兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2024年2月15日(2061号) ピックアップニュース

緊急レポート
令和6年能登半島地震後の輪島市を訪ねて 避難したその後のケアが課題
協会副理事長  足立 了平(ときわ病院歯科・歯科口腔外科部長)

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図1 JDAT兵庫 第1陣メンバー(石川県歯科医師会館にて)

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図2 DHEATの拠点・石川県能登北部保健福祉センターで、住民避難状況を示す地図

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図3・4 輪島市街地ではいたるところで家屋が倒壊していた(河井地区 朝市周辺)

 2024年1月1日16時10分に起こった能登半島地震について、日本歯科医師会のJDAT(Japan Dental Assistant Team 日本災害歯科支援チーム)として1月26日から石川県の被災地で歯科医療支援を行った足立了平副理事長のレポートを掲載する。

能登支援までの経緯
 1月2日10時19分には早くも【保団連メールマガジン第881号】が配信され、現地医療機関の被害状況が伝えられた。さすが有事に強い保団連。この時点では死者は30人、根拠はないがおそらく100人は超えるだろうと嫌な予感がした。
 阪神・淡路大震災の経験から兵庫県医師会のJMATは全国から特別視されている。兵庫県には災害時の協力を締結した4師会(医師会・歯科医師会・薬剤師会・看護協会)の協定があり、JMATの出動に合わせて歯科も準備の必要がある。すぐに動ける開業の先生は少ないので、当初は病院歯科医が担当することになるだろうと病院歯科医会で準備を開始した。
 1月4日、山陰放送から震災関連死に関するインタビューを受け、ヤフーニュースで配信された。すると、TVなどメディアがこぞって関連死を取り上げはじめ、テレビ朝日のワイド!スクランブル、読売テレビの朝生ワイドすまたん!にパネルで出演した。産経新聞やフライデーなどにも取り上げていただいた。
 そんな折、日本歯科医師会が22年に立ち上げたJDATが初めて稼働することとなり、1月9日にはJMAT兵庫が出動したため歯科はJDATに集中することに。13日、石川県歯科医師会長が馳知事を通じて日本歯科医師会・厚労省に派遣依頼を出し、まず福井、富山、長野、愛知、福島の5県6チームが18日から支援活動を開始した。
JDAT兵庫 輪島市街地支援へ
 兵庫県は愛知県の後を引き継いで1月26日から輪島市街地を割り当てられた。JDAT兵庫の第1陣は、加古川中央市民病院歯科口腔外科部長の橘進彰先生、ときわ病院歯科口腔外科研修医の檜山弥侑先生と私(指導医を兼ねる)の3人構成。
 1月25日の夜、新大阪からサンダーバードで金沢に入り宿泊、翌26日朝からレンタカーを借り、石川県歯科医師会館で支援物資を積み込んで午前8時過ぎに金沢を出発した(図1)。金沢から七尾の近くまでは悪路ながらも高速道路が通じていたが、そこから先の地道は、地震でゆがみ隆起しているため速度が出せず、またひどい渋滞も発生するため輪島市役所に到着したのは4時間後の12時を過ぎていた。
 輪島市役所内の医療支援受付でチーム名を登録し、12時半からの医療支援チームによるミーティングに参加した。そこで、発災当初から被災者支援を続けている輪島市歯科医師会の角大輔先生、笹谷俊郎先生と合流し情報交換。お二人とともにDHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)の拠点である石川県能登北部保健福祉センター(図2)に移動し、滋賀県DHEATの指揮下に入ることになった。
避難所、輪島中学へ 水場が遠く歯磨きの壁に
 滋賀県の保健師さんからアセスメントの指示をされたのは輪島中学校。ここは風呂、トイレ、水などは完備していた。250人の避難者が校舎とアリーナに分かれて生活しており、3階建ての校舎の3階部分はコロナ、ノロの感染棟として隔離されていた。
 アリーナにはテントが並びプライバシーが保たれていたが、水場がなく、洗顔、歯磨き、トイレなどはすべて靴を履き替えて校舎まで行かなければならない。20人ほどに聞き取りをし、30~40mであっても夜は面倒になりつい歯磨きがおろそかになると言う人が少なからずいた。
 また、支援物資は豊富であるが、口腔ケア用品が届いていることを知らない人もおり、また、口腔ケアが肺炎を予防すると知っている人はほとんどいなかった。歯科衛生士が避難所に1人張り付くことで解決すると思われた。
輪島の中心地河井地区を回る
 家屋の倒壊は市役所から朝市が開かれるあたりにかけての観光地輪島の中心部がひどい。いたるところの路地で家屋が倒壊し道を塞いでいる(図3・4)。
 翌27日はここを回る。避難者のほとんどが高齢者である。避難所によっては支援物資が少なく口腔ケアグッズがほとんど届いていないところもある。
 2日間で10あまりの避難所を訪問したが、なかにはすでに二次避難していたり、JMATや日赤、薬剤師チームなどが同じ避難所に集中したりといった光景があり、指示を出すDHEATの混乱ぶりが目立った。地元保健師との連携に課題があったり、DHEATのメンバーが4~5日で交代するため業務が滞りがちであった。
肺炎予防のための口腔ケアの認知度はまだまだ
 支援物資の中には比較的口腔ケアグッズが多く入っているように感じた。しかし、歯科専門職がいないため使用方法がわからなかったり届いていることすら知らなかったりする場面が多く見られた。
 何よりも口腔ケアが肺炎から高齢者の命を守るということが認知されていないと感じることが多かった。歯科治療よりもこの啓発が必要であると思われる。
 また、高齢者の多くは水が十分に届いているにもかかわらず、歯磨きや入れ歯の洗浄に飲み水を使うことに罪悪感を持つという方が多く、他人の目を気にして飲み水の使用を控える方がいたことは東日本大震災と同じであった。
長く続く支援の先
 地元の方に聞いた。輪島ではここで暮らしたいと思っている人が、外に出たい人よりやや多い。しかし、珠洲の人たちは3年連続で震度6の地震を経験したのでほとんどの人が家を捨てるだろうと。
 人的被害や家屋の倒壊など被害の規模は東日本や阪神・淡路に比べて小さいかもしれないが、高齢化率が50%を超える過疎地を広域にわたり襲った特異な地震災害である。
 二次避難は関連死や健康被害の拡大を防ぐかもしれないが、避難したその後のケアが十分にできなければ福島と同じく悲惨な結果を生むことも考えられる。解を見つけられず体力の消耗だけが残った支援であった。
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