女性医師・歯科医師の会
女医の会インタビュー(29)出産・子育ての苦労経て在宅医療に注力
2020.04.25
出産・子育ての苦労経て在宅医療に注力
高砂市 青木 裕加
末期のがん患者さんなど、在宅患者を多数診ています。
医院を継ぐきっかけになったのは、研修医だった時のこと。早朝に患者さんが亡くなられ、すでに右半身不全片麻痺であった父から車の運転を頼まれました。そして患者さん宅に着くと突然白衣を手渡し、死亡診断を命じられたのですが、私は心電図を見ての死亡診断しか知りませんでした。父の往診セットには、父が手作りした角膜反射を診るコヨリが入っていて、父の看取りへの姿勢を感じたんです。それまで医療は治すためのものと思っていましたが、死亡診断もとても大切な医師の仕事であり、人は死んだら終わりではないことを感じました。そして積極的医療が終了してからもやるべき医療がたくさんあるんだと気づきました。
継承後いろいろな苦労がありましたが、一番大変だったのは出産です。開業医には産休・育休がなく、2回の出産どちらも診療を続けていたせいか流産しかけました。
特に下の子は双子なのですが、急に大出血して半年間入院となり、代診の先生を探すのに本当に苦労しました。病室で同窓会名簿を片手に、勤務先の書かれていない先生を探し電話をかけ続けました。電話のたびにお腹が張って、流産の恐怖と闘いながらでした。その時に力になってくれたのは、出産経験のある女性の先生方です。大変親身になっていただき、おかげで何とか医院を閉めずに続けられました。また、協会の休業保障が大変ありがたかったです。
子育ても大変でした。自営業者だと保育所の入所が難しくベビーシッターをお願いし、診療前に子どもの離乳食を用意して、診療の合間にシッターとやり取りする日々でした。
開業しながらの出産・子育てに「自己責任」など厳しい言葉をぶつけられることもありましたが、家庭を大切にしたいという強い信念があったから、やってこられました。患者さんには大変迷惑をおかけしました。勉強不足で分からないことは恥と思わずにたずね、周囲の先生方から教えて頂きました。
たった一度でしたが父と共有した在宅看取りの経験から在宅医療に力を注ぎ、医療以前の問題を解決するために訪問看護・訪問介護・訪問リハビリ・通所リハビリ・居宅介護支援事業所を立ち上げました。3年前居宅支援事業所を在宅支援室に変更し、福祉との連携・退院調整や患者さんの相談窓口を行っています。
親も兄弟も医者で、それ以外の世界を知らなかったのですが、国際ロータリークラブに入会し、違う業種の企業のトップクラスの方々と交流し、他の価値観を知ることができ、いい勉強をさせていただいています。
そんな中、生れ育った高砂の地に何かできることはないかなと思い、高砂市観光交流ビューローのお手伝いを始めました。一つは「高砂染」です。江戸時代に栄えた高砂染を高砂の宝にしたいと思い、当時の見本帳から版を起こし、製品を作りました。もう一つは、高砂の絵葉書です。モロゾフのパッケージも描かれ「光の水彩画」と称される画家・井上正三さんの絵が好きだったのですが、ご自宅を訪ね直談判し、1年ほど高砂の名所をご一緒して原画を描いて頂き、絵はがきセットを作成しました。いずれも個人の名は伏せて高砂市観光交流ビューローの商品として販売させて頂いています。山陽高砂駅前の観光案内所で販売していますので、ぜひお越しください。