2022年11月25日(2023号) ピックアップニュース
燭心
これまで各種経営形態の医療機関で勤務してきた。国立大学附属病院、次に市民病院、私立大学附属病院、国立病院、民間病院、私立有床診、そして開業。県内関連病院がほとんどだが、それぞれの機能・役割が理解でき視野が広がった▼思い出深いのは東京の救命救急センターへの出向だ。医局初の人事で、医局長からの電話に「ぜひお願いします!」と即答した。どうやら大学での救命センター立ち上げ要員育成の第1号だったようだ▼初の大都会「東京」。しかも三次救急(消防庁からのホットラインだけ)の救命センターでの経験は、公私ともに新鮮で刺激的だった。医局人事に頼らず武者修行し、手術記録の束で採用された先生もおり、「神戸ではそんな風にやってたの?」とよく叱咤された▼当時、東京の人は、関西には漫才師か商売人か、そっちの筋の人しかいないと思っているようで、臆面もなく関西弁を使っていたので、つられて関西弁が出て出身が「ばれる」先生も少なくなかった。ただ、看護師さんに「先生、訛ってますね~」と言われた時には愕然とし、「はぁ?関西弁は訛りとちゃうで」「上方ってどっちか知っとるか」と論破しておいた▼20代後半で1年間という出向は、何でも吸収する柔軟性と「都会の絵の具に染まらない」主体性を保てる状況だった。職場を変わるとその組織が分かると同時に適応する自分自身も再発見できる。特に知らない場所に一人で身を置くと得るものは大きい。一度は井戸から出よう(空)