女性医師・歯科医師の会
[インタビュー]イタイイタイ病認定求め
2011.05.05
1944年、大阪女子医専を出て、大阪の病院で働きました。空襲に遭い、何とか姫路に帰って来たら、一面焼け野原で、姫路城だけが残っていました。
その後、勤務した姫路日赤病院で出会った産婦人科の野村やよい先生が、理想の医師でした。妊娠中の大きなお腹を抱え病院を走って、患者さんのために診療している。すごくあこがれましたね。
わが家は、適塾の流れを汲み江戸時代から続く医院です。父の死後、私が中川医院12代目を継ぎ、63年間、地域で診療を続けてきました。昔は近隣に医者がいませんでしたから、患者さんがいればどこにでも、自転車でいくつも峠を越えて、往診に行きました。
73年、水質調査で市川からカドミウムが出たと聞いた住民の方が「カドミウム言うたらイタイイタイ病っちゅうやつちゃうの?」と言ったんです。はっとしました。富山の荻野昇先生ら専門の先生方の協力を得て、患者を探し回り、住民の方も協力してくれて、何人もの重症の患者さんを発見しました。
脈をとろうとしただけで腕が折れてしまうような患者さんがいるのに、国はイタイイタイ病と認定しようとしません。県・国に認めさせようと、住民の方と一緒にがんばりました。検査のため採尿で村を回ったり、患者さんと東京まで政府に要請に行ったり、長い闘いでした。
毎日早朝から夜中まで走り回り、しんどいと思うこともありましたが、周囲の人々に恵まれていたと心から思います。住民の方はじめ、先生方もスタッフもみんな支えてくれ、幸せでした。
今も午前中だけ診療していますが、患者さんは、子・孫、そしてひ孫ができたとお顔を見せに来てくれます。地域住民と一緒に年をとり、何世代もおつきあいできるのは、開業医ならでは。楽しくって、やっぱりこの仕事は一生放されへん、と思います。
(聞き手 宗実琴子理事)