女性医師・歯科医師の会
[インタビュー]私のマラソン人生
2010.01.05
尼崎市 小泉 典子
暗い戦争中に医者を志して50数年。子育ては大変でしたが5人の子どもたちも自立しました。医院は息子が引き継いでくれ、今は週1回の診療だけです。主人の協力もあってここまでできた。たくさんの方にお世話に。私も何かの役に立てるならと3年前に書いたのが「ボストンの街をおばあちゃんが走った!」です。
ネパール、ブータン、チベット、38度線など様々な国で走りました。貧困地域の子どもたちを見て、国際交流が進み、権力による争いがなくなればいいと強く思いました。
週1回は近所の山へ、月1回はちょっと高めの山に、富士山やアルプスは年1、2回。出勤や買い物、医師会にもジョギングして行くので、主人や子供たちは私を「ET」「モモンガー」と呼んでいましたね。
走るのは楽しくもあり苦しくもありですが、〝乗り越えた?実感が自信になります。走ることで仕事も家事も元気に取り組めました。そんな私を見て子どもらもたくましく育ってくれたのだと思います。
81歳を過ぎて、今は高い山、遠い国を訪れることはできません。人の死に涙を流す生活が近づき、死へのまなざしを勉強するようになりました。人生を振り返り本当に幸せな人生を送ってきたことを心から感謝しています。今、写真集を作りたいと思っています。皆さまに感謝を込めて!