兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2023年1月05日(2026号) ピックアップニュース

特別インタビュー
非核「神戸方式」を広め今こそ核兵器廃絶を

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原水爆禁止兵庫県協議会(兵庫原水協) 事務局長 
梶本 修史

【かじもと しゅうし】1948年尼崎市生まれ。県立神戸商科大学大学院経済学研究科卒。原水爆禁止兵庫県協議会事務局長、日本原水協全国担当常任理事。核兵器廃絶署名の兵庫県民過半数達成、非核宣言自治体運動、核兵器廃絶の国連要請行動、非核「神戸方式」守る運動、原爆症認定訴訟などで活動

 1975年に神戸市議会が核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否を決議して48年。この決議にもとづいて、非核「神戸方式」と呼ばれる行政措置が執られ、日本でも有数の港の一つである神戸港には、決議以来、米軍艦が一隻も入港していない。この非核「神戸方式」の成り立ちや意義について、西山裕康理事長と神戸大学医学部5年生の桑畑拓海さんが、県内で平和運動を担ってきた梶本修史・原水爆禁止兵庫県協議会(兵庫県原水協)事務局長に聞いた。


 西山 早速ですが、非核「神戸方式」とは何か、知らない方も多く、教えていただけますか。
 桑畑 私も昨年9月に協会で開催された「反核医師のつどい」に参加し、梶本さんのお話を聞くまで、知りませんでした。
 梶本 はい。非核「神戸方式」とは、1975年の神戸市議会による決議にもとづいて、神戸港の管理者である神戸市長が「核兵器を積んでいない」証明書(非核証明書)の提出を神戸港に寄港しようとするすべての軍艦に義務づけたものです(図1)。
 西山 世界的に見ても非常にまれな方式ですよね。こうした方式が生まれた背景には何があったのでしょうか?
 梶本 1974年に、ジーン・ラロック元米海軍提督が米議会で「日本の港に寄港する米艦隊は、積載している核兵器をいちいちおろさない」と証言したことです。当時、すでに日本は「核兵器を持ち込まない」という非核三原則を国是としていましたので、日本中がこの発言で騒ぎになりました。
 この事態に対して、当時の宮崎辰雄神戸市長が議会で「私は、港湾管理者の立場として、この問題が正確に解明されない以上、この艦艇の入港に対しては拒否したいと考えております」と述べました。75年、この発言を受けて兵庫県原水協などが市議会に「神戸港に核兵器を積載できる米艦艇の入港を認めないと宣言すること」などを陳情し、その結果、3月18日、神戸市議会で「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」が全会一致で採択されたのです(図2)。
 宮崎市長は「入港したいという軍艦をこちらが見ても核を積んでいるかどうか判断がつかん。初めからもっていないというのもありますね。そこで疑いのあるものについては向こうの責任者から一札とろう、と。それを入れてもらったら、入港許可なり、どこへつけるかというバースの指定をやる。しかしそれを提出してもらえなければ入港をお断りする。そう決めたんです」と述べています(『エコノミスト』86・5・27)。
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聞き手 西山 裕康理事長

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聞き手 神戸大学医学生 桑畑 拓海さん

世界的にも注目される非核「神戸方式」

 桑畑 なるほど。それで、この非核「神戸方式」は効果はあったのですか。
 梶本 75年以降、日本の他の港にはたくさんの米艦船が寄港しており75年~2021年の間に65港に870回も入港していますが、75年の決議から今までの48年間、神戸港に米艦船は一隻も入港していません(図3)。
 桑畑 すばらしい効力ですね。日本中、世界中でこの方式が広がれば、事実上、核兵器を積んだ艦船を運用することができなくなると思います。神戸以外でこうした方式をとっている港はないのでしょうか。
 梶本 非核「神戸方式」は世界中から注目されています。1987年にニュージーランドでは核兵器積載艦艇拒否の非核法が制定されました(図4)。
 そのほかにも米ニューヨーク港で核兵器を積んだ空母アイオワの母港化反対闘争が起こったり、シアトル市議会では非核「神戸方式」歓迎決議が2000年に採択されています。
 また、同年に開催された国連NGOミレニアム・フォーラムの最終宣言でも「非核地帯のネットワークを、核保有国の領土以外のすべての地域にまで拡大する。これは、艦船が核兵器を積載していないことを証明しないならば入港を拒否するという沿岸部の措置によって補強されるべきである」と、非核「神戸方式」を世界各国の政府が採用するべきとの「提言」として採択されたのです。
 西山 しかし、核保有国やその傘のもとにある国では、政府がそうした措置を簡単に認めるとは思えません。
 梶本 その通りです。日本国内では、高知県、 呉市、 函館市など全国各地で非核「神戸方式」を実行しようとの直接請求運動などが起こりましたが、ことごとく国からの圧力で頓挫させられています。
背景の歴史的な労働者と市民の運動

 桑畑 なぜ、神戸市だけがこのような方式を確立できたのでしょうか。
 梶本 神戸には歴史的に労働者や市民の運動の強さがあったからだと思います。
 戦前・戦中の神戸港は金属工業・機械器具工業が大変盛んで戦前には輸出額全国一の港でした。ですから、古くから労働者が多く、1921年6月25日から8月9日まで続いた川崎・三菱神戸造船所大争議は両造船所の約5万人の労働者が参加し戦前最大規模となったなど、労働運動が盛んでした。神戸は日本における8時間労働制発祥の地なのです。
 米国からは「敵の最大の港であり、輸送の拠点である。神戸の造船所は、日本国最大の造船と船舶用エンジンの集積地帯」と見られていたので、米軍の空襲も大変悲惨なもので、人口千人当たりの戦争被害率は47・4人で五大都市中最大です。それで、「火垂るの墓」や「少年H」の舞台にもなっています。
 終戦直後、神戸港と六甲山頂は米軍に全面占領され、神戸港は朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍の第七艦隊の重要な補給・休養基地として機能しました。六甲山頂は米軍の通信基地として使われ、神戸港には、ひんぱんに米艦船が入港しており、年間100隻以上、多い年には300隻もの米軍艦船が入港していました(図5)。米軍が管理する港では、日本側が検疫をできませんので、麻薬や武器が神戸市内の暴力団に横流しされました。また、米兵によってコレラが持ち込まれたりもしました。
 米兵による発砲事件や買春行為、市民への暴行事件なども多発し、大型空母入出港時の艦載機エンジン始動による騒音、商業船の航行妨害など、市民の暮らしを脅かしていました。
 こうした中、1959年に神戸港湾関係労組共闘会議(港湾共闘)が結成され、「第七艦隊は来るな」「6突(神戸港の第6突堤)米軍基地返せ」の要求を掲げて闘いました。米兵向け英文ビラの配布や英語でのマイク宣伝をはじめ市民アンケート、市民署名、基地調査、海上デモ、さらに米艦入港の際に抗議集会などの届け出が間に合わない時には一人ひとりがプラカードを持って訴える「ブラブラ抗議デモ」など創意ある抗議行動が行われました。
 第6突堤の米軍基地入口前の全港湾建設局労組神戸港支部が、事務所の塀に「No More War, Yankee Go Home!」の看板を立てました。出入りする米兵により7回にわたり破壊されましたが、そのたびに立て替え、文言も「Get Out The 7th Fleet From Japan, Asia」と変わり、十メートルもの大看板に生まれ変わりました。
 1961年12月24日、一年間の闘いの総決算と翌年への発展をめざす場として、「神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」(クリスマス闘争)が始められました。これは、毎年クリスマスには、米艦が米兵の慰安と休養のために入港し、三宮、元町界隈はたくさんの米兵であふれる状況になるため「米兵のいない静かなクリスマスを!」との市民の切実な願いを込めたスローガンを掲げて、神戸港の返還を求めたものです。
 結果、その後も米艦の神戸港利用は続きましたが、62年からはクリスマスの入港は皆無となりました(図6)。こうした運動により、1974年には神戸港からすべての米軍基地が撤去されました。
 また、戦後すぐに占拠された六甲山頂の米軍通信基地に対しては、1985年元旦から山頂で初日の出を迎える「平和のための元旦のつどい」を開始し、1992年11月にようやく撤去させました。こうした労働者・市民の粘り強い運動が非核「神戸方式」誕生へとつながったのです。
アメリカと日本政府からの圧力

 西山 なるほど。やはり市民や労働者による運動が重要なのですね。
 しかし、政府が軍事大国化をめざし、軍事費2倍化を容認する世論も高まる情勢の下で、非核「神戸方式」を堅持できるのか不安になってきます。国からの圧力も強くなっているのでしょうか。
 梶本 はい。日本政府は、この間様々な法律を改悪し、米軍と自衛隊の関係を強化し、日本をアメリカとともに戦争のできる国にしようとしています。
 その目的を達成するためには非核「神戸方式」は大きな障害です。ですから、99年の周辺事態法では、「関係行政機関の長は、法令及び基本計画に従い、地方公共団体の長に対し、その有する権限の行使について必要な協力を求めることができる」とされ、有事には港湾の管理権限を自治体から取り上げようとしています。また、2015年のいわゆる「新ガイドライン」では、「日本は、必要に応じ、米軍による...民間空港・港湾の一時的使用を確保する」と決めました。
 西山 非常に危険な動きですね。神戸港は軍事的な利用価値も高そうです。
 梶本 その通りです。坂上芳洋氏(海上自衛隊阪神基地隊元司令)は「神戸港は施設が整備されており、高速道路も近い。安全保障上、欠かせない港」と述べており、自衛隊内部では、日本海での有事の際には、神戸港で米国からの物資を陸揚げし、陸路で日本海側に運ぶ可能性が高いと想定しています。ですから非核「神戸方式」に対しては日本政府だけでなく、アメリカからも長年にわたり圧力がかけられ続けています。
核兵器禁止条約にも盛り込まれる

 桑畑 一方で、国際的には核保有国ロシアによるウクライナ侵略に伴う核使用の示唆への非難や核兵器禁止条約の発効など、為政者の思惑とは別に世論は核兵器廃絶を求めていると思うのですが。
 梶本 そうですね。実は非核「神戸方式」は核兵器禁止条約に盛り込まれています。これは被爆者をはじめ世界の世論が提案し続けてきたものです。
 核兵器禁止条約の第1条「禁止」という項目で、「自国の領域または自国の管轄若しくは管理の下にあるいかなる場所においても、核兵器または核爆発装置を配置し、設置し、または配備することを許可すること」(を禁止)と盛り込まれました。
 核兵器廃絶のためには、国際的な世論に訴えかける運動が非常に大切です。
 私たちは、この非核「神戸方式」を日本中に、中国や北朝鮮、ロシアも含めた北東アジア全体に広げて、非核・平和の北東アジアをつくろうと考えています。その足がかりとして「非核釜山港条例」の制定をめざしている韓国の平和団体「平和と統一を開く人々」(SPARK)との交流を進めています(図7)。
軍事大国化を進める政治を変えよう

 西山 非常に大切な取り組みですね。同時に日本国内の世論を変え政治を変えていくことも大切だと思います。
 梶本 そうですね。先ほど西山先生からご指摘もありましたが、ロシアによるウクライナ侵攻や中国の台頭、北朝鮮のミサイル発射などを理由に、世論を煽って、政府は防衛費の2倍化、敵基地攻撃能力の獲得等を進め、アメリカが推進するIAMD(統合防空ミサイル防衛)を重視する方針を決めました。IAMDは、先制攻撃を含むもので、アメリカの情報に基づいて、アメリカの指揮のもと自衛隊が敵基地を攻撃することが可能となるものです。そうなれば、台湾有事などを理由に日本に戦争を呼びこむことになってしまいます。日本国憲法上認められません。
 さらに、日本の軍事大国化が進めば、地方自治体が管理する港湾も空港もアメリカや自衛隊が使えるようにするでしょう。そうなればアメリカの核兵器を搭載した軍艦や軍用機が日本の施設を利用します。そうした具体的な危険性を想像してもらえるように知らせていく必要があります。
 桑畑 私たちの世代は、両親はもちろん、祖父母からも戦争の悲惨さを聞いたことがありません。だから戦争の悲惨さや原爆被害をリアルに知らず、非核「神戸方式」も知らない人が多いと思います。そういう世代に対して、例えば、私は小学校の社会科見学で、故郷の宮崎の近くにある鹿児島県・知覧の特攻隊の平和会館を見学しましたが、学校教育のなかで地元の戦争や平和にかかわる歴史を知らせることが良いのではないかと思います。
 西山 神戸では「つどい」で行った神戸港の原子力潜水艦見学ツアーもいいですね。事実を知ってもらうのが大事だと思います。
 桑畑 いま、防衛費増額や、敵基地攻撃能力の話などはよく知らない人も多いと思いますが、自分の税金が増やされて、兵器に使われると知ると反感を持つと思います。
 梶本 確かに、「私たちの税金を戦争のためでなく、暮らしに回せ」「税金は社会保障や教育予算に使え」と訴えていく方法もいいでしょう。
 また、世論は変えられるということに確信を持ちたいですね。世論調査では、「日本も核兵器禁止条約を批准すべき」と回答する人が7割を超えます。こうした条約をつくろうという世論をリードする国やNGOなどが署名運動などの努力を重ね、最終的には122カ国の政府を動かし国連で採択されました。
 日本は世界で唯一の戦争被爆国であり、憲法9条で平和主義を掲げており、反核・平和については日本国民が考える以上に国際的に大きな影響力を持っているのです。だからこそ政府の姿勢を変えれば、平和や反核を求める国際世論をリードできるのです。
 西山 最後に、協会や医師へのコメントはありますか。
 梶本 世界的に反核や平和運動を担ってきた医師は多いと思います。2018年4月、世界医師会は「核兵器禁止条約」に賛同し批准することを自国政府に要請していくことを理事会で決議しています。この決議を提案したのは、当時世界医師会会長でもあった、日本医師会の横倉義武会長でした。決議は「医師の義務は、生命を保護し、患者の健康を守り、人類への奉仕に専念すること」「医師の使命として、全ての国に対して核兵器禁止条約に直ちに署名、批准または同意し、忠実に条約内容を実現すること」「自国政府に対して、核兵器の禁止、廃絶に取り組むよう強く要請する」などが明記されています。そして、世界医師会は理事会決議を受け、10月に開催された総会で改めて、各国政府に「核兵器禁止条約」に賛同し批准することを求めるに至っています。
 また、ノーベル賞を受賞したIPPNWがありますし、日本支部もあります。
 西山 兵庫県の反核医師の会も、神戸大学の学長だった須田勇先生と医学部長の岩井誠三先生、保険医協会の桐島正義理事長が代表になり、発足した経過があります。
 梶本 そうでしたね。非核「神戸方式」の運動も、歴史的には口分田勝先生や和泉正人先生など、反核医師の会の先生方に作っていただいていました。県内の原水協の会長を保険医協会の先生が務めている地域も多いです。
 被ばく者が原爆症認定を求めた原爆症認定訴訟では、反核医師の会の代表である郷地秀夫先生を中心にお世話になり、「非核の政府を求める兵庫の会」の事務局も協会に務めてもらっています。今後も引き続き、平和、核兵器廃絶を目指してともに運動していただきたいと思います。
 桑畑 医師の使命は、人々の命と健康を守ることです。ですからそれらを脅かす戦争や核兵器に反対するのは職業的使命だと言えると思います。本日、お聞きした神戸の歴史的な市民運動を引き継いでいけるように、努力していきたいと思います。本日はありがとうございました。

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