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兵庫保険医新聞

2021年8月05日(1981号) ピックアップニュース

特別インタビュー IPPNW共同代表、ICAN共同創設者 ティルマン・ラフ医師
医師・歯科医師の社会的信頼を核廃絶に活かそう

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IPPNW共同代表
ティルマン・ラフ先生
【Dr.Tilman Ruff】Officers of the Order of Australia(豪州勲章3等勲爵士)、メルボルン大学准教授、メルボルン大学ニューノッサル世界保健研究所名誉主任研究員。専門は感染症・公衆衛生。2012年以来、IPPNW共同代表。ICAN共同創設者、初代議長。IPPNWオーストラリア支部長

 今年1月22日に核兵器を非合法とする核兵器禁止条約が発効した。同条約の採択や発効に大きく貢献したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)やIPPNW(核戦争防止国際医師会議)について、ICANの共同創設者でIPPNW共同代表のティルマン・ラフ医師(オーストラリア・メルボルン大学准教授)にオンラインでインタビューを行った。インタビュアーは西山裕康理事長と坂口智計理事。

冷戦下に米ソの医師2人がIPPNW創設

 坂口 この間、私はイギリス・ヨークやモンゴル・ウランバートルなど、IPPNW世界大会に「核戦争を防止する兵庫県医師の会」から参加しています。まず、IPPNWの始まりについて教えてください。
 ラフ IPPNWは1980年代、冷戦の真っただ中にいたアメリカとソ連の2人の医師による勇気ある決断により、設立されました。医学のための団体ではなかったことから、この設立は当時の両陣営から非常に強い批判を受けました。
 この2人の医師とはハーバード大学のバーナード・ラウン医師とソ連の心臓学研究センターのエフゲニー・チャゾフ医師で、彼らの友情が設立のきっかけとなりました。2人は世界的な心臓専門医で、当時、彼らは専門医として心臓突然死のメカニズムの研究を行っていました。そして、2人は心臓に関する国際学会で、世界情勢を考えた時に、世界で起こる突然死の最も大きなリスクは心臓ではなく、核戦争ではないかということを議論しました。
 その後も2人の交流は続き、80年にジュネーブでIPPNWの設立に向けた打ち合わせが行われました。彼らは多くの医師を仲間として連れてきて、核戦争を防止するためにどのような協力ができるのかということを中心に、さらには両国における医学研究のあり方や人権侵害等についても話し合いました。そして、医学的観点からも核戦争を防止しなければならないということで全員が一致しました。そして81年にバージニア州のマウント・エアリーという町で、第1回目のIPPNW世界大会が行われました。その後、短期間のうちに世界中の医師に支持されるようになり、非常に大きな組織へと発展していきました。

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聞き手 西山 裕康理事長

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聞き手 坂口 智計理事

 西山 世界中の医師がIPPNWに参加し、核廃絶のために活動をしている根底には「核兵器による健康被害は治療することができない。だから、予防する必要がある」という専門家ならではの想いがあると思います。IPPNWが発展した原動力はどこにあったのでしょうか。
 ラフ 日本から初めてIPPNW世界大会に参加されたのは広島大学の大北威教授(当時)だと記憶しています。大北教授は広島と長崎の原爆の人体影響について研究を行っており、当時から非常に高い評価を得ていました。このように世界中から医学的にも倫理的にも優れた医師が何千人も集まっていることが、IPPNWの力になっています。
 また、各国の医師たちは専門家として、政治指導者とのつながりを持っておりますし、社会的に高い地位も確立しています。それらがIPPNWを非常に権威のある団体にしています。実際、アメリカのレーガン大統領やソ連のゴルバチョフ書記長へも影響力を持っていました。1986年10月にレイキャビクで行われた米ソ首脳会談に先立って、IPPNWの医師たちは直接、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長に電話し、既存の核兵器を世界的に全廃する条約を結ぶよう要請を行いました。結果、条約締結に後一歩のところまで交渉は進展しましたが、アメリカのミサイル防衛計画への固執とアメリカ当局による妨害のために、頓挫してしまいました。本当に残念なことでした。
 坂口 IPPNWは1985年にノーベル平和賞を受賞していますね。
 ラフ はい。設立5年以内にノーベル平和賞を受賞した初めての団体となりました。受賞理由は、核兵器が人類社会に壊滅的な影響を及ぼすことを広く啓発し、冷戦の終結へ向けて貢献したというものです。それ以来、核兵器の備蓄は大幅に減少しました。これを受け、IPPNWは紛争の防止や他の種類の兵器の管理などにも、活動の範囲を拡大しました。しかし、核兵器がもたらす危険性はいまだに残っており、核兵器の廃止はIPPNWの中心的な使命であり続けています。

核の非人道性を訴えるICAN

 坂口 ノーベル賞といえば記憶に新しいのは、2017年、ICANが核兵器禁止条約の採択に貢献したことを理由にノーベル賞を受賞したことです。ICANについて教えていただけますか。
 ラフ このキャンペーンはIPPNWによって始められました。大きなきっかけは2005年のNPT(核不拡散条約)再検討会議です。この会議は核廃絶を求める国際世論の高まりを裏切り、何一つ前進のないものでした。翌年行われたサンクトペテルブルク・サミットでも、各国の首脳が集まったにも関わらず、核廃絶や核軍縮について何も触れられませんでした。
 私たちは、冷戦が終わったにも関わらず核廃絶の機運は失われたと判断しました。政治家だけに任せて待っていても核廃絶は進展しないという思いが推進力となり、国際的なNGOの連合体として、2007年にICANが設立されました。
 ただ、それだけではありません。国際社会では、1999年にカナダとはじめとする一部の国の首脳が、市民社会と歩調を合わせて対人地雷禁止条約を発効させました。当時のアメリカ、ロシア、中国など、対人地雷を製造し、使用している国からは非常に強い反発がありましたが、国際世論は対人地雷を無差別で非人道的であると告発しつづけ、最終的に全面的な廃止に追い込むことに成功しました。この条約は、条約に参加していない国に対しても対人地雷の生産と使用を削減させる世界的な規範となりました。これを受けて、当時IPPNWの共同代表を務めていたマレーシアのロナルド・マッコイ医師がこのキャンペーンに学び、核廃絶でも同じアプローチを採用することを提案しました。
 坂口 ICANの具体的な取り組みはどのようなものなのでしょう。
 ラフ ICANはIPPNWから派生した一つのキャンペーンです。当時、私たちは設立にあたっていくつかの原則を決めました。
 一つ目は新たな団体を立ち上げるのではなく、既存の組織のネットワークという形とすること、二つ目は核兵器禁止条約の発効を最終目標とすること、三つ目は核兵器廃絶を外交や政治、安全保障政策という視点からアプローチするのではなく、「核兵器が使用されれば、その救済策も対応策もなく、壊滅的な被害を与える」というエビデンスを示すというアプローチを採用するということです。核兵器の使用が私たちに何をもたらすのかということを事実に基づいて説明するということです。そしてこの科学的なアプローチと相乗効果を発揮したのが被爆者の証言でした。広島や長崎はもちろん、世界中で行われた核実験や原料の採掘などで健康被害を受けた人たちの証言が非常に重要な役割を果たしました。
 もう一つ私たちが重視したのは、このキャンペーンを世界的に広げることと、若い世代を巻き込むということです。こうした工夫の結果、ICANは大きな運動となりました。赤十字と赤新月社が賛同してくれたことも大きく、2010年ごろからは各国の中央政府や地方政府からの賛同も得ました。
 その後、ランドマークとなる核兵器の人道的影響に関する国際会議が開催されるようになりました。2013年に開催された第1回目のオスロ会議はノルウェー政府が主催し、127カ国が参加、14年の第2回会議はメキシコ政府が主催し、146カ国が参加しました。そして、2014年12月にオーストリアのウィーンで開かれた第3回会議には158カ国が参加し、核保有国のうちアメリカとイギリスも参加しました。ここでは核兵器のリスクや法的位置づけについての見直しが行われました。結果、確認されたのは、現在、核兵器が使われるおそれは軽視されているが、存在する限り危険であり続けるということと、あらゆる兵器の中で核兵器は最も破壊的であるにも関わらず、国際法上明示的に禁止されていない唯一の大量破壊兵器だということでした。
 会議の終わりには、オーストリアがその法的な不備を改善するために行動することを約束し、他の国々もそうした取り組みに参加するよう求めました。結果、127カ国がそれに賛同しました。
 2016年には、国連の作業部会が、核軍縮を進めるための最善のステップは、核兵器を禁止する新しい条約の交渉を開始することであると勧告を行いました。2016年後半、国連総会では「多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案」を賛成123、反対38、棄権16で可決しました。
 そして、2017年にニューヨークにある国連本部で核兵器禁止条約が採択されました。核兵器禁止条約の採択にはIPPNWも大きな役割を果たしました。ICANをスタートさせ、大きな運動へと育てただけでなく、核兵器が人々の健康や人道上及ぼすさまざまな悪影響について医師がエビデンスに基づいて語り続けてきたことは、核兵器禁止条約の採択に大きな貢献をしたと思います。核兵器が使用される前に、それらをすぐに廃絶することがグローバルヘルス上の喫緊の課題であるということは、世界の医療界で大きな波となり、WMA(世界医師会)やICN(国際看護師協会)、WFPHA(世界公衆衛生協会連合)などがIPPNWと協力し、核兵器禁止条約の採択を推進しました。こうした医療界の取り組みで、核兵器禁止条約には核兵器が人々の健康に及ぼす悪影響が盛り込まれました。

核戦争に勝者はいない

 西山 核兵器の保有や使用を外交や安全保障上の問題とするのではなく、医療者として人道的なアプローチで論じたことが有効だったのですね。
 ラフ そうです。これまで核兵器を保有する各国政府は、巨額の投資により核兵器を開発するとともに、それを運用するための広大なインフラを整備してきました。巨大な産業を形成してしまっており、それらを廃絶するのは困難です。しかし、これまで私たちは人道上の理由から、生物兵器や化学兵器、対人地雷やクラスター弾を禁止してきました。ではなぜ、放射線で無差別に人を傷つける核兵器を許しておくことができるのかを問うアプローチをとりました。
 坂口 しかし、政治の舞台ではいまだに核抑止力論が語られています。
 ラフ 政治家にとって、核兵器には非常に神秘的な力が宿っています。核兵器を威嚇の手段として使用することで、国際的なチェスゲームの中である種の均衡がつくられるという神話です。超大国には最も強力な武器が要るという原始的な概念を覆さなければなりません。核兵器は世界規模の自爆兵器であり、核戦争に勝者はいません。安全保障上極めて重要な食料や経済的な基盤はもちろん、人の生存に欠かせないきれいな空気や水、土を破壊してしまいます。その点をエビデンスに基づいて示していくことが必要です。核兵器の使用によって人が守られることはなく、むしろ大きな脅威であることを語る上で医療従事者は重要な役割を担うことができます。

金融機関に働きかける新たな取り組み

 坂口 今、私たちは核兵器禁止条約の実効性を高めるためDon't Bank on the Bomb(核兵器にお金を貸すな)という運動に力をいれています。
 ラフ Don't Bank on the Bombの最初の報告書は2012年にオーストラリアで作成されました。その後、オランダのNGOであるPAXが活動を引き継いでいます。この取り組みの特徴は全ての市民が簡単に参加できる、分かりやすい取り組みであるということです。先進国ではほぼすべての人が銀行口座を持っていますし、仕事をしていれば何らかの年金制度に加入しています。そこに預けている自身の資金が大量破壊兵器の製造に使われることのないようにしようという非常に分かりやすい取り組みです。
 私たちは金融機関に、自分の資金が核兵器製造企業に投融資されていないか尋ねることはもちろん、投融資についての核兵器製造企業を対象から排除するクレジットポリシー(融資基本方針)を持っているか確認することができます。そして、もし、私たちの資金をそうした企業に投じている場合は、他の金融機関を選択することができます。これらは非常に簡単なことです。
 今、全ての企業が自社のブランド価値を気にしていますし、社会的責任から逃げることなどできません。企業が核兵器製造に関わって利益を得ることなど許されなくなっています。この流れは、核兵器禁止条約の発効でさらに確固たるものになっています。国際的に非合法となった兵器に投融資することは、大変な汚名を着せられることになります。
 坂口 私たちも日本の金融機関に対し、核兵器製造企業への投融資を行っていないか調査を行っています。
 ラフ みなさんの運動に感謝しています。みなさんの運動の結果、日本でも、三菱UFJ銀行や日本生命、明治安田生命、富国生命など多くの金融機関が核兵器製造への投融資を禁じるクレジットポリシーを定めて、公表しています。
 西山 最後に、世界の核廃絶をめざす医師の代表として日本の医師・歯科医師へのメッセージをお願いします。
 ラフ 日本の医師にも、ぜひ私たちが進める核廃絶のための取り組みに加わってほしいと思います。医療従事者の倫理的な義務として、核の脅威を取り除くことに関わっていただくことを望んでいます。
 また、今なお苦しんでいる広島・長崎の被爆者のいる日本の医療従事者としてみなさんには特別の責任があると思います。私たちは非核保有国に生きていますが、アメリカの核の傘の下にいます。そのことが問題の一翼を担っていることも認識しなければなりません。
 核兵器は人間が作り出したものです。だから人間によって必ず解決可能な課題だと確信しています。ただ一方で、それは今すぐに達成されなければならない課題でもあります。
 坂口 本日はIPPNWの創設から現在に至るまでの経緯、また未来に向けた示唆に富むメッセージをいただきました。ありがとうございました。

「Don't Bank on the Bomb−核兵器にお金を貸すな−」
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リーフレットを同封
 兵庫協会などでつくる近畿反核医師懇談会は、核兵器製造関連企業に投融資を行わせないよう働きかける取り組み「Don't Bank on the Bomb」キャンペーンに取り組み、このキャンペーンについて解説したリーフレットを作成し(右)、今号に同封している。ぜひご活用いただきたい。


リーフレットの追加注文は、電話078-393−1807まで




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反核医師の会が公開したDon't Bank on the Bombキャンペーンのウェブサイト

特設サイトをご覧ください
 特設サイトでは、本キャンペーンの詳細や取り組み方、資料集などを掲載しています。一人ひとりの取り組みが大事です。ぜひ、ウェブサイトをご覧いただき、取り組みを広げてください。
1981_17.jpg ウェブサイトへは、「DBOB 反核」で検索いただくか、QRコードからアクセスしてください。http://www.hhk.jp/dbob/
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唯一の戦争被爆国日本から核廃絶を
 協会は、核兵器廃絶の実現へ向け、日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名に取り組んでいます。ぜひご協力ください。
署名用紙のご注文は、電話078-393−1807まで
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