政策宣伝広報委員会だより
政策解説 社会保障制度改革国民会議「報告書」分析(1) グラフでみる国民だましの財源論 --国債発行の責任は社会保障にあらず--
2013.12.05
今年8月に発表された社会保障制度改革国民会議「報告書」は、社会保障の理念を捻じ曲げ、財源論ではあからさまな国民だましを行っている。兵庫協会企画編集、保団連発行の新パンフレット「医療が遠のく。」(1面に案内)で、この「報告書」の問題点を解説しているが、今回は「報告書」の財源論について、詳細に検証する。
偽りの「国民へのメッセージ」
報告書の冒頭で、国民会議会長の清家篤氏(慶応義塾大学教授)は、「国民へのメッセージ」と題した一文を寄せ、ここで社会保障費財源の枠組みを象徴的に示している。
すなわち「社会保障給付は、既に年間100兆円を超える」とした上で、「かなりの部分は国債などによって賄われるため、将来世代の負担となっています」とし、さらに「公的債務残高はGDPの2倍を超える」として「社会保障制度自体の持続可能性も問われている」と位置づけている。
財源に対するこうしたスタンスは、財務省と完全に一致するものだが、清家氏の経歴を見れば、それもうなずける。清家氏は、2001年小泉内閣での「高齢社会対策の推進の基本的在り方に関する有識者会議」座長や、2008年の福田内閣での社会保障国民会議委員など、構造改革路線のもとで、審議会委員に次々と名を連ねてきたベテラン委員なのである。
清家氏が提示する財源の枠組みを一つずつ検証してみよう。
100兆円超の社会保障費は危機的?
→実は先進国最低
第1は「年間100兆円を超える社会保障給付費」が危機的なものなのか、である。
2010年度の社会保障給付費は103兆円だが、「持続可能性が問われる」ほどに危機的なのかについては、異なるデータがある。
世界の先進国のデータをまとめたOECD2013による「社会保障給付費の国際比較」によると、日本、アメリカ、イギリス、イタリア、ドイツ、フランス、スウェーデンの7カ国のうち、日本の社会保障給付費はアメリカを除いて最低で、日本はフランスの7割程度にすぎない(図1)。
経済力との対比では、危機的どころか、日本の社会保障費水準は、先進国最低水準なのである。
社会保障費のほとんどが国債で賄われる?
→国庫負担全体でもわずか26%
第2は「100兆円を超える社会保障給付費の、かなりの部分が国債などによって賄われる」というものである。
社会保障費のうち、国庫負担が占める割合は、2010年度に29・4兆円で、財源の26%にすぎない(図2)。国債どころか、国庫負担自体が全体の4分の1程度にすぎないのである。
さらに、「国債によって賄われている」とは、あたかも赤字国債と「社会保障への国庫負担」(項目名は「社会保障関係費」)がつながっているかのような表現だが、「社会保障関係費」と国債との間には、直接相関するような関係はない。
「社会保障関係費」は、他の歳出項目と同様に、国債を含めた歳入全体から支出されているのであって、国債が社会保障関係費を直接に支出しているわけではない。
特定の歳出項目と特定の歳入項目を勝手につなげていいのであれば、逆に、所得税と法人税、消費税を合計した31・5兆円が社会保障関係費の財源であって、国債費は社会保障に使われていないということもできる。
百歩譲って関連付けるとしても、国債発行の全額を社会保障財源とするのは不当だ。少なくとも歳入における国債費の割合に応じて、「社会保障関係費」も案分するのが当然だ。2011年度の歳入107・5兆円における国債(公債)は44・3兆円で、歳入に占める割合は41・2%である(図3)。
これを「社会保障関係費」29・8兆円にあてはめれば、国債を「財源」とする「社会保障関係費」は約13兆円ということになる。つまり「報告書」の言い分のように計算してみても、「社会保障給付費」100兆円のうち、国債分は1割程度にすぎず、「かなりの部分が国債」などとは到底言えない。
また、政府は「2011年度に一般歳出に占める社会保障関係費の割合が過去最高の53%に達した」として、社会保障費負担を大きく見せかけているが、この場合の「一般歳出」費からは、なんと国債費と地方交付税交付金等が除かれている。
つまり、一般歳出の総額92・4兆円から、国債費21・5兆円、地方交付税交付金等16・8兆円を除いた54・1兆円を分母に、社会保障費支出28・7兆円を分子として計算しているのである。国債発行の原因は社会保障費にあるといいながら、社会保障費が歳出に占める割合を説明するときは、国債(償還費)を除いて説明しているのである。
財務省はその理由を、「(国債と交付金は)政府の政策に関係なく支出しなくてはならないものだから」としている。
しかし国債費は、湯水のように無駄な公共事業を積み重ねてきた結果であり、また大企業優遇税制を実施してきた結果でもある。地方交付税も、それまでの国庫負担を削減してきた代わりとしてつくられたものであり、まさに政府の政策によってつくられたものである。
それらの問題を抜きにして、分母を小さくして計算するのは、小さな社会保障関係費を大きくみせかけるためのトリック的手法である。
将来世代の負担になる?
→法人税の減収を国民に転嫁
第3に「将来世代の負担になっている」という理屈である。これは、前述の問題を隠した上で、国民に負担をすべて転嫁することを狙う手口である。
なぜ赤字国債が必要になったのかは、国民経済と税収の関係を見ればはっきりする。政府の主要3税の税収は、1990年には50兆円あったにもかかわらず、2010年には30兆円まで減少した。ところが同期間の国内総生産は452兆円から479兆円へと増えているのである(図4・5)。
税金のもとである日本の国内総生産が微増とはいえ増加しているのであれば、そこからの分配である税収もまた増収になって当たり前である。ところが税収は逆に4割も減ったのである。
税収減の原因が社会保障の責任でないことは明らかだ。それではなぜ税収はここまで減ってしまったのか。主要3税別に税収の推移をみてみよう。
1990年の税収を100として、以降の推移を、法人税、所得税、消費税別にみると、2010年の法人税は41に、所得税は49、消費税は222である(図6)。
つまり、法人税の落ち込みがもっとも大きく、4割までダウンし、消費税は倍増しているのである。これは小泉構造改革が「小さな政府」をめざすとして、大企業優遇税の拡大や法人税率の引き下げなど、法人税を縮小してきた結果である。
国債を「将来世代の負担」などとして国民に押し付けるのは、大企業優遇政治のつけを国民に転嫁することにほかならない。
債務残高がGDPの2倍?
→債権保有高は世界一
第4に、「公的債務残高はGDPの2倍を超える」というものだが、日本政府の債権保有高は世界一で、債務以上に資産があり、財政がただちに破たんするものではないということは、多くのエコノミストが指摘している。
むしろ、デフレ経済から脱却するために、無駄な公共事業ではなく、国民生活に直結する公共事業の支出は必要だとされている。こうした事実を無視して、やみくもに「GDP2倍」を強調するのは、これも国民に対する脅しである。
日本の社会保障支出は、現在も先進国最低水準にあり、社会保障給付水準の拡大こそ日本社会に求められている。
にもかかわらず、「国民会議」が社会保障水準の引き下げと「効率化」をかかげるのは、消費税増税を国民に押し付けるためである。大企業優遇の税制を長期にわたって続けてきた結果、今、企業には200兆円を超える内部留保金が積み上げられている。このような歪みを放置して、消費税に財源を求めるのは、国民いじめそのものである。
偽りの財源論を見破り、財政のあり方を転換すれば、日本の経済力にふさわしい西欧諸国なみの財源確保は可能である。