める。この二つは相反関係にある。ゴリラは家族的な集団しかもっていないし、チンパンジーは共同体的なものしかない。この二つを両立させることはとても難しい。人間にできたのは、共食と共同保育を通じて共感力を高めたからだと思う。
 人間は言葉を発明する前に、音楽的な能力を身につけた。これも共同保育から生まれたもので、マザリーズと言われ、文化や民族を問わずピッチが高く変化の幅が広く母音が長めに発音され、繰り返しが多いという特徴をもっている。世界中のどんな人も生まれつきこの能力をもっている。高揚感、感情・信頼の共有がこれで起こり、そして社会の同一性を音楽によってつくることができたのだ。
 そして言葉が生みだされた。言葉は重さがなく、持ち運びが自由だ。それまでは何か説明するためには、実物を見せなければいけなかった。それを言葉で伝えれば効率的だ。名前を付けて分類し、違うものを一緒にして価値をつける。それを組み合わせて物語を作り、因果関係を作り、目的を作るということを始めた。そして現場にはない、想像上のものをつくることもできるようになった。あっという間に人間は世界観を変えた。それは農耕牧畜と結びつき、エネルギー革命としての産業革命を経て、人口が増大する素地をつくった。
デジタル社会の危険性
 今、われわれが直面しているのは通信革命だ。7万年前に言葉が登場した。5千年前に文字が発明され、そして150年前に電話が、40年前にインターネットが登場し、どんどん加速している。
 脳は意識と知能が離れがたく結びついており、何かを決定するときに、過去の経験や知識だけではなく、感情が大きな影響をもたらす。ところが情報時代に入り、脳の中に蓄積されている情報だけを外に出す。それにより情報にならない意識の部分は置き去りにされつつある。
 人間の脳は40万年前まで大きくなり続けたが、今は大きくなっていない。それどころか農耕牧畜が始まった頃に比べ、10%ほど縮んでいるという話がある。情報を外出しにし、脳に入れる必要がなくなってきたからで、それは近年加速しているように思う。
 地球は命と命のつながったシステムとして成り立っている。ところが産業革命や情報革命によって人間はだんだん生命の現場から離れつつある。そして今、私たちは現実よりもフィクションに生きはじめている。
 例えば、タクシーの運転手さんに地図を見せても分からず、電話番号をナビに入力してその案内通りに目的地に到着する。運転手は風景を見ておらず、誘導されるまま運転しているに過ぎない。
 今、DX(デジタルトランスフォーメーション)と言われるが、気をつけなければいけない。デジタル社会はモノと人との情報化を進め、均質化を招く。工業製品は大量生産でどれもが同じ質を保たなければいけない。それを人間に当てはめるとみんな同じようになり、人と付き合う必要がなくなる。われわれ人間は一人ひとり違うからこそ相手を知る意味があるのだ。
 AI(Artificial Intelligence)は、複数がつながり、知識を一カ所に蓄積し分析することができるが、たとえばアメリカでは、犯罪多発地域に生まれた人は、犯罪を行う確率が高いという結果がはじき出されたこともある。
 人間は変われる生き物で、全く過去と違うことをする能力を持っている。そういうことに目を向けずに過去から得られたデータだけで判断すると、大変間違った人間の評価をしてしまう可能性がある。
 これからは人間を内側から改造しようとする遺伝子工学が出てくる。これまでの経済的、社会的格差に加え、生物学的格差が増大する可能性がある。これは取り返しのつかない格差だ。人間はそれをすでに家畜で行なってきた。いずれはしっぺ返しを受ける結果になるのではないかと危惧している。
SDGsに含まれない人間に不可欠なこと
 今、地球の許容力の限界値を超える破壊のもと、SDGs(エスディージーズ、持続可能な開発目標)が重要だと声高に主張されている。貧困や不平等をなくす、気候変動など17のゴールを、社会も企業も政府も目標としていることは大変良いことだと思うが、人間が生きる上で不可欠であるが、SDGsにないものがある。それは文化だ。
 文化は数値化されるものではなく、体験と共感によって体に埋め込まれ、衣食住の中に反映される。これまで文化は小さな地域にまとまり、文化同士は対立関係にあると言われてきたが、これからは、地域に根差す文化を尊重しながらも、文化同士が共有できるような倫理を導き出し、それを地球規模(グローバル)に共有しなければならない時代だと思う。
 改めて考えなければならないのは、「三密」とはわれわれにとって何かということだ。われわれが社会をつくってきたのには三つの自由-移動する、集まる、対話する自由-がある。人々は誰か、何かに出会うことによって、新しい気づきを得る。この気づきを共有して未来を想像することが人間の生活だ。それが今できなくなっている。
 新型コロナによって、これまで余暇だと思っていた芸術活動やスポーツなどの文化活動、これまで対価を支払わない非労働行為と言われていた子育て、家事、介護は
人間が生きる上で不可欠なものであることがわかった。ライフラインを担うサービス産業、医療、食糧、水等は絶対に欠かしてはならないものであることも分かった。
 オンラインで可能なことも分かった。これまで労働は家と職場を往復する必要があったが、どこでもオンラインでできる労働があることに気付いた。そして改めて人間の豊かさとは何かということを考えさせられつつあると思う。
「遊動の時代」は共有をめざす時代
 時代は人々が動く「遊動の時代」に入っている。現在の事態が解消できれば、より人が動く時代が来ると思う。そうすると世界観は固定的なものから、動くことを基本としたものに変わっていく。
 例えば所有だ。今まで人の価値は所有物で決まっていた。立派な家に住み、高価な服を着て、高い車に乗って、贅沢なレストランに行く。しかし、人が動くのであれば所有していることの価値がなくなる。今は配送システムが世界中を網羅し、必要なものはどこでも手に入る。だから今や、人は物を持つ時代ではない。これまでは一括採用、年功序列、終身雇用が日本企業の雇用のあり方だったが、若い世代はすでにそう思っていないかもしれない。単線型人生ではなく、複線型人生に、所有より行為に価値を見出す人生観だ。
 私は、これからは共有、すなわちシェアとコモンズの拡大する時代だと思う。インターネットはすでにシェアの舞台となっている。そして、みなさんが従事されている医療もコモンズ、公共財だ。日本はとりわけ国民皆保険制度が徹底している。
 これからはどんどん衣食住の共有をめざしていかなければならない。公共財をみんなでつくって、交換、贈与経済をめざすべきではないか。一部では、政府が国民に現金給付を行い、ベーシックインカムとして機能させようという意見もあるが、私はお金をばらまくのではなく、公共財を増やすことによりベーシックインカムと同じような状況を作り出すことの方が有効と思う。公共財を増やし、助け合う社会にしようということだ。たとえば、大学は公共財として人々が行き来できる場所とし、そこでの知識を世界中につなげていく。
 これは北欧諸国ではすでに行われている。スウェーデンでは病院はすべて無料で、大学まで教育はすべて無料。交通機関も無料に近くなっている。ただし、税金は高い。
 企業がその気になれば、企業内の留保金は政府の年間予算ぐらいあるので、そういう方向に舵を切っていただきたい。例えばESG投資は、環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)を重視した経営をしている企業に投資をしようと定めたもので、900兆円規模に膨れ上がっている。そういうことを各地域や日本が県境や国境を越えて行えばベーシックインカムと同じ効果をもつし、それ以上に人々がつながり合う社会にできると思う。
 感染予防を意識しディスタンスをとるという生活がしばらく必要だが、三密を避けて巣ごもりをしていたような生活ではいけない。対象と集団規模に応じた適切なコミュニケーションを考える必要がある。オンラインも組み合わせ、食事、共同作業、スポーツ、コンサート、芸術活動など五感を通じた交流、身体のつながりをつくっていくことが必要となる。
 多様な人々が交じり合いながら、複数の世代が切磋琢磨し未来をつくっていくという時代を迎えなければ、これからの発展はないと思う。

図1 霊長類の大脳化は社会の規模の増大に正の相関をもつ
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図2 霊長類の成長段階
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