政策宣伝広報委員会だより
理事会特別討論「税・社会保障一体改革」講演録 消費税でなく大企業・富裕層負担を
2012.01.05
10月22日に行われた西山裕康理事による理事会特別討論「税・社会保障一体改革」の講演録を掲載する。
2001年に発足した小泉内閣は「聖域なき構造改革」と称する新自由主義的改革で社会保障制度を改悪し、医療崩壊を引き起こした。例えるなら、兵糧攻め、北風政策だ。その後の自民党政権は、構造改革路線が政権の命取りになると判断し、社会保障の充実を謳う太陽政策への転換を図った。しかし、マントを脱がせる目的は同じで、結局、政権交代が起こった。
新たに発足した鳩山民主党連立政権は、社会保障費の削減や増税を行わないことを公約し、再分配機能の強化を図ろうとしたが、財源がはっきりしなかった。その後の菅政権は、財界・財務省のレクチャーにより突然消費税を10%へ増税すると言い出し、参院選で敗北した。
現在の野田政権は、その誕生から財務官僚の影響力が大きく、新自由主義的改革を目指す政治家が主要ポストを占め、増税の実行部隊となっている。
そもそも民主党は「私たちの基本理念」で「経済社会においては市場原理を徹底する」「中央集権的な政府を『市民へ・市場へ・地方へ』との視点で分権社会へ」などとしており、小さな政府、新自由主義を立脚点としていた政党である。
さて、「社会保障・税一体改革」は、二宮厚美神戸大学教授の言葉を借りれば「社会保障というエビ(餌)で消費税増税というタイ(鯛)を釣る」ことをねらいとしたものだ。
この政策は新自由主義的改革を目指す政治家や官僚、財界が主導している。悲願である消費税増税を目指す彼らのストーリーは、(1)圧倒的な国民的人気のあった小泉政権ですら消費税増税には手が付けられなかった、(2)消費税増税により財源を確保しなければ予算が立てられない、(3)事業仕分け等でも財源は捻出できない、(4)しかし消費税増税だけでは理解が得られない、(5)消費税増税のために社会保障改革をセットで打ち出して飲み込ませる、というものだ。
社会保障「改革」とは
「一体改革」における社会保障の「改革」とは、社会保障の切り捨てであり、税の「改革」とは、消費税増税である。
社会保障の切り捨てで目立つのは、財政中立に名を借りた「抱き合わせ作戦」とも言うべき手法である。例えば、(1)高額療養費制度の拡充と「外来受診時定額負担」の抱き合わせ、(2)年金加算と高所得者の年金カットの抱き合わせ、(3)国保料軽減と国保の都道府県単位化の抱き合わせ、(4)「総合合算制」と「共通番号制」の抱き合わせなどである。つまり、小さなコップの中でのやりくりである。
消費税増税の七つの問題点
消費税増税には七つの問題点がある。
一つ目は、消費税は社会保障の財源としてふさわしくないということだ。
社会保障には再分配機能があり、誰もが必要に応じて、適切な医療・介護、年金を受け取ることができ、その財源は負担能力のあるものの拠出で賄われるのが基本である。
ところが消費税には逆進性があり、低所得者ほど負担が重くなるため、社会保障の財源としてふさわしくない(図1)。
また、「公平性」の問題もある。租税の基本原則は租税公平主義である。つまり租税は各人の担税力に応じて公平(=垂直的公平性)に負担すべきである。租税に関して全ての国民は平等に扱われるべきだという原則で、日本国憲法第14条第1項が定める平等原則を租税の分野に適用したものである。
法人税を含む所得課税や資産課税は垂直的再分配機能を持っている。一方、酒税や消費税などの消費課税(間接税)は水平的再分配機能を持つ。
このように、様々な再分配機能を持った税の中で、デフレ、不況、格差社会の今の日本にふさわしいのはどの税金なのか。社会保障における政府の役割は、所得の再分配であり、それは直接税の役割でもある。
今は持っている人から持っていない人にお金を回す垂直的再分配の強化を図るべきである。持っていない人同士で「やりくり」する消費税は公平ではない。
もし、政府が東日本大震災でのボランティア活動や義援金を見て、強くなった国民同士の助け合いの感情を利用し、持っていない人同士での「やりくり」のチャンスと考えているなら、許されることではない。
二つ目は、そもそも消費税と社会保障は何の関係もないということである。
「一体改革」では、「国民が広く受益する社会保障の費用をあらゆる世代が広く公平に『分かち合う』観点などから、...消費税収を主要な財源として確保する」としている。
一見、正しそうだが、社会保障で受益しているのは、国民だけではない。医療による労働力の維持・修復、年金などを通じた生活維持は内需拡大や社会秩序の安定に寄与しており、企業の経済活動上にも十分な「受益」を与えている。
それなのに「社会保障は個々の国民の問題であり、大企業は関係ない、だから財源は消費税で」というのは無理筋である。
この点に関連して、「一体改革」は消費税の目的税化を狙っているが、目的税というのは、その使途を特定するため、税負担とその使途(受益)の間に直接的な関係が必要とされる。しかし、「社会保障を受けること」と「財・サービスを消費すること」には直接的には何の関係もない。
さらに、目的税の問題点には、(1)資源配分の効率性を損ない、財政の硬直化を招く、(2)既得権益化しやすい、(3)特定の収入と支出を関連させることは、近代予算原則の一つである「ノン・アフェクタシオンの原則」に反している、などがあげられる。
ノン・アフェクタシオンの原則とは、特定の租税収入を特定の支出項目に充てることは許されないとする原則である。この原則の主旨は、予算における一切の収支と全体像を明らかにすることで、国会や国民による監督を容易にし、予算執行の責任の所在を明確にするためである。逆に、厚労省が「増税」と「目的税化」に賛成するのは、国会や国民の監督のない大きな予算を手に入れるためかもしれない。
三つ目は、社会保障と消費税をリンクさせれば、税率が際限なく上がっていくということだ。
「一体改革」では、「将来的には、社会保障給付にかかる公費全体について、消費税収を主たる財源として...」と明記されている。消費税だけで社会保障財源を捻出するということは、「社会保障を充実させたければ、消費税増税」「消費税増税がイヤなら、社会保障を削減」という選択を国民に迫るものだ。実際に、消費税だけで社会保障財源全てを捻出するということになれば、2015年には18%に、25年には20%以上にする必要がある。
四つ目は、5%引き上げても、社会保障はそれほど改善されないということだ。
政府資料でも、5%のうち「社会保障の機能維持」に1%、「消費税引き上げに伴う社会保障支出等の増」に1%、「高齢化等に伴う増」に1%、「年金」に1%とされており、実際に「制度改革に伴う増」には1%しか回らない。また、増税で得られた財源の一部が財政赤字の補填に使われ、1%ですらも回らない可能性も少なくない。
五つ目は、消費税増税が、東日本大震災被災地への負担増となり、復旧・復興が阻害されることだ。
消費税は特定の人・地域のみ軽減、免除することは仕組み上非常に難しい。増税分の還付案も、全国各地に避難した被災者への確実な実行は困難であるし、負担から還付へのタイムラグに被災者は耐えられない。もとより古今東西、大災害の復興時に増税した国などないのだ。
六つ目は、消費税増税によって全国で一層の景気悪化を招き、それに伴う税収全体の落ち込みの懸念があることだ。
雇用の劣化、医療・社会保障の負担増などで生活が苦しくなる中、国民は消費税の引き上げに耐えられない。国民の購買力が弱くなれば、日本の市場経済は縮小し、さらに景気が悪化する。政府や民間のシンクタンクでも消費税を引き上げた場合、景気をさらに悪化させ、税収全体の減収を招く危険性を指摘している。
そもそも、景気後退時には減税、景気加熱時には増税という景気調整の原則にも反する。97年に消費税増税を強行し、景気が再度悪化した事態について、故橋本首相は「(消費税増税が)不況の原因の一つになっている」と後悔したが、その二の舞いになるのは明らかだ。
七つ目は、消費税増税によって中小事業者が倒産、破綻する可能性があることだ。
消費税は赤字でも払わなくてはならず、取引先との関係で価格交渉力が弱い小規模な事業者は、値引きの強要などにより消費税を価格に上乗せすることは難しく、破綻、倒産に追い込まれる状況は容易に想像できる。
また、医療機関でも医薬品、医療機器などには消費税が課されているが、これらを最終消費者である患者に転嫁することができず、自身で消費税を負担している。実際に、平均すると年間、医科診療所で202万8千円、病院で2252万3千円の負担となっており、増税はさらに医業経営に深刻な影響を及ぼす。
国と大企業は責任を放棄
「一体改革」の大きな狙いは、新自由主義による社会保障の変質、つまり社会保障における国と大企業の責任を放棄することだが、この考えはどのような流れでできたのか。戦後、社会保障理念の出発点となった社会保障制度審議会による「50年勧告」では、日本国憲法第25条を引用し「これは国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があるという意である」と国民の権利と国家の義務を明確に示している。
しかし、「95年勧告」では、社会保障制度は「みんなのためにみんなでつくり、みんなで支えていくものとして、21世紀の社会連帯のあかしとしなければならない」としている。一見正しいように聞こえるが、社会保障を「みんなで支えていくもの」と規定し、「共助」を強調することで、財源を個人支出とし、国の責任や企業の負担意識の希薄化を促している。
その後、00年に発表された「社会保障構造の在り方について考える有識者会議」の報告では、高負担・高福祉であるスウェーデン・モデルを取り上げ「...税負担と保険料負担が国民所得の50%を超え、このような大きな政府は、経済の効率性を害し、結果において経済成長を阻害し、最終的には、経済厚生を低下させる危険性があるというものである。高福祉・高負担が経済活動に中立的ではなく、所得再分配の役割を持つとしても、今後の社会保障システムのモデルとはなりにくいのである。...一方で、社会保障は、民間活力の有効活用など官民の役割分担にも配慮しつつ、その活性化に寄与できるよう設計されなければならない」とし、スウェーデン・モデルに代表される戦後福祉国家を明確に否定し、一方では社会保障による民間活力の活性化を謳い、新自由主義的改革を推し進めることを提案した。新自由主義では社会保障を経済成長の牽引車とするために、規制緩和を行い、医療を含む社会保障をマーケットとして企業に開放する。そのため自公政権は、社会保障への国家の関与を少なくし、「国民の権利」から「連帯・共助」「利潤追求の市場」へと制度を変質させてきたのである。
さらに、今回の「一体改革」では、「改革の留意点」として「自助・共助・公助の最適バランスに留意し、個人の尊厳の保持、自立・自助を国民相互の共助・連帯の仕組みを通じて支援していくことを基本とする。格差・貧困の拡大や社会的排除を回避し、国民一人一人がその能力を最大限発揮し、積極的に社会に参加して...」と述べられている。
これは、国民に対して「もっと働け、病気や解雇などのリスクには個人で備えろ、個人で対応できなければ、お隣さん同士で助けあえ、それでもダメな時だけ国が受け持つ」という救貧思想に基づく極めて古い社会保障の考え方である。
また、「共助の精神」について、菅前首相は「公共的な活動を行う機能は、従来の行政機関、公務員だけが担う訳ではありません。地域の住民が、教育や子育て、まちづくり、防犯・防災、医療・福祉、消費者保護などに共助の精神で参加する活動を応援します」と述べている。良いことを言っているように聞こえるが、これを突きつめれば、教育や子育て、防犯、医療に至るまで、国は関与しないということであり、「憲法で定められた国民の権利や国の義務」を国民と業者との「契約」や近隣の「助け合い」に変えていくというとんでもない考え方だ。
そして、「新しい公共」の掛け声のもと、社会保障においても国の役割をビジネスの環境を整えることだけに限定しようともしている。「一体改革」では、「社会保障は需要・供給両面で経済成長に寄与する機能を有しており、医療や介護分野での雇用創出や新たな民間サービス創出のための環境整備...(中略)民間企業を含めた多様な事業主体の新規参入促進、『新しい公共』の創造など、利用者・国民の利便の向上と新たな産業分野育成の観点からの諸改革を進める」としている。
このことから「混合診療全面解禁」「営利企業による病院経営」も、まだくすぶっているとみるべきである。
さらに内閣府の「新しい公共」ポータルサイトでは、「経済社会が成熟するにつれ...『上からの公益』の実施では社会のニーズが満たされなくなってきました。これまでの行政により独占的に担われてきた『公共』を、これからは市民・事業者・行政の協働によって『公共』を実現しなければなりません。これが『新しい公共』の考え方です」と述べられている。
何のことはない。「上からの公益」が機能不全に陥り、それを「新しい公共」である「民間企業を含めた多様な事業主体」に丸投げするのである。その悪しき例を以下に示そう。
昨年8月16日付の朝日新聞に「生活保護 制度の陰で」と題する記事が載った。政治団体が設立したNPOが開設した無料宿泊施設では、毎月10万円を取って生活保護者を入居させている。NPOの理事長は「貧困ビジネス。もうかるよ」と述べ、理事が次々と独立し拡大させ、計131施設で入居者4500人、年収40億円のビジネスになっている。役所も「必要悪」として、生活保護受給者にこの施設を紹介しており、受給者は「生保の相談に行ったら、宿泊所に直行させられた」とも述べている。こんな貧困ビジネスが「市民・事業者・行政の協働による新しい公共」によって横行するとなれば大きな問題である。
「一体改革」では、「自助」や「共助」を強調し、社会保障における国の責任を後退させ、国の責任がなくなった分野に「新しい公共」と称して、企業を参入させるということが大きな目標になっている。
言うまでもなく、政府の役割は市場原理の是正であり、効率性の観点から行き過ぎた市場(競争、勝ち組・負け組、格差社会)を、公平性の観点から正すことにある。再び新自由主義的政策に舵を切るべきではない。
積み上がる内部留保
政府は、社会保障の削減や消費税増税の理由として「財政赤字」を挙げている。では、財政赤字がふくらんだ主要な原因はどこにあるのか。それは、所得税のフラット化、法人税の減収、金融資産への優遇税制によって、税収そのものが減ったことにある。
具体的には、法人税率は40%から30%に引き下げられ、株式売買や配当所得課税率は、フランスが29%、アメリカが25%であるのに対し、日本では10%。そのため、法人税収と所得税収が減り、安定的な消費税収でもそれを補えないようになった(図2)。
しかし、00年代に入り、資本金10億円以上の大企業の内部留保はますます積み上がり、07年度には239兆8000億円まで増えている(図3)。つまり、デフレ、不況下で庶民の生活が苦しいなか、行き場のないお金が大企業の中に貯まっているのだ。
また、大企業の利益分配構造も変化している。80年を100として、04年をみると、売上高も営業利益も2倍にしかなっていないし、従業員給与や福利厚生費も3倍未満で00年代からは低下しているにもかかわらず、役員給与と賞与、配当金は一気に増え6倍にも達している(図4)。
法人税を下げる理由として、法人税が高いと企業の海外移転が起こると言われている。
確かに表面上の実効税率は国際的に高いものの、実際、経常利益上位100社の税率は平均で33.7%となる。また、経済産業省の調査によれば、海外投資決定のポイントとして「税制、融資等の優遇措置がある」は、7番目でしかない。さらに法人税だけでなく、社会保険料の事業主負担を併せて比べるとドイツ、フランス、スウェーデンよりも日本の企業負担は低い。
企業は儲かるから海外に進出するのであって、節税のためではない。法人税を低くしても企業が戻ってくるわけでもなく、外国企業が日本進出を見合わせるのは法人税の高さからでもない。「法人税が高いから企業は出ていく」は単なる言い訳、おどしなのだ。
国民負担率引き上げを
さて、「日本は○福祉○負担の国か」という問いに対して、みなさんはどう答えるだろうか。
日本の社会保障給付費の対GDP比は18.7%とOECD平均よりやや低く、「やや低福祉」である。また、国民負担率を他国と比べてみると、日本は40.6%とOECD加盟諸国30カ国のうち7番目に低く「低負担」と言える。
つまり、日本は「やや低福祉、低負担の国」である。OECDとの比較が全てではないが、日本は負担の割に福祉はまだましなのである。
そして、国民負担率と社会保障給付率は比例関係にあり(図5)、社会保障の充実のためには負担増が必要なのは間違いない。
ただし、注意しなければいけないのは、国民負担とは国民個人の負担だけではなく、もちろん消費税だけでもないということだ。
国民負担とは、税負担(国税だけでも21種類)と社会保障負担を合計したもので、税には法人税、社会保障負担には事業主負担など、企業の負担も国民負担の一部である。
つまり、法人税や社会保険料の事業主負担を増やしても、国民負担率を引き上げることはできるのだ。
日本は事業主負担も所得税も少ない。日本より国民負担率の高い国は多いが、必ずしも国際競争力とは関係なく、また不幸な国でもないのは言うまでもない。一人当たりGDPと国民負担率を比較しても、国民負担率の高さが豊かさの足かせにはならない(図6)。
社会保障充実経済に好影響
最近になって厚労省が強調し始めたのが、社会保障は経済の足かせではなく成長する産業ということだ。
産業別の国内総生産を90年から00年まで比べると、全産業の平均伸び率が11.1%だったのに比べて、社会保障分野の伸び率は56.1%。また、社会保障分野の雇用誘発効果も主要産業と比べて非常に高い(図7)。実際に、社会保障業務に携わる就業者数は右肩上がりに増えており、内需拡大にも寄与している。
今の日本に必要なのは「垂直的再分配」だ。菅前首相は「増税しても、使い方を間違えなければ、景気は良くなる」と言ったがそのとおりである。
そのために必要なのは、財政赤字の原因である歳入の欠陥を補うために、体力のある大企業、富裕層、資産家に対する課税を強化すること、社会保障財源を逆進性の高い消費税で固定しないこと、垂直的再分配で経済の安定化を図り、大企業がその社会的責任から雇用を回復させ、内需拡大をもたらす社会保障分野に財源を投入することだ。
その結果、景気が良くなれば最高であるが、たとえ景気が良くならなくても、あるいは良くならないからこそ、社会保障の充実は行わなければならない。