女性医師・歯科医師の会
[インタビュー]継続は力なり
2011.05.05
長田区 松田 弘子先生
私の診療所は、もともと伯父が眼科病院をつくった場所です。伯父は神戸市民病院の眼科医長で、当時は珍しい20床の眼科専門病院を建てました。父は外科医でしたが、伯父の病院を継ぐため眼科に変わりました。私は長女だったこともあり、父親の姿もみて眼科医になり父の医院を継ぎました。
阪神・淡路大震災で被災し、この医院も建て替えました。伯父や、父親から継いだ医院は木造築60年。立派な柱が入っていたけど、階段や壁が崩れ落ちました。長田の町は片端から全部つぶれました。東日本大震災では津波、原発被害があり神戸とは違いますが、家々がつぶれた映像は神戸と全く同じで当時のことが思いだされます。
当時は患者さんが「目を打った」「薬をちょうだい」と次々に来られました。避難所に来られる先生はほとんど内科なので、町の開業医が早く立ち上がることが大事だと思いました。私は医院の隣に仮設診療所をつくり2週間ほどで診療を再開しました。
いつも患者さんには、前向きに考えるようアドバイスします。患者さんからは「膝が痛い。最近、元気が出ない」など、眼科だけど何でも話を聞いています。私は患者さんの生活や健康をみるように心がけています。開業医の役割であり、魅力でもあります。
夫が早くに亡くなりましたが、2人の子どもを育てられたのは、医師として自立してやってきたからだと思います。その時その時を努力して、自分がいいと思う道を細くても長く続けてきました。地域の患者さんにも支えられ1人の子どもは医師に、もう1人は教師になっています。継続は力なりですね。後輩の女医さんにはいつもそうアドバイスしています。