2025年3月15日(2096号) ピックアップニュース
燭心
古書店で江戸川乱歩の短編集を見つけた。30年も前に刊行された本だ。値段に釣られついつい買ってしまったが、これがなかなか面白い。一つご紹介を▼「人間椅子」という小説、乱歩31歳の時の作品である。ある風采の上がらない椅子職人に、有名ホテルから椅子の注文が入る。日頃鬱屈していた職人は、一計を案じる。椅子の内部に人一人隠れて入る隙間を作ったのである。かくして彼は日々ロビーで人間観察を続ける。絶世の美人も座れば、政府の高官も座る。その一挙手一投足、会話もすべて丸分かりである。相手はまさか男が隠れているとは知らず本音を語る▼この小説の書かれたのは関東大震災の翌年の大正14年、治安維持法のできた年である。言論弾圧が強まり、大正デモクラシーが崩壊していく変曲点にあたる。この時代の小説には、当時の知識人たちの鬱屈した心理が見て取れる。他人の本音を読み取る「人間椅子」があればどんなに便利だろうと▼いや、百年後の今だって同じだ。先日ホワイトハウスの椅子にトランプ大統領と石破首相が腰かけた。トランプ氏とウクライナのゼレンスキー大統領も腰かけた。かたや卑屈に頭を下げ、かたや派手に口論したと伝えられるが、本当のところ、何が話され何が本音なのか、私たちには知る由もない▼ただ一つ言えるのは、物言えぬ時代、真実の隠された時代の行く末が何であったか、歴史は教えてくれている。真実を知るため、あなたは誰の「人間椅子」になりたいですか?(星)