政策宣伝広報委員会だより
特別インタビュー 基地問題解決へ 沖縄と共に声上げよう
2019.01.05
学校歯科検診調査未受診72%も
加藤 本日はありがとうございます。沖縄県で開かれた、保団連第33回医療研究フォーラムでは、大変な格差と貧困問題が報告され、参加者の注目を集めていました。照屋 沖縄県の健康問題は、とても深刻な状況に置かれています。昔は長寿県と呼ばれていたりもしましたが、アメリカによる占領政策を経て、食文化がアメリカ化したこともあり、肥満率は全国でも高位、男性の平均寿命も全国平均程度にまで落ち込んでいます。
また、子どもの口腔崩壊も非常に深刻な事態であることが、沖縄協会の調査で明らかになりました。2016年度の学校歯科検診の結果について沖縄県の小、中、特別支援学校へアンケート調査をしたところ、全体としては他県と同様の結果でしたが、要受診者率は調査を行った18府県中3位、口腔崩壊の子どもがいる学校は全体の42.7%、受診が必要とされた子どもで未受診になっているのが72%と全国最高となっています。つまり、治療を必要とする子どもが多いにもかかわらず、未受診者が多く、重度の虫歯が多いと言えるでしょう。
健康問題の背景にある貧困
聞き手 加藤擁一副理事長
照屋 子ども医療費助成制度が償還払いになっていることや、歯科医院がない離島があることも考えられますが、やはり、一番問題となっているのは沖縄の貧困でしょう。子どもが口腔崩壊に至る原因は、歯科医療機関をなかなか受診しないためですが、その理由としては「時間がない」「お金がない」「歯科衛生への意識が低い」が挙げられます。
「お金がない」のは、貧困と直結していますが、「時間がない」は、両親が共働きで子どもを歯科に連れていくための休みが取れない、「歯科衛生への意識が低い」は、歯科衛生の重要性を学ぶだけの教育を受けることができなかった、といずれも貧困が問題の根底にあることが想像できます。
いずれにせよ、子どもの口腔崩壊を親の責任のみに矮小化するのではなく、子どもが口腔崩壊に至った家庭ごとの背景や、社会的責任について考えなければならないでしょう。
問題の根底には差別の論理
加藤 沖縄の経済的発展は、翁長前知事が就任して以降、目覚ましいものがあると聞いていますが。照屋 それでも県民所得は全国平均には遠く及ばず、最低賃金も全国最低の水準です。しかし、昔は沖縄は基地依存経済だと言われましたが、現在は全く違います。基地経済は、返還前は30%程度を占めていましたが、現在は大きく減少して5%程度で推移しています。
何より、那覇新都心を見ても分かるとおり、基地が返還されると、返還された土地に根ざした雇用が生まれ、経済が大きく発展します。普天間基地も宜野湾市の中心部の平地の大部分を占め、住民はその周辺部に押しのけられて生活しています。市街地の真ん中に位置し、危険な普天間基地はすぐに無条件で撤去すべきです。米軍基地は沖縄の発展の阻害要因になっていて、沖縄が経済的に発展するためには、新基地の建設ではなく、撤去こそ必要なのです。
加藤 沖縄の米軍基地は、戦後に米軍が「銃剣とブルドーザー」で土地を接収し、建設されたものが多いのですね。そして日本本土で米軍基地反対運動が盛り上がり、米国が本土の基地機能を沖縄に移転させたという経過があります。
照屋 沖縄から基地がなくならない根底には、やはり本土の根強い沖縄差別があるのでしょう。世論調査を見ても、本土と沖縄では、辺野古新基地建設に対する賛否に大きな違いが現れていることからも分かります。例えば、自分の家の隣に米軍基地が建設されるとなると、誰でも反対するでしょう。ただ、日本を守るために米軍の基地が沖縄になければならないなどと言われると、「まあ仕方ないか」と考えてしまう人が多いのです。本土に置きたくない基地を沖縄に押し付けている、この現実から目をそらしてはいけないと思います。
沖縄の歴史的背景を見つめなおす
加藤 差別の根底には何があるのでしょうか。照屋 やはり沖縄の複雑な歴史背景を抜きにしては語れないでしょう。沖縄は昔、琉球王国というれっきとした独立国でしたが、薩摩藩が侵略し、支配下に入り、明治維新を迎え、沖縄県が設置されました。
戦前の沖縄で忘れてはいけないのは、1903年に大阪で起こった「人類館事件」です。これは大阪で開かれた博覧会で、沖縄、朝鮮、中国、アフリカなど他民族の人々を展示するという「人類館」という展示を行ったものです。沖縄人は日本民族とは異質であることを象徴的に表したものです。
加藤 そのような事件があったのですね。本土では知っている人は少ないのではないでしょうか。
照屋 そうだと思います。その後、太平洋戦争でも、沖縄は本土防衛のための捨て石とされました。そして、サンフランシスコ講和条約で、沖縄は本土から切り離され、アメリカの信託統治領となりました。日本で国民皆保険制度が成立した後も、沖縄には社会保険制度はなく、病人が出ると、一家が貧困に陥ってしまう、必要に応じた医療は受けられないなどという状況でした。
また、当時は米兵による事件が多く、私も信号無視をした米軍のジープに轢かれかけるなど、沖縄の人々は文字通り命を脅かされる日々が続いていました。
そうした本土との格差に耐えかねて、米国民政府の圧政を打ち破ろうと沖縄の人々が一丸となって立ち上がり、返還前に那覇市長などを務めた瀬長亀次郎氏らを中心に本土復帰闘争が繰り広げられました。しかし、本土復帰を果たしたものの、基地問題からも明らかなように歴史的差別はいまだに残っているのが現状だと思います。
沖縄のアイデンティティ守り抜こう
加藤 なるほど、沖縄の人々が米国による強権的な施政に対して団結して立ち上がったのは、新基地建設反対の一点で保守と革新の壁を乗り越えて日米両政府と闘っている「オール沖縄」ととても類似していますね。照屋 沖縄の歩んできた歴史は、日本本土の歴史とは大きく異なります。ですので、沖縄県民は一人ひとりが、沖縄人であるということのアイデンティティをとても大切にしています。翁長前知事は、演説の時などよく沖縄方言で県民に訴えていました。それが県民の心を強く引き付けたのだと思います。沖縄県民による地方自治と民主主義を大事にして、「イデオロギーよりもアイデンティティ」で、基地も貧困も差別もない沖縄県を作っていかなければなりません。
加藤 そのためには、本土に生きる私たちは、私たちの無関心が日本政府や米国政府に沖縄に基地を置くことを許してしまっていることを自覚する必要があると思います。そして、同じ市民として沖縄県の人たちと同じ目線で両政府の無法なやり方に声を上げなければなりませんね。私たちも今回の沖縄県知事選挙にあたっては、そうした議論をして微力ながら支援をさせていただきました。
照屋 兵庫協会の皆さんからは、西山裕康理事長をはじめとする多くの方々に支援をいただき、玉城デニー氏の当選にご尽力いただきました。心より感謝しています。
加藤 兵庫協会としても、これからも沖縄県に連帯していきたいと思います。本日はありがとうございました。
インタビューを終えて
尊敬する母校の先輩に、こうしたインタビューの機会が得られたことをうれしく思います。当時の思い出話にも花が咲いて、楽しいひと時でした。照屋先生の在学中はまだ返還前で「留学生」という身分で来ておられました。日本人でありながらパスポートが必要だった時代です。半世紀近い時が経ちましたが、沖縄がいまだ占領下時代のような実態は変わりません。私たちも手を携えて、これからも沖縄の問題に取り組んでいきたいと思います。
(加藤)