女性医師・歯科医師の会
[インタビュー]女性は"太陽"であってほしい
2012.01.05
女性は“太陽”であってほしい
東灘区 伊藤 和子
京都府立医大に入学したのは1945年4月、17歳のときでした。産婦人科医の父をみて、自分も医師になろうと思いました。
高等女学校3年の頃、私は三菱電機の伊丹工場へ学徒動員され、寄宿者生活を送っていました。工場で遅くまで仕事をした後、電気の傘に黒い布をまいて受験勉強しました。給食は、ひじきをお塩で炊いたものや大豆ごはん。過労がたたってか、クラスメイト5人が結核で亡くなりました。つらい時代でした。
28歳のときに神大で外科医だった夫と結婚し、2人の子どもに恵まれました。
子どもがまだ小さかった頃、東灘区で産婦人科を一人で開業しました。育児と仕事の両立は母の協力も得てなんとか。1日3人の分娩があった日もあり大変でしたが、命の誕生を支えるこの仕事が本当に生きがいでした。一つひとつの命、元気な赤ちゃんが生まれてほしい。つわり、分娩、授乳この三つがうまくいけば幸せ。妊婦さんは、お薬をすすめても、お腹の子に何か影響が出るかもしれないと耐えようとします。こういう思いが分かる者として患者さんに寄り添ってきたことも、私のやりがいでした。
仕事でも家庭でも、常に活気と笑顔を絶やさないように心がけてきました。母親がしゅんとなると子どももしゅんとなります。若い女性へのメッセージは「“女性”は太陽であってほしい」ということです。女性の笑顔はまわりを明るくします。
にこやかにしていると、自分自身の悲しいこと、苦しいことも自然に消えていきます。生きることも保障されない苦しく、暗い戦時中を生き抜いた私自身の経験でもあります。
今は、外来で若い人からお年寄りまで、身体のことすべての相談にのっています。日ごろ読ませていただいている兵庫保険医新聞で、同世代の先生方が頑張っている姿をみて元気をもらっています。私も、できれば命尽きるその日まで、生涯現役で少しでも社会の役に立てますよう、今後も精進していきたいと思っています。