2022年8月25日(2014号) ピックアップニュース
燭心
幼いころお盆の時期は、福山の「ひぃばぁ」と過ごすのが楽しみだった。他の大人たちは、時間に追われて、話を最後まで聞いてくれないのに、「ひぃばぁ」は笑顔でいつまでも他愛のない自分の話を聞いてくれたから▼ある年の夏、一緒に寝ていた「ひぃばぁ」が鬼の姿になって、炎を吐いて襲いかかってくる夢をみた。しくしく泣きながら、隣に寝ているはずの「ひぃばぁ」を呼んだがいない。あわてて探したところ、仏間に大人たちが集まっているのをみつけた▼その光景は忘れられない。何と「ひぃばぁ」は本当に鬼になってしまい、祖父や叔父らに、線香で「やいと」(お灸)を据えていたのだ▼曾祖父の命日は昭和20年8月8日、福山大空襲の日である。祖父は14人きょうだいの長男で、呉市に徴用されて戦禍を免れたが、曾祖父と祖父の妹や弟を含む10人が焼夷弾の直撃で命を失った。「ひぃばぁ」は生き残った幼い大叔母・大叔父らと大火の中を逃げまどい、翌朝、遠縁の家に避難できたのは、「ひぃばぁ」と末の大叔母だけであった▼当時、戦争の語り部として活動していた大叔母から話を聞いたことがあるので、自分も「やいと」を覚悟したが、慈しみの笑顔で「ひぃばぁ」は言った。「こげに惨いことせんでも、この子はよう知っとる。戦争のない世界を生き、戦争のない未来を創ると信じとるけぇな」▼いつもの優しい「ひぃばぁ」と抱き合い、泣きながらふたたび眠りについたのは、昭和50年代末の記憶である。(眞)