政策宣伝広報委員会だより
阪神・淡路大震災から22年 一人ひとりの生活復興を くらし破壊する借り上げ住宅追い出し
2017.01.25
地震が起きた5時46分に、諏訪山ビーナスブリッジでは150人が黙とうし、追悼と被災者の生活再建への思いを込め鐘をついた
勤労会館で行われたメモリアル集会では、戸羽太・陸前高田市長が講演した
1995年の阪神・淡路大震災から22年。節目となる1月17日には、県内各地でメモリアル行事が行われ、参加者は、犠牲者を追悼し、被災者一人ひとりの生活再建を実現しようと誓った。震災はいまだ終わらず、昨年には神戸市・西宮市が借り上げ公営住宅の入居者を提訴し、強制退去を迫っている。建物解体によるアスベスト被害も現れつつある。また、各地の被災地と連帯し、課題を共有しようとの取り組みも行われた。勤労会館で行われたメモリアル集会には300人が集まり、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の戸羽太市長が記念講演を行った。
阪神・淡路大震災以後も、東日本大震災や、昨年4月の熊本地震など、多くの災害が起こり、大きな被害を生んでいる。こうした中、被災者への支援施策は不十分なままである。
阪神・淡路後の公的支援を求める兵庫県民の運動により、被災者生活再建支援法が成立し、2007年に2度目の改正が行われ、支援額は最高300万円の支給まで前進した。
また、震災後多くの被災者が利用した国の災害援護資金については、返済に行きづまる被災者が多い中、返済免除規定が適用されるという前進を勝ちとっている。さらなる改善を求め、運動を進める必要がある。
借り上げ公営住宅をめぐっては、神戸市と西宮市が昨年、20年の入居期限を理由に、入居者14人を提訴した。
入居時に住民は期限の説明を受けていなかった上、長年、住み続けてきた環境から高齢の入居者が転居することは、コミュニティの喪失、健康リスクを生み出す。
宝塚市や伊丹市は入居者全員の継続入居を決め、兵庫県も一定条件のもとで希望者の継続入居を認めている。神戸市・西宮市の対応は大きな問題である。
協会は、住民の健康相談を行うなど、入居継続を求め、住民の支援を行っている。
談話 震災22年目−−
新たな心身の「災害」うむな
理事長 西山 裕康
阪神・淡路大震災から22年が経過した。家族や友人、知人だけでなく、家財、思い出、地域での生活を失った。容易に取り戻すことは叶わないが、そんな状況下でも前を向いて進む被災者の傷が少しでも癒えることを願わずにはいられない。
国・自治体の脆弱な支援策が被災者を今でも苦しめている。兵庫県・神戸市・西宮市は「借り上げ公
営住宅」から、高齢化した被災者と家族を退去させる政策を強めている。すでに神戸市と西宮市は、転居を拒む計14人に立ち退き裁判を起こしており、自治体が被災者を訴えるという事態である。兵庫県弁護士会も継続入居を求めている。
借り上げ住宅の入居者は、通院中の社会的弱者が大半であり、年齢で画一的に判定し転居を強いることは、医療・介護・生活環境の大きな変化から、被災者に新たな心身の「災害」を生み出しかねない。
また、東日本大震災からも、まもなく6年である。依然13万人以上が避難生活を強いられており、半数を占める「みなし仮設住宅」が「借り上げ公営住宅」に移行すれば、将来、兵庫県と同様の問題が発生するだろう。福島県からの県外への「自主避難者」の一部は、家賃免除が本年3月末で打ち切られる。
そして、熊本地震では依然、4300戸が応急仮設住宅で、被災者は不自由な暮らしを余儀なくされており、しかも「みなし仮設」入居者は、その期間が2年に限られている。
震災は、心身はもちろん生活や家計を傷つけ、現在進行形であり、国はいまだ、被災者を救済しきれていない。「被災者生活再建支援法」の抜本強化とともに、避難所から、仮設住宅、復興住宅といったたび重なる転居を強い、さらに退出を迫るという政策を改め、被災者の「地域」での「包括的」な「ケアシステム」を守り、くらしの再建を最優先すべきである。
阪神・淡路、東日本、熊本等の被災地、被災者を忘れず、訪問活動を継続し、共通の課題を明らかにするとともに、防災・減災意識と活動を再確認しよう。
阪神・淡路大震災22年 メモリアル集会
被災者の終の棲家守ろう
住江憲勇保団連会長が被災者の生活再建を求めていこうと訴えた
阪神・淡路大震災22年にあたり、開催されたメモリアル企画の模様を紹介する。
神戸市勤労会館で行われた「阪神・淡路大震災22年メモリアル集会」には、会場いっぱいの約300人が参加。保団連から住江憲勇保団連会長が参加した。主催は、阪神・淡路大震災救援・復興県民会議(復興県民会議、合志至誠兵庫協会名誉理事長が代表委員)。
住江憲勇会長が全国災対連代表世話人として連帯のあいさつを行い、「阪神・淡路大震災から22年が経つ今も、借り上げ公営住宅からの追い出し問題が被災者を苦しめている。避難所や仮設住宅から
そのような中でも、兵庫県の被災者・県民が運動を続けてきたからこそ、被災者生活再建支援法ができ、その後の東日本大震災や熊本地震での生活再建に役立っていると感謝の意を示した。そして、現在最高300万円の支援金の500万円への引き上げや、住宅再建費用の国による全額負担などを、引き続き求めていこうと訴えた。
参加者は、継続入居を希望する借り上げ公営住宅入居者に継続入居を認めることや、被災者生活再建支援法を見直し、半壊・一部損壊家屋へ適用することなどを求めるアピールを採択した。
記念講演
被災者によりそう支援策を
陸前高田市長が講演
集まった300人は、借り上げ住宅の継続入居などを求めるアピールを採択した
東日本大震災で住民1757人、職員111人が犠牲となった、岩手県陸前高田市の戸羽太市長が「陸前高田市のこれまでとこれから」と題し記念講演を行った。
戸羽市長は、「震災復興」と言うが、東日本大震災からまもなく6年となる現在でも多くの住民が戻ってきておらず、復興も全然進んでいないと現状を語った。また、津波で多くの住民や職員が犠牲になった要因として、「当時、シミュレーションで津波は大きくても2mほどと予測されており、地震発生後も多くの住人が高台に逃げず、安全だと思った避難施設で多くの方が犠牲になってしまった」と悔やんだ。今の日本はどこでも災害が起こりうるとし、日頃から自分たちの命を守るためにどうしたら良いかを皆で考えてほしいと訴えた。
また、復興に際し、国は「被災者によりそって」と口では言うが、国が行う縦割り行政での支援では、支援物資が届かず、全く被災者や被災地によりそっていなかったと語り、被災者の視点に立った施策が必要だと強調。住民の一人ひとりを笑顔にすることが政治の本来の仕事だとした。
借り上げ公営住宅からの追い出し問題にも同氏は触れ、「神戸だけに起きる問題ではない。被災者にとって住まいは非常に大切なものであり、自治体による被災者の追い出しなど、あってはならない。本当の復興は、被災者が前向きに生きられるようにすることだ。同じ被災地の長として、意見を伝えたい」とした。
最後に、「今後も市民一人ひとりが将来への希望を持ち、夢を語り、すべての人が差別されることがなく、笑顔があふれる陸前高田市の実現に向けて、邁進していきたい」と決意を表明した。
メモリアルウォーク 22年目の長田のまちを歩く
商店主から震災時の思い出を聞く参加者
17日午前には、メモリアル企画「長田のつどい 22年目ひと、まち、くらし」が行われ、110人が、22年前焼け野原になった新長田駅周辺を歩いた。協会神戸支部も参加する震災復興長田の会の主催。
長田は、"創造的復興"の典型事業として、再開発により立派なテナントビルが建設されたが、人口は減少し続け、にぎわいは戻っていない。参加者は、大正筋商店街や鉄人広場などを訪れ、住民が力をあわせ、まちおこしを続けていることなどを学んだ。
ウォーク後には、借上復興住宅弁護団の大田悠記弁護士が、「震災と人権」について講演した他、熊本市、仙台市からの参加者からそれぞれの被災地の現状について報告した。