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政策シンポジウム「TPPが医療を壊す」関岡 英之氏 基調講演 TPPで狙う混合診療の解禁

2012.11.05

協会が6月3日に開催した政策シンポジウム「TPPが医療を壊す」で基調講演を行ったノンフィクション作家・関岡英之氏の講演詳録を掲載する。

医療もTPP協議の対象に


 現在、政府が交渉参加を進めているTPPには24の分野があるが、それらの中には医療という項目はなく、関係がありそうな分野も見当たらない。
 そのため、TPPが本当に医療に関係があるのか分かりづらくなっているが、実際に日本の医療を対象にするテーマは二つある。それは、「サービス(金融)」と「制度的事項」という分野である。
 TPPを推進している外務省や経済産業省は、国会議員に対して「TPPで医療は協議の対象になっていない」と説明してきた。しかし国会で、ある議員がTPPで医療が協議の対象となる動かぬ証拠を政府に突き付けたため、政府は「混合診療が協議の対象となる可能性を否定できない」とこれまでの説明を訂正した。
 米国が日本に混合診療の解禁を要求するのはTPPが初めてではない。むしろ、すでに米国の要求で混合診療は部分的に解禁されている。
 それは、04年3月の米国政府高官の発言に端を発する。当時のラーソン米国経済・農業担当国務次官は、日本の報道機関向けの記者会見で「民間企業の活動をもっと認めれば、日本国民はより高度で最新の医療サービスを最も安く受けることができる」と述べ、混合診療の解禁を求めた。
 その後、6月に米国は、「日米投資イニシアティブ報告書」という日本政府の要求書の中で「米国政府は、保険診療と保険外診療の明確化及び混合診療の解禁について要請した」と述べ、再度混合診療解禁を求めた。
 そして9月、当時の小泉首相は、混合診療について「年内に解禁の方向で結論を出してほしい」と金子規制改革担当大臣らに指示、12月に尾辻厚生労働大臣と村上規制改革担当大臣が「混合診療問題に係る基本的合意」を行い、特定療養費制度を拡大してしまった。
 米国の高官が混合診療解禁を求めてから、実に9カ月で日本の制度を大きく変えてしまった。
 ただ、混合診療の解禁に対しては、厚労省と日本医師会が激しく反対したため、全面解禁には至らなかった。
 米国はまだまだ不十分だと思っている。だからTPPで混合診療の全面解禁を米国が求めてくる可能性は非常に高い。

「がん」で混合診療に直面


 混合診療とは何か。私たちはどんな時に、この問題に直面するのだろうか?
 現在、日本人の死因の第1位はがんで、心疾患、脳血管疾患と続く。
 心疾患と脳血管疾患は横ばいだが、がんは増え続けている。国立がん研究センターの公式サイトでは「日本人の2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで亡くなる」とされている。厚労省の統計によれば、2010年には35万人ががんで亡くなっている。
 昨年の千年に1度といわれた東日本大震災では、2万人の方が亡くなったが、実にその17倍の方が毎年がんで亡くなっている。
 そして、私たちが混合診療という問題に直面するのはがんになった時だ。それは私たちの2分の1が経験をする。
 現在、日本のがん治療は大きく三つに分かれている。一つは手術、二つ目は放射線治療、三つ目が抗がん剤による化学療法だ。このうち手術と放射線療法は、転移していない比較的初期のがんにしか有効ではない。
 そこで、複数の部位に転移したがんに対しては、抗がん剤治療がおこなわれる。しかし、抗がん剤治療も、がん細胞が薬剤耐性をつけてしまえば、その抗がん剤は効かなくなってしまう。それで、他の抗がん剤を使用することになるが、日本で承認されている抗がん剤の数には限りがある。それをすべて使い切ってしまったら、治療を続けることができなくなる。その後、ホスピスに入ることになるが、現在ホスピスは満員で、入るのに3カ月や半年はかかる。
 では、どうするのか。人は座して死を受け入れることなどできない。病院では手の施しようがなく、ホスピスにも入れない患者は、わらにもすがる思いで、さまざまな治療法を求めだす。それが、がん難民といわれる状態だ。
 そうしたがん難民が求めるのが、日本では承認されていない薬である。
 では、実際にがん治療にいくらくらいの費用がかかるのか。短期入院をして抗がん剤治療を受けた、あるがん患者の例では、2泊3日の入院費用の自己負担が6万円、検査費用の自己負担が3万円、そして抗がん剤治療費用が2剤で9万円の自己負担となり、合計で18万円だ。
 しかし、日本の公的医療保険には高額療養費制度といって、平均的な所得の人であれば1カ月8万円、低所得であれば4万円、高所得であれば15万円が自己負担の上限額となっており、それ以上の負担をする必要がない。
 しかし、日本で承認されていない抗がん剤を使うと、未承認の抗がん剤費用だけでなく、そのほかの入院費用や検査費用にも保険がきかなくなる。すると、この患者の場合、入院費用が20万円、検査費用が9万円、抗がん剤30万円と、合計59万円全額が自己負担となる。
 いかに日本の皆保険制度が優れているか、これで分かるだろう。本来59万円かかる医療を8万円で受けられる。残りの費用は、会ったこともない他人の保険料で賄われているのだ。

混合診療より保険適用範囲の拡大を


 では、混合診療が解禁されるとがん患者は救われるのだろうか。
 混合診療が解禁されれば、入院費用や検査費用には保険がきくので、それぞれの負担は6万円、3万円となり、抗がん剤治療費の30万円だけが全額自己負担となり、合計39万円の負担となる。確かに20万円負担は軽くなる。
 これをもって、日本の推進派は患者負担軽減のためにと混合診療解禁を訴えている。
 しかし、月に39万円の負担は非常に重い。この例では抗がん剤治療費用を30万円としているが、米国の最新の抗がん剤である分子標的薬には100万円するものもある。それに、抗がん剤治療は最低でも半年間続ける必要があり、場合によっては1年行うこともある。そうなれば、月に100万円、半年で600万円、1年で1200万円必要になる。
 確かに入院費用や検査費用に保険がきいて20万円自己負担は減るが、月100万円以上の医療費を負担できる人が日本にどれだけいるのだろうか。
 それよりも大切なのは、未承認薬の保険適用を早く行うことである。
 例えば、大腸がんと乳がんに適用のある分子標的薬ベバシズマブという薬は、最近卵巣がんにも効果があることが明らかになっているが、今の段階では卵巣がんに対しては保険適用されていない。だからといって混合診療を全面解禁しても、卵巣がんの患者さんは月に100万円以上の自己負担が必要になる。それよりも、この薬を卵巣がんにも適用することこそが必要だ。

利益得るのは民間保険会社


 このように、混合診療を解禁しても一般的な国民にはほとんどメリットはない。では、誰にメリットがあるのか。
 混合診療の推進派で、自民党歴代内閣で規制改革会議の委員や経済財政諮問会議の民間議員を歴任した八代尚弘国際基督教大学客員教授は著書の中でこう述べている。「患者の自己負担率が高まれば、公的保険でカバーされる範囲が事実上縮小することになる。そうなれば、自己負担分をカバーするための民間保険が登場する」。
 つまり、混合診療を解禁すると、外資を含む民間保険会社が儲かるということだ。
 現在の国民皆保険制度は、年収も年齢も関係なく医療が提供される公平なシステムだ。例えるなら、何億円持っていてもエコノミークラスに乗ってくれというシステムだ。混合診療の全面解禁はそうした制度を壊して、一部にファーストクラスをつくるということだ。
 これがTPPにおける米国の狙いだ。ここで注意しなければならないのは、政府が「公的医療保険制度を廃止し、私的な医療保険制度に移行する必要があるとの情報...も流れているが、米国が他のTPP交渉参加国にそのようなことを要求していることはない」というように「公的保険制度の廃止」などというと、揚げ足を取られてしまうということだ。
 確かに、TPPに参加しても公的医療保険制度は廃止されないだろう。それは、高齢者や貧困層などは米国の外資系保険会社にとってはお呼びでないからだ。高齢者は病気がちなので保険支払いが多くなるし、貧困層はそもそも保険料を支払えない。そうした層は、公的医療保険で面倒を見てもらえというスタンスである。

中間層が無保険になる米国


 これは米国の医療保険制度を見れば明らかだ。米国の医療保険制度は民間保険会社にとって非常に居心地のよい制度になっている。
 米国にある公的保険は65歳の高齢者が加入するメディケイドと貧困層が加入するメディケアだけだ。他の大多数の国民は民間医療保険に加入している。しかし、民間医療保険は純粋な金融商品で社会保障でないため、国民全員をカバーする必要などない。
 それで、無保険者が実に東京都の人口の3倍、4600万人もいる。恐ろしいのはこれら無保険の人々が本当の貧困層ではなく、中流階級だということだ。本当の貧困層であればメディケアに加入することができる。しかし、メディケアの加入要件は非常に厳しく、なかなか加入できない。だから、無保険者はメディケアに加入するほど貧しくはないが、かといって民間保険会社に保険料を支払うことができないという中間層なのだ。
 米国の保険会社にとって優良な顧客は、大企業の新入社員のように若くてお金を持っている層だ。米国では、年齢や所得によって社会が分断されているのだ。
 こうした米国医療の悲惨な現状を描いた映画に、マイケル・ムーア監督の「シッコ」という作品がある。誤解してはいけないのは、この映画が4600万人の無保険者を主人公にしていないということだ。この映画の主人公は民間保険に加入している人である。
 なぜ、保険に入っているのに悲劇が起こるのか。それは、米国の民間医療保険が私たちの加入する公的医療保険とまったく異なるからだ。
 日本でも販売されている医療保険を例にとると、仮に「よくばり保険」という保険商品と「それなり保険」という保険商品があったとする。
 すると、よくばり保険は月額1万4000円の保険料となり、入院すれば1日当たり1万円が給付され、手術は1回あたり10万円が給付される。さらにがんが見つかれば300万円、死亡保障も500万円、さらに保険給付が一定期間なければ10万円のボーナスが出る。
 一方、月に1万4000円も支払えないという場合、「それなり保険」に加入することになるが、この保険では入院すれば1日当たり1万円、手術をすれば1回あたり10万円が給付されるが、がんになっても、死亡しても給付はされないし、ボーナスもない。
 つまり、掛け金を多く払えば手厚い補償を受けられるが、そうでなければ非常にレベルの低い補償しか受けられない。これは金融商品では当たり前のことで、民間医療保険というのは純然たる金融商品なのだ。だから、市場原理が貫徹されており、たくさん保険料を払える金持ちはますます金持ちになり、保険料を十分に支払えない貧困な人はますます貧困になる。こうして格差が広がってゆくのが市場原理を貫徹した社会だ。
 日本の公的保険制度は、3割の自己負担さえ支払えば、近くのクリニックに行ってもいいし、大学病院に行ってもいい。時間に余裕があれば東京の有名な国立病院に行ってもいい。フリーアクセスが原則になっている。
 しかし、米国では保険会社によって、治療を受けられる病院が決められている。また、日本では、医師が必要だと判断した治療行為を尊重し、原則として出来高払いで報酬が支払われる。しかし、米国では治療行為も保険会社の許可制だ。米国では、病院に行ったらまず保険証を確認し、どこまでの治療ができる保険に入っているか調べられ、保険会社が許可しなければ治療は全額自己負担で受けるか、自己負担できなければ診療を断られる。
 こうしたことが起こるのは、民間医療保険が金融商品で、民間保険会社が利益を大きくするために、保険の支払いをなるべく少なくしようとするからだ。
 では、米国のこうした医療制度は機能しているのか。OECDの統計によれば、米国の平均寿命は先進国最低だ。
 その理由は乳幼児死亡率が非常に高いことにある。乳幼児死亡率が高いというのは普通、アフリカなどの発展途上国で衛生状態が悪いことが原因とされる。しかし、米国で衛生状態が悪いというのは考えにくい。やはり、医療制度に根本的な問題があるのだ。
 では、米国の市場原理に基づいた医療制度の経済効率は高いのだろうか。実はそれも異なる。先進国の一人当たりの医療費の実額でも、GDPに対する医療費の割合でも、先進国の中でダントツに医療にお金がかかっている。
 保険にはさまざまな種類のものがある。社会保障としての公的医療保険を基礎として、共助としての共済、自助として保険会社が提供する保険商品も一切いらないわけではない。貯蓄代わりに使いたい人もいるだろう。
 このように、さまざまな保障や助け合い、商品が並立してこそ社会は安定するのではないだろうか。それを米国のように全てビジネスにしてしまい、社会保障や助け合いはすべてビジネスの邪魔だというのがTPPの本質だ。

米国は薬価引き上げの利益狙う


 次に米国では、なぜ薬代が高いのか考える。
 実はTPPでは、米国は薬の値段を高くしようと狙っている。これはTPPの24の作業部会のうち「制度的事項」と呼ばれるものだ。
 日本政府が「TPP協定交渉の分野別状況」という文書を発行しているが、今年の3月版で初めて明らかになったのが、この薬価の問題だ。この文書では「医薬品及び医療機器の償還(保険払い戻し)制度の透明性を担保する制度を整備し、手続保障を確保すること(関係者への周知プロセスの公開、申請者の参加等)について提案をしている国がある」と書かれている。
 一部の学者は市場原理を導入すれば競争が起こり、モノの値段は下がると言う。しかし、市場原理を導入しているはずの米国の製薬市場ではなぜ、値段が高いのか。
 それは、特許制度があるからだ。米国では新薬を開発し、特許を取得すれば、20年間マーケットを独占し、自由な価格で販売することができる。
 しかし日本では、薬価を政府がコントロールしている。日本でも特許制度はあるが、独占販売できる期間であっても自由に価格を決めることはできず、2年ごとに価格が引き下げられるようになっている。だから、国民は安心して薬を処方してもらうことができる。
 米国の製薬企業にとって日本の制度は、本来ならば自由に価格を設定し、20年間はその価格で販売できる医薬品を安い価格で販売しなければならず、利益喪失となる。
 実際に、米国商務省の2004年の統計によれば、米国の薬価を1とした場合、日本は0・33で非常に安い。
 こうした国際的な薬価の違いについて、マーク・マクレランFDA(米国食品医薬品局)長官は「米国と他の先進国との薬価差の解決には、米国の薬価を引き下げるのではなく、他の先進国の薬価を引き上げる必要がある」と述べている。
 こうした米国の要求を如実に表しているのが、TPPのパイロット版といわれる米韓FTAだ。
 米韓FTAでは「薬価や医療機器価格は、競争市場価格をベースとするか、さもなくば特許上の価値を反映させる」「また、製薬企業の値上げ申請を認める」「協定の順守を監視するために米韓両国政府の医療と通商担当官を共同議長とする医薬品・医療機器委員会を設置する」とされている。
 さらに確認書簡では、韓国側が薬価などに関する製薬企業による異議申し立てを受け付ける独立機関を設置することとされており、その人事権は韓国政府から完全に独立し、韓国政府と対等の力を持たせることまで決められている。
 こうした条項がTPPに盛り込まれれば、ただでさえ少ない日本の医療費はその多くが外資製薬会社の利益とされる。そうなれば医療現場にしわ寄せがいく。
 なけなしの医療予算を外資に持ち去られ、経営難に陥った病院や診療所は廃業することになるだろう。現在の医療崩壊はますます進んでしまう。また、薬価が高くなれば患者の自己負担や国民の保険料も増える。
 外資だけが得をするTPPによる薬価の値上げを許してはいけない。

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